第2話 実った恋と散った恋
「――で? 例の『桜の精』さんとはどうなったの?」
「……はぁ」
翌日、学校に行った十和は、幼馴染でありクラスメイトでもある
彼女には告白相手である青年……「桜の精」と出会ったときから話をしていたため、今回の告白についても勿論知っている。
ただ、溜め息を吐いた上にどこか落ち込んだ表情から、遥は良い返事ではなかったのかと思い、十和の肩を優しく叩いた。
「ま、相手は百歳近い妖なんだし、そんなに落ち込むことないよ。妖が駄目なら人間の男だっているでしょ」
「なんか、それって私が遊んでるみたいな……」
「視野は広く持とうって言ってるの」
何も恋ができるのは人生に一度ではないのだ。
終わった恋をいつまでも引きずっている場合ではないと言いたいのだろうが、彼女には一つ訂正をしておかなければならない。
「うん。それは、分かったんだけど……その」
「なに?」
「フラれてないよ?」
「…………」
遥の表情が凍りついた。
周りのクラスメイトの会話が大きく聞こえる中、我に返った遥は怪訝な顔をして言った。
「……夢の話?」
「ちょっと待って」
何故、フラれることが前提になっているのか。
しかし、遥は告白がうまくいくことを考えていなかったのか、「信じられない」といった顔で十和を見ていた。
「だって、妖でしょ? 言葉の壁は?」
「なんか、告白したら分かるようになったみたい」
あれから、桜の精はよく喋っていた。今まで通じなかった分、いろいろと言いたいことがあったようだ。
告白をしてくれたことの喜びから始まり、来てくれるのは嬉しいが暗くなる時間帯は危ないだの、紫外線はまだ強くないが外に出るならちゃんと日焼け止めを塗れなど、本当に妖なのかと疑いたくなるようなものまで。
十和は饒舌な桜の精に圧倒されつつも、彼の本当の姿を見ることができたようで新鮮だった。
唯一、彼の口調と性格だけが、予想を上回りすぎて未だに受け入れきれないのだが。
「地の縛りは?」
「あー……あれね」
「解けたわよ」
ふわり、と十和の周りでどこからともなく現れた桜が舞い散る。同時に鼻腔を擽ったのは、桜の優しい香りだ。
後ろから包むように回された腕が肩に軽く乗る。
驚いて目を丸くしているのは目の前の友人だけではない。
「アタシの話をしている気がしたから、来ちゃった」
「『来ちゃった』って……」
「え? 嘘。例の……?」
呆れる十和と違い、遥は愕然としたまま確認するように言う。
それに答えたのは十和ではなく、彼女に抱きついたままの桜の精だった。
「いつも彼女がお世話になってます。恋人の桜の精です」
『…………』
教室内が静まり返った。
穴があったら入りたい、と頭を抱えた十和をよそに、桜の精は目を瞬かせて小首を傾げた。
直後、教室内に驚きの声が響き渡った。
『ええええええ!?』
「わぁ、みんな元気ねぇ」
「いや、違うと思う……」
どう見ても驚いているのだが、これも人と妖の感性の違いなのだろうか。
桜の精は十和から離れる様子はなく、廊下を見れば他のクラスの生徒も何事かとこちらを見ている。中には桜の精に気づいて、「あれって妖じゃない?」「今、恋人って言わなかった?」と話す声もあった。
「あれ? でも、『桜の精』って、妖としての種族名でしょ。名前はまだない感じ?」
妖にはそれぞれ種族がある。桜の精というのはあくまでも種族名。位の高い妖や人と結ばれたことのある妖は個別の名前を持つ。
ただ、十和は彼に名前が既にあるかどうかは確認していなかった。
「……昨日の今日だから聞いてなかった」
「ちょっと彼女」
「恥ずかしいからやめてよ」
「照れちゃって可愛いわね」
「ちっ、違うし」
そこは怒るところではないのか、と思いつつも、下手に言えば目の前でにやにやとしている遥に冷やかされそうだったので言葉は飲み込んだ。
また、周囲からの好奇の目が痛い。
人と妖との恋は成人した人か、早くても大学生がほとんどであり、高校生では珍しいのだ。
曰く、高校生以下は、妖からすれば幼い子供のようで対象にはならないとか。大学生も高校生もあまり変わりない気もするが。
時計を見た十和はもうすぐ授業が始まると気づくと、回されたままの腕を軽く叩いた。
「ほら、先生来ちゃうから離れて」
「えー」
少しだけ顔を後ろに向けて見れば、思いの外顔が近くにあってすぐに前を向く。
眉尻を下げた桜の精は、どこか捨てられた子犬のようで良心が痛む。
