煮られた走狗のエスケイプ

@ughachi

午睡

 未練たらしい睡魔の誘いを振りきって、瞼を持ち上げる。昔の女の夢でも見たのか、心のうちがひどく寒かった。


 寝床には曙光が満ちつつある。ぶるりと身体を震わせれば、舞った埃がステンドグラスに染められて七色に煌めいた。空っぽの礼拝堂。祭壇のしたで丸まるおれは、あるいは捨てられた子犬のように惨めに見えるのかも知れない。この古城に閉じ込められて、どれくらいの月日が経ったのか。寝覚めにはいつも、そんな答えのでない問いを追いかけた。


 今日も今日とて、説教台には牧師の姿はなかった。銀の皿に乗せられた果実のまわりを、3匹のハエが舞っているのみだ。おれは未だ老いぼれちまったわけじゃない。食欲はないが所有欲はある。その証拠という訳でもないが、ふぅと息を吐いて奴らをおっぱらってやった。ははん、ざまあみろ羽虫ども。

「けっほけっほ」

 それはおれの音ではなかった。考えてもみろ、埃を愛するおれが埃を吐き出すわけがない。回廊の彼方、両開きの扉から漏れ出る光を背に受けて、黒い小さな塊が咳き込んでいた。傍らには新郎の代わりに、酒樽を山ほど積んだ、ボロボロの荷車があった。

「お休みのところ失礼する。わたしの名はトウラ。麓の村より、今年の贄として選ばれた者だ。しきたりとは違えるが、二度手間になるゆえ供物も自分で持ってきた。運び入れてもかまわないだろうか?」

 今回の娘は妙に活きがいい。どうぞと言う代わりに鷹揚に頷けば、己が体重の何倍もの荷物を、顔色一つ変えずに引きずってくる。もし山裾の隘路からこの調子で登ったのだとすれば、とんでもない馬鹿力である。いや、ここは賞賛に値するとでも言うべきか。

 空は既に青く染まっているのだろう。ゆえに近付くほどに、女の色も露わになった。短く切った紅い髪が、夕日に染まった稲穂のように揺れている。時たま射抜くように向けられる瞳には、奴婢らしくもない高貴な金色が宿っていた。

 ずりずりと音を立てながら、おれの目前に至ると女は膝を付く。筋肉質の四肢は例年通り、純白の花嫁衣装で覆われていた。ただ今回ばかりは胸元の当たりが少し苦しそうだ。いや、視線が吸い込まれるのは不可抗力というものだろう。なにせ黒子が二つばかり、谷間の片割れに残されていたのだ。白の中に黒があれば、視線が吸い込まれるのは必定というもの。

「さて、事に至る前に言わなければならない科白があるのだが、聞いてもらえるだろうか」

 にしても、毎度毎度たいした欺瞞じゃないか。村の連中はどうしてもこの儀式を『結婚』に見立てたいらしい。万年不在の牧師に変わって、力強い女の声が響く。

「我々は英雄ラウレグを称える。我々は敵に立ち向かった汝の勇姿を忘れない。我々は我らの友誼が永久に続くことを願う」

 聞き飽きた、歯が浮くような口上を女が読み上げる。おれはそれが少々癇に障った。なにが英雄だ、なにが友誼だ。おまえらがおれに抱く感情は、せいぜい恐怖ぐらいのものじゃないか。    

 確かに、おれ達はこの国のために戦った。信じられないくらいの奮戦もしたのだ。だがけっきょく敗れて、この国は侵略者どもの領地になった。負けたことを責められるなら未だ許せる。だが彼らはおれを恐れ、この古城に閉じ込めた。殺しも生かしもせず、欲望が擦り切れて無害な白痴になるのを首を長くして待つ事を選んだ。

やれやれまったく、このおれ様も落ちぶれたものじゃないか。怒りに任せて村を焼き払うぐらいの真似は……いや、鎖と枷とで繋がれたこのざまじゃ、それも適わぬ妄言か。事実として、おれは敗者なのだ。ならば俘囚の身もやむを得まい。だがそれにしたって、頼んでも居ないのに供される、この生け贄どもはどういうことだ。ああ、やっぱりふざけてやがる。あいつらはおれのことを、てめらのために血を流したおれ様を、昔話にで出てくる怪物かなにかと勘違いしてやがるんだ。

