第5話

 気絶させておいたゾンビから聞き出した山影の古いバラック郡を見ると、殆どが明かりを消されていた。ゾンビは夜目が効く、待ち伏せかとまだ牛乳の味が残っている唾液を飲みながら、咲哉が向かったのは唯一明かりの点いている家だった。粗末な小屋は何年使われているのか解らないが最低限の補修がしてある。恐らくは集会所の類なのだろうと広さに目をやってから、咲哉はそのドアを開けた。

 中にいるのは黒い武器で武装をしているゾンビ集団だった。楯突くつもりだなと思うとオソレンジャーが鍔鳴る。にぃぃっと口唇を歪ませて、彼は抜刀した。その際に三人ほどを成仏させる、どさりと倒れる音を聞くまでもなく、室内でも小回りが利く打ち刀は次の敵を探す。しかし探すまでもなく敵はまっすぐに、まっすぐにやって来た。年配のそのゾンビの名前を佐藤ドミートリーという。彼はカラシニコフを振り上げるが、その開いた胴に刀を入れられ、ぐたりと倒れる。それから黒服の少年の腕を叩ききったが、こちらは浅かったようで、致命傷にはならなかった。


 ゾンビを倒しているときの高揚感はどこから来るのだろう。いわゆるトリガーハッピーというものなのか、それともオソレンジャーを操るものとしての暗示なのか。こいつらはゾンビだ、殺しても良いと言う、古代の処刑鎌に書かれた文句と同じ作用なのか――汝に罪なし。人間とそう形の変わらないゾンビ達を殺していくのには、それなりの覚悟がなければ挫けてしまう。案外、そういう心の隙間に付け入るために、オソレンジャーは使い手を子供に限定しているのかもしれない。

「ひゃはっ」

 ざくざくとゾンビ達は成仏していく。死んでいく。しかし、咲哉は不思議なことに気付いた。

 誰も撃ってこない。

 ぐいっと線の細い男ゾンビの首に刃を当てながら、咲哉は口を開く。

「――お前達の目的は? これじゃ鴨撃ちだ。武器を持っていながら、どうして抵抗しない」

 まるで。

 まるで殺されるための、動機のようにただ手に持たれている銃火器。

「別に成仏したくないなんて思っていないんだ、最初っから」

「…………」

「可哀想なドロレス。中学生の身空で夢も希望も奪われた彼女が、仲間を集めようとしていた。だから俺達は集まった。あの可哀想なドロレスの為だけに。だから俺達は抵抗しない。する必要も意味もない。彼女を逃がす十分な時間を稼ぐことさえできたら」

『なるほどのう』

 オソレンジャーが刀の姿のままふむと呟く。

『つまりはそのドロレスとかいう娘を殺せば、何の問題もなくなるというわけじゃな』

 男達は途端に銃を上げて、咲哉に向かい、発砲した。それを腕に締め上げていた男ゾンビで防ぎながら、咲哉は疑問に感じる。

 ならばあの時の悲鳴は、誰のものだ? 何の為のものだ?

 機関銃さえもゾンビを盾にして行き、腐った血が滲むのを少しだけ不快に思いながら、咲哉は撃たれた弾を剣ではじき、奥の部屋へのドアを見やった。

 男達唯一の矜持である、『ドロレスを守る』と言うプライドを木っ端微塵にするために。



 ナボコフが切断された腕を持って奥の部屋に向かうと、ドロレスはオルガンの首を締め上げていた。


「ドロレスッ!」

 いつもならば呼ぶなと毛嫌いさえされるその名前に、ドロレスは微動だにせず、赤黒く染まっていくオルガンの顔を見下ろしている。

「ナボコフ。あんたこいつに噛み付きなさいよ。私にしたみたいに、噛み付きなさいよッ!」

「ドロレス、どうしてッ」

「こいつはゾンビの方が良いって言った、私達の方が良いって言った! だったらこいつもゾンビにして、オソレンジャーに斬らせてやる! あんたみたいに自分勝手にゾンビになろうとする奴なんて、私は認めない! そのうち人を襲って、幸せを根こそぎにするような奴なんて、絶対絶対認めない!」