告白して、言葉が分かるようになってから知ったのは、彼は意外と頑固な面があるということだ。以前は言葉の壁のせいでうまく伝えられなかったのもあるだろう。
昨日も、帰ると言った十和に「危ないから送らせて!」と着いてきて、すぐに帰るのかと思えば「もうちょっとだけ一緒にいたいし、ご家族にも挨拶をしないと」と両親や兄と挨拶をするまでもやってのけた。
しかし、ここはあくまでも学校だ。昨日のように押し切られるわけにはいかない。
「これから授業だし……」
「じゃあ、見学するわね」
「だめ」
「どうして?」
桜の精のほうが長く生きているはずだが、やはり人間社会についてはあまり分かっていないようだ。最も、彼は今まであの神社の傍らにいたのだから、当然といえば当然だが。
どう言えば納得して帰ってくれるのかと十和は言葉を探す。
「授業を受けられるのは基本的に学生だけなの。それに、先生に怒られるかもしれないし……」
「先生に許可を貰えばいいのね?」
「多分、無理だと思うけど……」
妖がこの教室にいたことはない。人と妖のハーフはいるが、それも学年で一人か二人くらいのレベルだ。
しかし、そのハーフの親である妖も、来るとしても学校行事くらいだろう。
すると、十和の前で様子を窺っていた遥が不思議そうに言った。
「ねぇねぇ、桜の精さん」
「なぁに?」
「なんでそんなに十和から離れようとしないの?」
ここまで拒否されれば折れそうなものだが、彼はまったく引き下がる気配を見せない。
遥は言ってから「惚気られたらどうしよう」と心配しつつ、きょとんとする桜の精の返答を待つ。
宙へと視線を移した桜の精は、小さく「そうねぇ」と呟くと遥を見て困ったように微笑んだ。
「今まで側にいたくてもいられなかったの。だから、少しでも一緒にいたくて……」
「十和」
「え、私!?」
桜の精は悪気があったわけではない。ただ一緒にいられることを喜んで、今までいられなかった分を少しでも埋めたいだけなのだ。
儚げな雰囲気を纏う桜の精は見る者の同情心を引き寄せる。
責めるような視線を向けられた十和は、友人のまさかの裏切りに項垂れた。
すると、それまで動くことのなかった桜の精がゆっくりと離れていった。
今度は十和が首を傾げる番だ。
「え……?」
「分かったわ。困らせちゃってごめんなさいね? 授業が終わるまで、外で待ってるから」
「あ、う、うん。ありがとう……うん?」
振り向けば、桜の精はどこか悲しげに微笑んでいた。
しかし、あれほど渋っていたというのに、何故、急に離れたのかと逆に疑問に思ってしまう。
何にせよ、納得してくれたならいいのかと礼を言った直後、桜の精の和服が視界を覆い、頭に柔らかい何かが触れた。
再び視界が開けると、代わりに映ったのは赤面している周囲の女子だった。
「虫除けね」
してやったり、と口元に人指し指を当てて不敵に笑んだ桜の精に心臓が高鳴った。
桜の花びらを舞い散らせながら姿を消すと、クラスメイトが十和に何かを聞こうと近寄る。
だが、それを阻んだのは始業のチャイムだ。
「はいはい。みんな、解散ー」
「た、助かった……」
次の休み時間はすぐに教室から出ようと決めつつ、十和は机に倒れ込んだ。
そんな自分の姿を、複雑そうな表情で見るクラスメイトには気づかずに。
校庭の端にあった大きな木の枝に乗り、校舎を眺める。
十和のもとに現れた理由に嘘はついていない。
しかし、妖である自分が人間社会に混じろうなど、迷惑を掛ける可能性が高いため、本当は来る気はなかった。
それでも来たのは、少し引っかかるものがあり、それが何かを確認するためだ。
「仕方ないとはいえ、あの様子だとまだ気は抜けないわね……」
桜の精の脳裏に浮かぶのは、十和に抱きつきながらも周りを見ていたときに気づいた一人の生徒だ。
十和を見る視線は他とは違うものだった。また、自分を見る目にも、はっきりとした敵意が込められていた。
あれ以上、火に油を注いでも何もいいことはないと判断し、十和から離れたのだ。
(浮気とかは心配していないけれど、誰かに手を出されるのは黙っておけないわ)
まして、あちらは学校生活では一緒にいてもおかしくはない人間同士。
十和の心変わりは心配していないのだが、相手が行動を起こして彼女が傷ついたり困惑するのは避けたい。
「伊達に長生きしていないもの。知恵の差を見せつけてあげるわ」
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