「その、すまない。無作法があったのなら、詫びさせてほしい」

 高ぶるほどに荒くなった鼻息が、トウラと名乗った娘を怯えさせてしまったらしい。

「他にも言わなければならない事があった気がするが、らしくもなく緊張してしまってな。その、端的に言えば、口上も段取りも、なにもかも忘れてしまった」

 怯えて口を閉ざす者、暴れて爪を立てる者、今まで色んな贄が居たものだが、恥ずかしそうにはにかんだのは、この女が初めてだった。

「とりあえずは、そなたの好きにしてくれ。村の長が並べた美辞麗句も、けっきょくはこの一言に尽きるのだろう。英雄ラウレグ――わたしは汝の供物だ。ここの運び入れた肉と酒と同じく、煮るなり焼くなり、好きにすればいい」

 すばらしい。年端もいかない小娘とは思えない堂々とした言動だ。ただ額には汗、目には油断ならない光。虚勢を張るのはまだまだ下手くそと見える。だがまあそれはどちらでも構わない。おれはの寝覚めの安らかな時間を、邪魔する権利はおまえにゃ無い。

「帰れ」

「は……?」

「トウラと言ったな。帰って、村人に告げろ。おれは生け贄なんて求めちゃいない。毎度毎度言ってるはずなんだが、ご機嫌伺いなら、自分らで直接来ればいいのだ。幸いここは神聖な場所だ。問答有無用で八つ裂きにしたりはしないから、一族郎党ともども安心して訪ねてこい」

「それは、わたしに魅力が足りないからだろうか?」

 空いた口が塞がらないとは、こういうコトか。いったいぜんたいどうしてそういう発想に至るのか、年頃の、それも高貴な出の女というのは、相も変わらず理解の外にあるらしい。

「いや、おれが言っているのはだな、そういう事じゃなく……」

 言い切る前に、衣擦れの音が響く。なんだが嫌な流れになってきた。見立て通りの白磁の肌が、おれの目前にさらされていく。開いた口が塞がらないのだから、止めようもないわけだが。

「年頃の娘としては、わたしは欠けたる所の多い人間だと思う。家事はからっきしであるし、読み書きはできるが詩文には疎い。けれどこの身体だけは違うと、言い切ってしまうのは傲慢だろうか。あなたに捧げられることだけを想い、清められてわたしはここに在るのだ。だから、その、好きにしてくれないと困る。わたしの役目が、果たせなくなる」

「ああわかった、わかった! 綺麗な身体だね、おもわず齧り付きたくなるよ! これで満足か? 気が済んだらさっさと服を着ろ!」

「言葉だけでは何とでも言える」

 不貞腐れたようにトウラは言った。いっそ娘の思惑どおりに、悪逆非道の暴君として振る舞ってやろうかとも思う。なにも欲望がないわけじゃない。全盛期よりは衰えたとは言え、人並みに下腹に渦巻くものはあるのだ。それならばいっそ、とも思うが、けっきょくのところ、目の前の女はガキすぎる。ほら、深呼吸をしてみりゃ自明のことさ。とてもじゃないが、寛大で雄大なおれ様に釣り合わん。