「ドロレス――」

「はやく噛み付きなさいよ、ナボコフ!」


 ああ、彼女が自分の名前を呼んで懇願している。

 場違いな感動に涙さえ滲ませながら、ナボコフはドロレスの手に手を掛けた。


 ずっと好きだった。中学一年の自己紹介の頃に自信たっぷりに剣道の事を語る、その姿がしゃんとしていて綺麗だった。湿気の多い日だけ括る髪で、天気を予想してみたりもしていた。だがドロレスは、クラスメートとしてもナボコフを認識していなかった。いつも女子のグループで、その真ん中でけらけらと笑っていた。それが羨ましかった。男子のグループからも孤立しがちなナボコフにとって、ドロレスは憧れの存在だった。だが見ているだけでは満たされない。だからナボコフは、ゾンビ志願になった。ゾンビであったドミートリーに自分を齧らせ、その足で部活帰りのドロレスを襲いに行った。まるで強姦魔だと思う。それでもナボコフは、ドロレスの永遠を手に入れた。怒り、憎しみ、それらを手に入れた。

 だがそんなのは虚しいだけの間違いだったのだ。だからドロレスに同じことをさせてはいけない、思いながらドロレスの手をオルガンから解かせると、げほげほと咳き込んでオルガンは息を吹き返す。手近にあった竹刀で左手一本のナボコフに面を食らわせたドロレスは、キッとナボコフを睨んだ。そしてその腕がないのに一瞬瞠目する。その隙に、ナボコフは腐った血の流れる自分の身体をドロレスに押し付けた。もう心臓の拍動もない身体を、押し付けた。

「っに、してんのよ!? 気持ち悪いッ!」

「彼女は死にたがってない」

「そんなの私だってそうだった! それをあんたがッ」

「そうだ、僕がやった。だから君に同じことをさせるわけには、いかない」

 げほげほ咽るオルガンの声に、ドロレスはその顔を睨みつける。

「死に、たくは、ない」

「私だって、死にたくも死に損ないたくなかった! パパやママと一緒に暮らして、進学だってして、仕事もして、結婚だってしてみたかった! それを全部あんたが、あんたの所為でッ!」


 泣きわめくドロレスの声に、ひゅうっと風が混じった。

 途端に突き飛ばされる二人。

 柄でナボコフとドロレスをオルガンから遠ざけたのは――咲哉だった。

 血だらけの打ち刀を見て、ヒッとドロレスが喉を鳴らす。


「……お前だったのか」

「げほっ、私だったのだ」

「いつからつけてた」

「昨日の夜辺り」

「じゃあこいつが言ってた『童』ってのは、お前の事だったのか――」


 はあっと溜息を吐く咲哉の姿に、ドロレスはがたがたとおびえている。ナボコフはまだ、咳き込んでいた。


「これがゾンビの現実だよ」

 咲哉は呟くような淡々とした声で、身体を起こしたオルガンにそう告げる。

「生きてても生きてない、リビングデッド。およそ普通の食事は望めず、常に空腹と本当の死に怯えている。でもかわいそうに、半分は生きてるんだ。だから殺人はしたくない。ゾンビにしてオソレンジャーに切らせようとしたのが、その何よりの証拠だ」

 けほっとオルガンは眼を伏せて、辺りを伺う。

「でも地域の産業に被害を出したからには成仏してもらう」

 ちゃき、と鍔を鳴らしたオソレンジャーに――

 ぶつけられたのは、弾丸だった。


「っ!?」

 流石に驚いた顔を見せた咲哉に、オルガンは手にしたカラシニコフを構える。腕がぴんと張っていて反動を逃がせず、次に撃ったらその中学生の身体は軽く吹っ飛ぶだろうに、オルガンはオソレンジャーと対峙することを望んでいる。勿論人間と戦闘状態に入ったことのないオソレンジャーは戸惑い、鍔を鳴らした。かたかた、言う音が声になる。

『童、どうしたのじゃ、童』

「逃げて!」

 オルガンの言葉はナボコフとドロレスに向けられる。瞠目する二人に、オルガンは再度叫んだ。逃げて。

「――他人の生死を白黒つけられる年齢じゃないのは、解ってる。私だって。でも、だからこそ私は灰色の存在になりたかった。どっちでもないものになりたかった。生きた死体になりたかった。でも、今はドロレスさん、ナボコフ……さん、あなたたちの方が優先順位は上」

「オルガンちゃん――」

「私は親から逃げたかった。でもその後に待っている生活が幸せなのかは知らなかった。それをここで知れたこと、二人に感謝してる。だから、逃げてッ」

 タァンッと狭い部屋に響くカラシニコフの銃声。童、童とオソレンジャーは戸惑っているが、咲哉の動きは速かった。ゾンビ以外を切れないオソレンジャーは、人間に対してはただの鈍らだ。反動で吹っ飛ぶオルガンの胴に一撃を与える姿に、ドロレスはヒィとまた泣きじゃくる。

