第3話 燻っていた想い


 休み時間、遥にいろいろと質問されて気づいたことが一つある。

 桜の精に恋をして、晴れて恋人同士になったのはいいが、自分が桜の精という妖について何も知らないということだ。そもそも、妖についての知識自体が少ない。

 昼休みには「学校が終わったら早く来てね!」と桜の精が再び現れ、嵐のように去って行ったものの、行って何を話せばいいのだろうか、と今さら戸惑いが生まれた。


(いやいや。単に関係が変わっただけで、これからは普通に話もできるし、妖のことも本人に聞けば早いんだろうけど……)


 話すにしても、少しくらいは知っていたほうがいいのではないか。知識があればまた違った角度で話ができそうだ。

 そう思い、用事があるという遥とは別れて一人で図書室に向かっていた。


 この学校の図書室は離れにある二階建ての建物で、一階は食堂となっている。

 一階は昼間なら生徒も多いが、今は奥で片づけをする職員がいるくらいだ。

 階段を上って図書室の入り口で靴をスリッパに履き替える。

 入ってすぐの受付には司書がいるはずだが、今は席を外しているようだ。カウンターに置かれたメモには「三十分ほどで戻ります」と書かれている。

 今は利用者もいない上、十和もすぐに出るつもりはないので問題はない。


(妖についての本ってどこだろ……)


 本はジャンルごとに別けられているものの、どのジャンルに入るのかが分からず、手前の本棚から順に見ていく。

 利用者が少ないとはいえ、さすがは図書室とでもいうべきか、数が多くて目的の本がなかなか見つからない。本棚も天井近くまであるため、上にある本を見るときは首が少し辛くなる。

 そして、一番奥の本棚の上から二段目に『日本の妖辞典』という厚めの本を見つけた。

 様々な人に読まれてきたのか、背表紙は上の部分が少し捲れていたり、やや色褪せている。


「……あ、あれ?」


 爪先立ちで手を伸ばせば棚に手は届く。だが、肝心の本には指先が少し掠める程度で取れない。

 これは何処かにあるはずの足場を持ってくるしかない。

 そう思って振り返った十和だったが、視界が何かに覆われて固まった。


「これ?」

「っ!? ……あ、りがとう」


 悲鳴を上げなかった自分を褒めてやりたい。

 いつの間にか、背後には一人の男子生徒がいた。十和の後ろから本に手を伸ばし、代わりに取ってくれたようだ。

 初めは誰かと思ったが、顔を見ればよく知っている人だった。

 同じクラスの奥井おくい一誠いっせいだ。彼とは中学の頃から同じで、たまに話すことはあるが用がなければ関わることはない。

 差し出された目的の本を受け取りながらぎこちなく礼を言えば、彼は漸く自分が驚かせたのだと気づいた。


「あ、ごめん。びっくりした?」

「うん。全然気づかなかった。いつからいたの?」


 足音はもちろん、気配すらしなかった。まるで、妖が現れたときのように。

 本に目を落とせば、墨で描かれたような鬼や河童などの妖のイラストが大きく表紙を飾っていた。

 まだ早鐘を打つ心臓を宥めつつ、十和は一誠を見上げて問う。


「ついさっき。ほら、俺、図書委員だし」

「そっか。そういえばそうだったね」

「当番っていうの部活のほうに言い忘れてて、伝えてから来たんだよ」


 司書がいないのはともかく、図書委員を見ていなかったと今さら気づいた。普通は二人一組のはずだが、もう一人も遅れてくるのかもしれない。

 すると、一誠は先ほどの様子を思い出したのか可笑しそうに笑った。


「でも、びっくりした。暇だし本でも読んでようと思って回ってたら、綾崎が必死に本取ろうとしてるし」

「わ、忘れて……」

「えー。可愛かったのに」

「からかわないでよ」


 桜の精に言われた言葉を思い出してしまい、恥ずかしさが込み上げる。

 だが、目の前の一誠の雰囲気が変わったことに気づき、逸らしかけた視線を一誠に戻した。


「ど、したの……?」


 なんとか絞り出した声はやけに弱々しかった。

 しかし、静かな図書室で相手に聞こえるには十分だ。

 十和を真っ直ぐに見つめる一誠に先ほどまでの笑顔はない。


「なぁ、今朝のって本気?」

「え?」

「あの変な妖が言ってたこと」

「あー……」


 どうやら一誠もしっかりと見ていたようだ。最も、同じクラスにいれば嫌でも視界に入っただろうが。

 あれから、出会う人に「本当に付き合っているのか」と散々聞かれたため、その質問にも慣れてきた。

 そして、肯定するたびに自身の想いが変わらないのもよく分かった。

 女性じみた性格や口調はともかく、本質は好きになった彼そのものだ。所謂「オネエ」というだけで気持ちが変わるようなものでもない。


「……うん。そうだよ」

「っ!」

「性格は……見てのとおりあれだけど、でも、基本的に優しいし、意外としっかりしていたりとか……とにかく、もっと一緒にいたいって思ったの」


 過ごした期間は短い。それでも、彼を好きになるには十分だ。

 これまでを思い返した十和の表情は柔らかく、本当に好きなのだと、一誠は自分で聞いておきながら後悔した。

 悔しさを殺すように俯いて両手を握り締める。けれど、言葉はそれに反して素直に気持ちを出した。


「……が、……のに」

「え?」

「俺のほうが、先に綾崎のこと好きだったのに」

「……うん? ……はい!? え、ちょっ……!?」


 一瞬、何を言われたのか理解できず、間の抜けた顔をしてしまった。

 しかし、理解してすぐに視界を覆うほどの桜吹雪が舞い、十和を包み込んで一誠から引き離す。

 何事かと驚きを隠しきれない十和だったが、横から包むように現れた桜の精を視界の端に捉えた。それに伴い、桜の花びらは少しずつ消えていく。


「ほら、やっぱりそう」


 予見していたかのように、桜の精は警戒心を剥き出しに零した。

 一誠を見る目は鋭く、十和は初めて見る桜の精の表情と行動にどうすればいいのか、何故、彼がここにいるのかと戸惑うばかりだ。

 だが、彼は十和を離すまいと抱きしめる腕に力を入れ、いつもより少し低い声で言った。


「ごめんなさいね。この子、もうアタシのだから、諦めてちょうだい」

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