「へっくちゅ!」

 ただクシャミの愛らしさは認めてやろう。タイミングも悪くはない。おれが致命的な一言を繰り出す前に、女の方から助け舟を出してくれたわけだ。

「とりあえず娘よ、服を着ろ。山の朝は冷える、風邪ひくぞ」

「その言葉に、甘える事にする。とりあえずは、だが」

 憮然としたまま、ふたたび衣装を身に纏う。とにかく、これでやっと話もできるというもの。

「トウラよ、このままでは平行線だ。議題を変えるとしよう。おまえの目的はなんなのだ?」

「ラウレグよ、それは先にも言った。供物としての役目がまっとうできるなら、わたしは他になにも望まない」

「おれはおまえが何のために己が肉体を捧げるのかと聞いているのだ?」

 おれがこんなにも心を砕いてるにも関わらず、娘ときたら困惑顔で首を傾げるだけだった。いや、雄大なおれ様としては、然るべき寛大な心で接してやるべきなのだろう。

「名誉だとか金だとか、人間なら色々あるだろう? 場合によってはおれはそれを手助けできるかも知れん。だからほら、恥ずかしがらずに言ってみろ」

「そう言われてもな……」

 長い思案のあとで、女はやっと言葉を接いだ。

「難しい質問だが、有り体に言えば家族のため、というコトになるのだろう」

 それはなかなか想像力を掻き立てられる答えだった。幼い妹の代役として立候補したとか、病弱な父の薬代を稼ぐためだとか、あるいはもっとシンプルに、みんなまとめて人質に取られているとか。なんにせよ、そういう惨めたらしい背景が、家族という理由には宿りがちであろう。

「村の連中が憎くはないのか?」

「そうだな、思う所はあったが、どちらかと言えば――、可哀想、だと思う」

「自らを追いやったものに同情するか。はん、だとしたおまえはとんだ聖人君子だな」

「それくらいに、ラウレグよ、そなたは恐れられているというコトだ」

「にしたって独りぐらいはおれに挑む奴が居てもいいと思うがね。そりゃそれなりに抵抗もさせてもらうが、なにもおれは不死身ではない。勝てば今度はそいつが英雄だ」

「そなた自身が恐れられているというのも間違いではない。ただ、村人たちがほんとうに恐れているのは、そなたに宿った『呪い』の方なのだ」

 その話は初耳だった。いや、厳密に言えば、ずっとむかしに誰かが似たような戯言をぬかしていた気がする。

「荒涼たるラウレグを殺した者には呪いが降り掛かる、その者は子種を失くし死後祀られることなく地獄を彷徨う」

 娘は続けた。呪いは当時者のみに発現するわけでなく、その死に携わった万人に及ぶのだと。それを恐れて誰もおれを倒そうとはしないのだと。やれやれまったく、これは何とうか――

「ひどい言い掛かりだ。おれは確かに敵を倒す術には長けてるが、呪いなんてモンには頼らんよ。腕力があればすべて事足りる。死んでもその主義を曲げる予定はないぜ」

「まさか」

「ここで嘘を吐いても仕方あるまい」 

「ううむ――だが、みなが信じている以上、呪いはやはり呪いとして、有効に機能しつづけるに違いない。それがたとえ嘘であっても、今となっては同じことだ」

 どうも最近の若いモンは物分りが良すぎるようだ。諦めと忍耐は老人だけの特権だというのに、むやみやたらと、そんな味気ない地獄に飛び込みたがる。

「なら、おまえが変えればよいではないか。村に帰って事実を伝えれば、少なくとも生け贄のことが有耶無耶になるぐらいの、大騒ぎにはなるだろうよ」

「冗談は止してくれ。もしそんな事をすれば討伐隊が組織され、この城は囲まれる。それでそなたにいったい何の益があるというのだ?」

「それでもう口煩い小娘の相手をしなくて済むなら、おれにとって充分過ぎる益だがね」

「そなたという奴は--ッ!」

 顔を真っ赤にして拳を振り上げる。まったく感情が素直な奴は、からかうのが楽しくて困る。疎ましかったはずのやり取りが、いつのまにか、終わらせたくないものに変わりつつあった。

「そなたは、なんと言うか、あまり悪役らしくないな」

「落胆させたなら謝るが、なにもおれも好きでやってるわけじゃないからな」

「だが、今まで供された贄たちはどうしてきた? 逃げ帰ってきた者も居たと聞くが、さすがに皆が皆というわけであるまい」

「半分は逃げろと言ったら逃げたさ。素直なモンでね、怖い顔して怒鳴りつけたら一目散さ」

「では、わたしのように逃げなかった者はどうなった?」

 しばしおれは迷う。なにせあまり楽しくない思い出だ、蓋をしておけるならそれが一番いい。だが隠した所で、その事実が消えるわけでもなし、嘘を吐くのも、それほど楽しい結果を招くとは思えなかった。だから目前の娘に、容赦なく厳しい現実を突き付けてやる。

