女子高生と桜の精の恋模様

村瀬香

第1話 桜の精に恋をします


 古来より、人と妖は共存していた。

 時にぶつかり、時に助け合い生きていく中で、自然と恋に落ちる人と妖も多くいたことから、いつしか日本では人と妖の婚姻を認めるようになった。

 そして、日本のとある町で、人と妖の新しい出会いが生まれていた。


(やばいやばい! 寝坊した……!)


 息を切らせ、全力疾走するのはこの春、高校へと進学したばかりの綾崎あやさき十和とわだ。

 今朝、スマホのアラームの設定ミスという、まるで漫画かと思わせるようなアクシデントの発生によって、家を出る少し前まで熟睡してしまっていた。

 心配した母が起こしに来てくれて寝過ごすことはなかったものの、どうせならもっと早くに起こしてほしかった。

 まだ入学して日も浅く、遅刻をした生徒はいない。

 その第一号という不名誉を賜るわけにはいかないと、学校への道を全力で走っていた。


「……そうだ!」


 通り掛かった雑木林の間にある雑草の目立つ脇道を見て思い出したのは、同じ高校を卒業した兄から聞いた「近道」だ。

 手入れをする者が減ったために伸び放題の雑草の道。そこを進むと、古びた神社があるという。その脇から、すぐに学校の裏手に通じる道があるのだと。

 実際に通ったことはないが、兄も遅刻をしかけたときは何度かそこを通っているため、今も残っている可能性は高い。


(一か八か……)


 どうせこのまま普段の道を通っても遅刻の可能性が高い。ならば、少しでも回避する可能性のある道を選びたい。

 虫は嫌いだが、駆け抜ければなんとかなるだろう。

 肩に掛けたスクールバッグの紐を握り締め、十和は脇道へと足を踏み入れた。

 雑草が地面を覆い隠しそうな道を走ってすぐ、前方に一部が欠けた鳥居が見えてくる。

 長年の雨風に曝され、劣化が激しい鳥居は塗装がほとんど剥げ、少し傾いていた。

 また、鳥居の先の開けた場所……境内には一部が崩れた神社があり、寂しい雰囲気が漂っている。


(って、感傷に浸ってる場合じゃないや)


 鳥居をくぐり、神社を見て思わず足を止めてしまったが、すぐに時間がぎりぎりであることを思い出して兄の言っていた道を探そうと辺りを見渡す。

 そして、境内の隅の方に大きな桜の木を見つけた。


「わ……!」


 伸び伸びと育ったのであろう桜の木は、遅咲きなのか見事なまでの満開だった。

 優しい風に吹かれ、はらはらと舞い落ちる花びらは、この場所の寂しさを忘れさせるようだ。

 思わず目を奪われてしまった十和だったが、ふと、桜の木の枝に誰かが乗っているのを見つけた。


「え。ちょっ、危ないですよ!」

「……?」


 桜の花に囲まれていて見落としてしまいそうだったが、枝から垂れ下がった淡い黄緑の布は服の端に違いない。

 乗っている枝は太いようだが、それでもバランスを崩せばケガをしてしまうかもしれない。

 そう思って声を上げて駆け寄った十和は、しかし、隠れていた人の全貌を見て息を飲んだ。


「…………」

(うわ、超カッコいい……って、え。この人、人じゃない……!?)


 木の枝にいたのは、人間離れした美しい青年だった。見えていた布は、彼が身に纏っていた着物の端だ。

 肩を過ぎる桜色の髪は風に揺れ、空色の目は不思議そうに十和を見下ろしている。

 人間離れした、というよりも、容姿から察するに本当に人間ではない。

 そのとき、兄が言っていた言葉をまた思い出した。


 ――そういや、あの神社に桜の木があるんだけど、そこの妖が怖いくらいにイケメンだから、うっかり惚れんなよ。


 あのときは、妖に恋をするなどありえないと思っていた。

 何故なら、異類婚は認められていても、やはり種族を守るために人と妖の当時の代表者がある取り決めをしていたからだ。


「…………」

「え?」


 青年が何かを言いたそうに首を傾げる。

 だが、十和にその意味が通じるはずもなく、自然と眉間に皺が寄る。

 そのとき、桜の木の奥から学校のチャイムの音が響いてきた。

 まさか、と思いながら、ポケットに入れていたスマホで時間を確認。頭が真っ白になった。


「……ああああ! 遅刻する!!」


 チャイムが五分前の予鈴であると気づいたと同時に、十和は再び駆けだした。

 そんな慌ただしい十和の後ろ姿を見ていた青年は、彼女が先ほどまでいた場所に降り立つと、それまで地面にはなかった物を拾い上げる。


「?」


 手から少しはみ出るくらいの四角く薄い板。先ほどの少女が見ていた物だ。

 横には小さな突起物があり、触ってみると画面が明るくなった。


「!? ……?」


 板に現れたのは綺麗な花の絵と数字だ。

 だが、青年にはこれが何か分からず、また、届けるために彼女を追いかけることもできない。

 「言葉の壁」と「地の縛り」。

 それが、人と妖の異類婚を認める代わりの条件だった。

 青年は小さく溜め息を吐いて板を和服の懐に入れる。

 滅多に人が訪れない場所だが、なんとなく、青年はあの少女が再びここに来るだろうと予感していた。



   * * *



 あの日の夕方、早速、少女は神社に現れた。

 落としていた板もといスマホがないことに気づき、ここにないかと探しに来たのだ。

 青年はほんの悪戯心から最初こそ桜の木に隠れて様子を窺っていたが、次第に曇っていく彼女の顔を見ると慌てて彼女の前に降り立った。

 そして、拾ったスマホを渡せば、彼女は青年の最初の行動など知ることもなく、素直に笑って何かを言う。

 恐らく、拾ったことに対する礼の言葉だというのは何となく分かったが、青年はすぐに出て行かなかったことをひっそりと後悔した。

 それから、十和は神社に訪れるようになった。学校の行き帰りだけでなく、休みの日も来ることがあり、ほぼ毎日のように会っていた。

 相変わらず言葉は分からなかったが、ジェスチャーや表情である程度は分かるようにはなった。

 やがて、二人の中にはある想いが芽生えていた。


((もしかして、これって……))


 顔を見れば嬉しさが心に満ち溢れる。

 何かを伝えようと必死な姿に惹かれ、帰るときには、もっと一緒にいたいと思ってしまう。

 しかし、青年には伝えるための方法が分からない。何と言えばいいのか言葉が見つからない。

 もどかしさを感じていた矢先、それは突然、十和から告げられた。


「わ、私……あなたのことが、好きですっ!」


 ある日の夕方に現れた十和が、顔を耳まで赤く染めながら告げた言葉。同時に、青年の中で鎖が落ちたような音が響く。

 それまで何を言われてもあまり分からなかったはずが、その言葉だけははっきりと聞こえた。


「…………」

「…………」


 二人の間に沈黙が流れる。

 十和が恐る恐る青年を見れば、彼は突然の出来事にきょとんとしていた。

 しかし、すぐに聞こえた言葉の意味を理解し、自分の中で燻っていた想いと一致したと分かると、今度は青年が顔を赤く染める。


「え」

「……っ!」


 予想していなかった反応を見た十和が小さく声を上げたのと、青年が十和の腕を引いて抱きしめたのはほぼ同時。

 そして、青年からの返答が、再度十和の予想を大きく裏切った。


「嬉しい! も同じだったの!」

「…………え?」


 人は見た目で判断するな。

 それは、人に限ったものではなく、妖にも該当するようだった。

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