 ナボコフは――

 落ちていた自分の腕を拾い、オソレンジャーに向かった。


「うわあああああああああああ!」

「ナボコフ!?」

 ドロレスの声がいやに遠くに聞こえる。

「僕は!」

 骨を露出させた腕を剣の代わりにするように振りかぶりながら、ナボコフは叫ぶ。

「僕はドロレスが好きだ! 愛してる! どんな姿にしても、一緒にいたいと思うぐらいに!」

「ナボコフ、さん」

「ドロレスがゾンビでいたくないのなら成仏したいのかと思った! でもそれは違った! 彼女はそれでもこの世に居たい!」

「無理だよ。君たちはペナルティを犯した」

「それでも! それでも僕は、彼女と死に損なっていたいんだ! こんな身体でも、彼女と一緒にいたいんだ!」


 削れていく骨の音、細切れにされて短くなっていく腕。それらを見ながらドロレスは茫然としていた。そして気付く、ナボコフの足さばき。一挙動。二挙動。それは剣道の足さばきだった。どこで覚えたのだろう。好きだった、ナボコフはそう言っていた。だが同じ部活ではなかったはずだ。自分を見て覚えたのだろうか。だとしたら、それほどまでに?

 どうして自分がといつも思っていた。父も母もドロレスを捨てて、ゾンビになったある日家に帰ると空き家になっていた。捨てられたのだと思った時に、傍にいたのは誰だった? ナボコフはひどく自己中心的で、不器用だった。それでもドロレスが泣いている時、それをあげつらうことは一度もなかった。嫌がらせではなく好意から来る行動。ならば、ならばドロレスは。

 手近にあった竹刀を持ち、ドロレスはナボコフの足を払う。寸でのところで首を薙ごうとするオソレンジャーから逃れたナボコフは、へ、と間抜けな声を漏らした。ぼとりと手放したナボコフの腕を窓にぶつけガラスを割り、ゾンビならではの怪力でナボコフを抱きかかえながら、ドロレスはその暗い穴に逃げていく。追おうとした咲哉を止めたのは、オルガンだった。その手には白いぐにゃりとどこか粘土じみた作りの小さな何かが握りしめられて、威嚇するように向けられている。

「――何。それ」

「プラスチック爆弾。ネットで調べて作った」

「いやなDIY精神だな」

「二人を逃がしてくれるなら、信管は抜いたげる」

「まあ、集団でなくなったゾンビは脅威じゃないしね――」

 はぁっと息を吐く咲哉に、オソレンジャーは不服そうな鍔鳴りをする。仕方ない。この狭い部屋で爆弾なんて爆発させられたら、オソレンジャーは無傷だろうが、咲哉とオルガンはただでは済まないだろう。とりあえず牧場に戻って牛乳を一杯貰うか、思いながら入ってきたドアを開けると、リビングには女性ゾンビ達が静かに正座していた。そうしていると脹れた腹もそう目立たないものなのだな。思いながら咲哉はとりあえずオソレンジャーを構えると、年配の女性の姿をしたゾンビが顔を上げてにこりと笑った。いつの間にか武器を持っていた男性ゾンビ達は部屋の隅にきれいに並べられている。

「地域ゾンビ――の集まり、かな」

「はい。私達は戦闘の邪魔になるので、他のバラックに潜んでおりました」

「要件は」

「私達を、成仏させて下さい。それがあなたのお仕事だったはずでしょう、オソレンジャーさん。ドロレスちゃんもナボコフ君も、もういません。ここにいる私達だけで、二人を逃がしてやってください」


 深々と頭を下げられ、咲哉は剣の柄から手を離す。地面に落ちるより先に少女の姿になったオソレンジャーの姿に、ゾンビ達が息を呑む気配がした。ゾンビでも呼吸はするんだな、などと、まだ苦しい喉を押さえながらオルガンは思う。


 そして。

 かんざしを外し身の丈ほどもある長い白髪を晒したオソレンジャーは。

 舞うように、ゾンビ達の中に入っていく。

 髪先に触れたものは皆――倒れ、成仏していった。


「……止めないの?」

 咲哉の言葉に、オルガンはクスッと笑って見せた。

「彼女達は望んでしているのだから、止める理由がないよ。でももしかしたらまた邪魔するかもね」

「やっと笑ったな、お前」

「君もね」


 くすくすと笑う少年と少女に一瞬眼をやってから、オソレンジャーもくすりと笑った。

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