「止める間もなく、毒を煽って死んじまったのさ」

 口にしてからチクリと痛む。止めようとしても止めれなかった。おれの人生ではその手の悲劇が、人よりも比較的多い傾向にある。

「――そうか。わたしも辛くなったら飲めと言われて、散薬を渡された」

 口を引き結んで、目を伏せる。思えばそれはおれが忘れて久しい黙祷という儀式だったのかも知れない。やがて、それも終わる。

「逃げるか、死ぬか。ほんとうにそれでぜんぶなのか? 今まで供されてきた娘たちはみな、そうまでしてそなたと関わることを拒んだのか?」

 それを聞かれると胃が痛い。逃げもせず、死にもしなかった娘たちは、居るには居た。しかしなんというか、やましいことはないのだが、明言すれば誤解を招くに違いないので、できれば蓋をしておくに如くはないのだが。

「なぜ黙っている? 何かわたしにバレると不都合なことでもあるのか? やはりそなたは」

 日の高さを確認する。そろそろ朝飯の用意ができる頃合いだ。ならば援軍の到来は遠くない。ほら、耳を澄ますまでもなく、神聖なる堂内をドタバタと、慌ただしい足音が響いてき。

「おとーさーん!! おーはーよー!」

 騎馬隊の突撃よろしく、凄まじい勢いで少女はおれの背中に飛びついた。ぐふう等という異音が口から漏れるのも致し方あるまい。首に手を回して、そのまま少女はおれにぶら下がる。

「ああ、レンよ。よりにもよっておまえが来るか。なんておれは幸運なのだ、運命の女神がいれば感状を渡したいくらいだよ」

「だって、おとーさん起こすのはぼくの仕事だよ?」

 短く切った金髪が小さな四肢と一緒に左右に揺れた。元気印の馬鹿娘には皮肉など通じるわけもない。だが分かっていても言いたくなる状況というのはある。今がまさしくそれだった。

「ラウレグよ、今、その子がそなたのことを父と呼んだ気がしたが」

 急激に、おれを見る目に侮蔑の色が宿っていく。そうだな、一般的に言えば、あまり健全な状況ではない事には違いない。それにレンの格好もよくない。白と黒の対比が眩しいエプロンドレス。つまるところのメイド服だった。然るべき長さであるべきスカートも、動きやすいからとの理由で膝上まで折られ、隙あればドロワーズが見切れてしまう有様だった。

「我が娘のレンだ。色々言いたい事はあると思うが、まァ仲良くやってくれ」

「本気で言っているのか?」

「ああ、どうかな、多少なげやりな気持ちはあるが」

「おとーさん、この女のひと、だれ?」

 背中から飛び降りると、レンは興味津々といった様子でトウラに近付いていく。

「トウラと言う。さきほど生け贄として、やって来たばかりだ。よろしくな、お嬢さん」

 膝を折って、視線の高さを合わせ、その頭に手をのせる。なかなかどうして、子どもの扱いは巧みであるのかも知れない。やはり妹か、弟だかが居るのだろうか。

「じゃあぼくの方が先輩だね!」

「ああ、まあそうと言えなくもないが」

 返事を聞くやいなや、レンは嬉そうにクルクルと回りはじめる。

「やったよ、お父さん! はじめての妹ができたよ!!」

「そうか、良かったな」

「ほほーい!」

 レンの回転数が上がる。比例するように、トウラの眉間に刻まれた皺が深くなる。そろそろ説明してやらねば、取り返しの付かない誤解を生むことになるだろう。面倒くさいがやむを得まい。

「おまえが登ってきた山道を別にすれば、この城と村とを繋ぐ道はない。東の方からはよく陽が入るが、肝が冷えるくらいの断崖絶壁。眼下には長るるは広大なるイレの大河だ。いわゆる難攻不落と、戦争してた頃は、ここはそれなりに有名な城だったのだよ」

「要領を得ないな、ラウレグよ。それとこれとが何の関係がある?」

「まァ最後まで聞け、トウラよ。ここは外界と隔絶しているが、人が住めないわけじゃない。城壁の内には他にも倉庫もあれば居館もある。だから逃げろと行っても逃げず、自ら毒も飲まず、帰る場所も待つ人も居ない者たちは、ここにそのまま住むことを選んだとうわけだ」

