#3:『差し入れ』

 チョコレートの試食をしてからと言うもの、何だかんだ理由をつけて柏が色々持ってくるようになった。

 飴玉キャンディやら焼菓子クッキーやら揚菓子ポテチやら、本来のカロリー摂取手段と言うよりはむしろ、余計な成分と味を楽しむ贅沢品の類ばかりだ。労働階級にはどう足掻いても手の届かない代物を、治験の名の元で相伴に与っているわけだが、俺が食ったものを研究として再現している風でもない。まるで意図がわからん。

 ――もしや。


「柏、俺は廃棄処分にでもなるのか?」

「ふぇぁ?」


 たまにゴミ処理屋の話を聞く。諸事情で身体を悪くし、仕事を遂行出来なくなったゴミ処理屋どもは、技研や軍事階級の連中に呼ばれる。聞けば食料が余ったから分けてやると。しかしそう言われてついて行ったゴミ処理屋はもう二度と生きては戻ってこない。それはもう使い物にならない労働階級の『廃棄処分』の合図なのだと。

 なら、俺も。こうして贅沢品を貪る俺も、もう用済みなのだろうか。

 言葉にはしなかったが、柏は勘付いたようだ。ふぅ、と溜息混じりに肩を落とし、それからゆっくりと俺を見据えた。深い、思慮と好奇に揺れる鳶色の眼。真っ直ぐに見返して、浅学な頭を働かす。


「死刑囚は死刑前夜に豪華な飯を出されると聞いたことがある」

「んんー? えらくマニアックな知識持ってるな君。でも、市民階級がちょっと頑張れば買える程度の製菓が最後の晩餐だって? 冗談もほどほどにしてほしいね」

「労働階級にとっては神の食い物アンブロシアと言ってもいいんだがな」

「ははぁ、残念ながら市井に溢れているただの食料だ。僕は神の子ハリストスでもヤハウェでもない。僕のお裾分けが君の腹を四十年満たせるわけがないでしょ」


 中々馬鹿にした口調で言われてしまったが、実際俺の言い返す余地がないから困りものである。この柏という男、研究にしか興味がないと思ったら、これで意外と知識が広いのだ。休日に図書館の本をつまみ食いしている程度しか知識のない俺が、言い合いで勝てる相手ではない。……それでもなんとなく挑みたくなるのは男の心情ってものだ。

 さて、柏の言い分が正しいなら、俺はまだ廃棄されないんだろうが。そうなると疑問は振り出しに戻ることになる。何でこんなものを俺に食わすんだ?


「柏」

「これも立派な実験ですー。君には管理栄養食以外の栄養供給で発破の掛かるタイプなんだろうと思ってね。差し入れがあった方が仕事に身が入るだろ?」


 柏はあくまでも淡々としている。実際、辛い治験だの運搬だのの作業が終わった後に甘いものを差し出されれば嬉しいし、最近はそのお陰で随分と仕事が早く終わるようにはなった。

 ――なったが、それを当事者たる俺の目の前で言うか、普通。そりゃあ柏にとっては味なんて全く意味を成していないし、砂糖や塩の配合で一喜一憂する俺なんて滑稽な実験動物のようにしか見えないのかもしれんが。やる気なくすぞ。

 

「あのなぁ、言われたら勤労意欲ガタ落ちなんだが。俺は実験用マウスと違って思考は単純じゃないんだ、報酬系が満たされるだけで幸せなほど馬鹿じゃない」

「あらそ。人間ってのはめんどくさくていけないね」


 ダメだこりゃ。実験馬鹿の柏に共感を求めようとした俺が愚かだった。

 はあぁ、と思わず溜息をつき、手を伸ばした先に触れた焼菓子をつまむ。小麦粉の焼ける香ばしい香りと、中に練り込まれた淡褐色の粒――クルミというらしい――の甘くも渋みを感じさせる香りが食欲をそそった。一口大のそれを丸ごと放り込み、奥歯で噛み締めれば、さくりと軽い音を立てて焼菓子は割れ崩れる。

 もぐもぐと咀嚼すれば、舌の上一杯に広がる甘味とまろやかさ。ああ、如何にも砂糖と乳脂バターな感じだ。堪らん。時々歯に当たるクルミの粒感と噛み潰した時の微かな苦味、それを追いかけてくる素朴な甘さも良い。

 手が止まらなくなるが、もうお目当てのものはない。菓子の広げられていた皿は空になっていた。今日の差し入れはさっきの分で終わったようだ。

 ならばもう用は無い。次の仕事まで少々時間があるが、それでも良いと立ち上がりかけた俺に、奴は声を掛けてくる。


「こんなのが安く手に入る市民階級、興味ないかい」


 警戒信号。自分でも分かるほど表情が強張っていく。


「すまんが質問の意味を判りかねる」

「そのままの意味だ。市民階級に上がりたくなったことはあるかい?」


 裏や腹黒いことを考えている声音ではなさそうだった。治験中の柏はもっと邪悪な顔だし、目がおかしい。けれども今の彼は、何かを案じているような憂いが見える……気がする。彼の邪悪じゃない表情なんて見たことないから、ただの勘だ。

 なら、こっちも腹を探るのは一度止めよう。さっきの問いをもう一度吟味する。

 労働階級から、市民階級へ。それはつまり、生産階級から文化階級に上がるということだ。生きる為にあくせくと汗を流すのではなく、文化的行為に思いを馳せ、それに邁進出来る権利を持てる人間――


「興味はある」


 大体何処の大陸出身でも、労働階級は命の存続に関わる仕事をさせられることが多い。別大陸だと、製造職にいる連中が十二時間ぶっ通しで働かされた挙句、断裁機械に巻き込まれて指や手を断つ、なんてことがざらに起こる。比較的保護の手厚いこの大陸の労働階級ですら、月に一人か二人位は事故で死んでいる。ゴミ処理屋なぞはもっと酷く、週に一人はネズミに骨まで喰われて死ぬと聞いた。