「ぐええ、気持ち悪いよー、おとーさーん」

 回りすぎたレンが、視界の端でえづいていた。かまってやる余裕が、今のところはない。許せ娘よ。あと頼むから吐くなら外でやってくれ。

「それがあの子がここに居る理由だ、それだけの話だよ」

「なるほど、道理ではあるが、いま一つ納得がいかぬ」

「なぜだ、どこにも不審なとこはあるまい」

「いや、幼き子に自らを父と呼ばせている。その酔狂が、いま一つ納得いかぬ」

 そうだなと、頷きそうになるのをすんでの所で押し留める。しかしその理由をおれに聞くのは筋違いというものだ。なにも強制したわけじゃない。レン達が勝手に、おれを父と呼びはじめただけなのだ。だがその弁明で納得させる自信が、おれにはなかった。結果としての気まずい沈黙である。さて、万策尽きるという言葉は好きではないが、この場合はいかにも相応しい。

「私たちがそう呼びたいから、そう呼んでいるだけですわ」

 日頃の行いの賜物か、いいタイミングでちょうどいい娘がやってきた。ツカツカと響くその足音一つとっても、知性の息吹を感じさせる。いや、それは褒めすぎにしても、彼女こそは我が娘のなかで最年長、唯一世間さまに出しても恥ずかしくない常識を備えた存在である事には違いない。銀縁眼鏡を光らせて、自慢の長女はおれの言いたいことをズバリと言ってくれる。

「あなたが思うような不埒な理由は、少しもございませんことよ、赤毛のお客さま」

 着ているのは同じメイド服でも、受ける印象はレンとは真逆だ。豊かなブロンドはまとめてブリムに包まれ、すらりと長い脚を覆うのは皺一つないロングスカートだった。

「待ちわびたぞ、サレイ。ちょうどおまえの顔が見たかったんだ」

「あら、お父さま、今朝はずいぶん機嫌がよろしい様で。やはり女性は新しければ新しいほど、殿方としては嬉しいものなのでしょうか」

「おまえはおれに厳しい、それだけが唯一の欠点であるな」

「あら、私が厳しいのではなくて、他の子たちが優し過ぎるのではなくて?」

 そうかも知れない。飯も風呂もここに居れば娘たちが勝手に世話してくれる。おれがそれに甘えているというのも、否定できない事実ではあった。

「朝食の支度をさせて頂きます。お客さま、あなたはどうされるつもりです?」

「今のところ腹は減っていないな。気遣いには感謝するが」

「そうではなく、あなたは逃げるのか、それとも残るのかと聞いているのです」

 唐突にも思える二者択一。しかしけっきょくの所、サレイは正しい。おれ達が先伸ばしにしていた結論は、畢竟どちらにならざるを得ない。さっきからそれを避けてるから、話が一行に進まないのだ。不安そうな顔でトウラがこちらを見ている。おまえが決めることだと、首を振って答えを促す。

「わたしは贄としてこの城を訪ねた。かつてこの国を救った英雄は、今では悪逆非道の怪物として娘を喰らうと、そう信じていたからこその、覚悟と準備をしてきたつもりだった」

「ひどい言い草だな。まァいまに始まった事ではないが」

「だがそれも今ではよく分からなくなてしまった。ラウレグよ、そなたの趣味には辟易している。メイド服も父親気取りもどうかと思う。だが、そら恐ろしい龍の懐は、わたしが思っているよりかは、もしくは暖かいのかも知れない」

 無骨な花嫁は、胸に手を当てて息を大きく吸い込んだ。それを見ていたおれ様までもが、妙に胸の奥がざわめきやがる。ったく、なんてザマだろう。地獄のみんなが見たら何と言うやら。

「わたしはここに残る。残ってそなたを見極める。悪であるのか善であるのか、そう単純ではないにせよ、今しばらくは、そなたの傍に居させてほしい」

「そうか」

「お父様、そうかでは分かりません。新婦さまも戸惑っておいでです」

「うむ」

 サレイに言われて頭を巡らせても、気の利いた言葉ひとつ出てこない。というのも、実はおれ自身の気持ちの整理が付いていないのだった。喜ぶべきか、悲しむべきか、怒るべきか。よくわからないまま、まァとりあえず――