 市民階級はそれが無くなる。興味がないわけあるか。

 俺の回答に、柏は鷹揚に点頭一つ。デスクの抽斗を徐に開け、取り出したファイルを乱雑に投げ置いた。ファイルには『異動申請書』の字が並んでいる。

 成程。次の仕事までの残り時間でこの話をする気だったのか。どうせなら差し入れを食いながら聞きたい話だった――とは、思っても言わない。突っ立ったままだった腰を再び椅子の上に降ろし、柏の顔をじっと見つめる。


「俺は何処から何処に異動させられるんだ?」

「労働階級の治験・運搬職から市民階級の事務職。能力は高いし機械の扱いも得意だから、上がった先としては丁度いいんじゃないかと思ってね」

「……柏、条件は何だ」


 柏は嬉しそうだが、こっちは疑心暗鬼。

 こんな大異動、絶対何かあるに決まっている。無条件の無償で階級を一つ上げた挙句、職の世話までしてもらえるほどこの世界は甘くない。少なくとも、別大陸の連中はもっと悲惨な目に遭いながら此処に流れ着いたのだ。俺だけが良い目を見るなぞ、天地がひっくり返ってもあり得ない。

 すると、彼は気まずそうに視線をあらぬ方へと飛ばし、ファイルをぺらぺらと捲った。その人差し指が、とんとんとあるページの一項目を叩く。


 ――市民権買戻料:二百万

 ――証明証発行料:二百万

 ――就職手当:百万

 ――住居手当:百万

 ――計:六百万


 他にも第三級以上の懲罰を五回以上受けないとか、総労働時間が合計五千時間以上なくてはならないとか、細々と何か条件は書いてあったが、それはいい。俺が大人しく勤め上げていればこなせることだ。

 だから、俺の懸念は一つ。


「要するに、俺の三年分の給料で諸々の権利を買え、と……」

「そう言うことになる」


 六百万。治験を三年こなしてようやく払えるほどの金で、俺は俺の人権を買わねばならないのだ。

 ……しかし、それも正直俺にとっては苦にならない。俺はそこまで趣味や居住環境に金を使うたちではない――初期投資さえしっかりすれば、後の維持にはさして苦心することもないのだ――し、病気や怪我もしないタイプだ。

 要するに貯金がある。今の時点で三百万と少し。一年半今の給料が続けば簡単なことだ。……なら。


「なぁ、俺はいつまでお前に付き合っていられる? この安全な高給取りはいつまで続くんだ」


 どういう状況なのかは知らないが、俺は多分、今のようには働けなくなるのだろう。だから今、柏はこの提案をした。

 俺が問えば、彼は図星を突かれたか。いつになく暗い顔で、低く重く絞り出す。


「半年。どんなに持っても一年後には、僕はこの世にいない」

「治験の後遺症か」


 彼が骨が溶けるほど治験をやらされたことはもう聞いている。それしか原因はないだろう。

 俺の思考を裏付けるように柏も頷いた。


「今までは投薬で何とか出来てたんだけどね。その薬が効かなくなり始めた。薬を変えながら効果の減衰を遅らせてるけど、半年で肝臓の機能不全と薬効が釣り合わなくなる計算」

「移植って手は?」

「既に二十回くらい別の要因で手術してるからなぁ。これ以上お腹開いたら手術中に死んじゃうよ?」


 あっけらかんとして笑う柏だが、俺は笑わない。真面目な提案だ。それに向こうも気付いたか、笑うのをやめて静かに首を振った。

 続く声は、諦めの色が強い。


「本当に無理なんだよ。よしんば成功したとしても目は一生覚めない。それが現実。現実逃避も慰めも要らないよ」

「柏……」

「僕のことより君のことだよ。なるべく君には生き延びて、僕の異動申請を受け取って貰わなきゃいけない。だけど、君の盾になれるような安全な治験を提供出来るのは僕だけだ」

「つい最近までヤバい仕事しか回さなかったくせに何言ってるんだ」

「死期を間近にすると人間死に近いことはしたくなくなるの。それにさ、僕の治験受けて一度でも体調不良になったことある? 無いでしょ。僕は安全性が立証された治験しか君達には頼まないよ。そりゃあ試薬が混ざってるから色はヤバいけどさ」


 他の技研階級は違うようだけど、と。余計な一言に背が寒くなった。

 柏の治験ですら結構俺は怖かったのだ。確かに体調を崩したことはないが、大便は変な色になるわ肌は蛍光するわ、挙句の果てにはそれが二週間くらい続くのだ。いくら身体に害がないと言われても精神的にやられる。だが、他の技研階級は精神負担に加えて肉体の負担も大きいと言う。正直、まともな精神が保てる気があまりしない。

 げんなりする俺へ、柏は諦めろと言わんばかりに首を振った。


「僕が居なくなり次第、君は治験職から降ろす。次の行き先は君が勝ち取りなさい。その程度の自由は許されるし、許されないなんてことは僕がやらせない。そのくらいの影響力と権力はあるから、堂々とワガママ言うといいよ」

「言い合いは自信ないな……」

「なに、僕と言い合いをしようって気概と語彙があれば大丈夫。僕と張り合えるなら大体の技研の連中は言い負かせるよ」


 ――頑張って。


 まるで些事のように軽く言い捨てる柏。そのあっさりとした声音は、自分が死ぬことへの恐怖などまるで無いように聞こえた。

 何処までも彼は技研階級だ。感情は最早死すら超克してしまっている。

 思わず出そうになった溜息と鳥肌を隠しながら、俺は口を貝にして席を立った。

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