「おまえの好きにしたらいいさ」

 無責任な一言を口にした。それを受けて、トウラは頬を綻ばせる。

「感謝する、ラウレグよ。ただできれば、服装ぐらいは好きにさせてほしいものだが」

「トウラちゃん、お胸大きいものねー!」

 いつのまにか復活していたレンが壮絶に突拍子もないことを宣う。これはその、とか言いつつ恥じらう様を見れば、やはりトウラも年相応の娘なのだと感じてしまう。どれだけ覚悟を重ねても、悲壮な使命を背負っても、彼女の瑞々しい感情を覆い切るには至らない。

「こら、レン、馬鹿なこと言ってないで、準備するのを手伝ってちょうだい」

「はーい」

 娘たちの手でそそくさと食卓の準備が整っていく。長机にクロスが引かれ、その上にテンポよく銀の食器が並び、今朝届けられたばかりのフルーツが、美しく切り分けられていく。

「わたしに手伝えることが、何かないなだろうか?」

「よしておけ。どうせ明日から嫌ってほどこき使われる。今日ぐらいはゆっくりししておく事だな」

「そうか、では、明日から頑張るとしようか。なにせわたしはここでは一番下っ端であるらしい、上には厳しそうな姉と、ぐるぐる廻る妹がいる」

「いや、実はもう一人、ルルという娘が居るのだが。まだ寝ているのかも知れないな。少しのんびりした所のある奴だから――」

「呼んだ?」

 祭壇の下から立ち上がったとうよりも、生えてきたと形容するのが相応しい。それくらい唐突に、ルルはそこに存在していた。逆光を受けて、藍色の髪がより深く染まる。ただ少しも威圧感がないのは、人徳というべきか、年中眠そうな目のせいというべきか。

「ん、ルルだよ、よろしくね、トウラ」

「なぜわたしの名を?」

「なぜって、そうだね、聞いていたから、かな」

 昨日は真っ白だったエプロンは、今ではすっかり埃だか煤だかに塗れてしまっている。まさかとは思うが、こいつは一晩中祭壇の下にもぐって、何かしていたという事だろうか。

「いけない!」

 サレイが手をぱちんと叩いて、ルルの方に駆け寄ってくる。どこからか取り出したハンカチで、顔について汚れを優しく拭ってやる。

「ごめんなさいね、ルル。わたしが昨日、礼拝堂の掃除をお願いしたから」

「ん、くすぐったいよ、サレイ」

 なるほど。それで夜通し磨いていたという訳だ。祭壇だけを、天井を映すほどの輝きを持つまで。きっと裏側までその調子なのだろう。融通は効かないが、言われたことを徹底してやる。それはルルの才能とも言うべきものだった。今回の場合は、時間と場所の指定をしなかったのが事故の原因というわけだ。けどだからってサレイが責めを負う理由もないのだ。なにせ当のルルは楽しそうだった。表情の変化は乏しいが、何かの作業に従事している時の彼女は、確かにいつも静かな満足感を得ているよいうに見えた。

「なんというか、ラウレグよ、そなたの娘たちは、実に愉快であるらしい」

 はん、必死に言葉を選んだ結果がそれとは、なかなどうして笑わせてくれる。だが我が娘よ、おまえは一番大事なことを忘れてしまっているぞ。

「今日からおまえも、その愉快な連中のひとりであるがな」

「はは、言われてみれば、そういう事になったのだったな」

 屈託なく笑ったかと思えば、一転して思慮深げに、トウラは視線を彼方にやった。

「今朝までは、そんなことは思いもしなかったのだが」

 曲がりなりにもここは牢獄だ。見晴らしのいい窓なんてありゃしない。それでも故郷の方を見つめてしまうのは、人の性というものだろうか。どこか遠くで、誰かがラッパを吹いていた。晴天の空に相応しい陽気なメロディーだ。それに耳を傾ける女の顔は、なぜか悲しい。

「伯爵に子どもが生まれた。今日はそのお祝いの日なんだ」

 聞いてもいないのに、ぽつりと口にする。それから食事の準備ができるまで、待ってはみたが、その話につづきはないようだった。

 ごちそうさまの後で、三発の空砲が響く。下界の祭りは佳境を迎えたらしく、乾いた風が乱調子の歌声を運んできた。どこかで口ずさんだことぐらいはあるのかも知れない。それは英雄を称える凱旋の歌だった。

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