第4話
童と遊んでおった、嬉しそうにけらけら笑うオソレンジャーを鞘に戻して肩に抱えながら、そろそろか、とデジタル表示の腕時計を眺め咲哉が思い出すのはオソレンジャーに出会った日の事だった。自分より少し年下の子供の形をしていた彼女に、まずゾンビではない証明として拳に齧り付かれたこと。あれと言うのはゾンビを知る人間やその他の中で一般的な事だったのだろうか、先日オルガンに噛まれされた歯の疼きを少し思い出しながら咲哉は溜息を吐く。と同時に、オソレンジャーの鍔鳴りが増した。来たか、と厩舎の壁に身体を凭れさせて座っていた咲哉はその身を起こす。人数は四・五人。勢力の全てではないだろうと、咲哉はオソレンジャーを鞘から出す事無くスゥと構えた。一瞬湧き上がる高揚感を脱ぎ捨てて、ゆっくりと厩舎の入り口に立つ。月のない夜だった。だから彼らがその気配に気づくのは、少し、遅すぎた。
「ふっ」
呼気を逃がしながらの一閃が、一人のゾンビの意識を奪う。気付いた他のゾンビ達も、その物音に盗もうとしていた牛の一頭を離した。幸い頸木は外されていなかったようで他の牛にも動揺はない。その隙を逃さず、咲哉はまたその胴に鞘を突っ込ませる。常人よりも内臓が出しやすくなっている彼らにとって、それは腹を抉られるのと変わらなかった。勝手知ったる職場、裏口から逃げようとするのを咲哉は鞘を投げつける事で止める。抜かれた刀は不恐邪。ゾンビ達はその気配でヒッと喉を鳴らす。怖気づく者、何かを覚悟した者。まあ、構わないかと咲哉はオソレンジャーの白い髪を見る。
長い髪の少女に姿を変えた刀に驚く間もなく――彼らは、成仏させられていった。
と、その時。
悲鳴が響く。
きゃ、と猫のような小さな声は、女声だった。
(――しまった、かもしれない)
冷静にオソレンジャーの手を引いて走り出す咲哉がまず思い出したのは、牧場主の娘の事だった。彼女を攫うための陽動として引っかかってしまったのならまさに目論見通りだ、人質を取られてはこちらにも手段が減る。ましてゾンビが増える事態にでもなろうものなら知事に尻を揉まれる。慌てて走っていったのは牧場主の家だったが、そこでは娘が息せききった咲哉の顔を見てきょとんとしただけだった。
「え」
「オソレンジャーさん? えっと、ゾンビの方たちが現れたんですか?」
「いや、それはそうなんだけど……」
じゃああの声は一体、どこから聞こえたのか?
探るために必要なのは、やはりゾンビバラックの襲撃かと咲哉は手を引いていたオソレンジャーを鞘の中に収めた。
「とりあえず、喉乾いたんで牛乳下さい」
「あ、はい、すぐにお持ちしますね」
※
不覚だった。
「すまない、本当に君にはすまないことをする」
謝られながら人ひとり担いでいるとは思えないスピードで走っていくドミートリーにしがみ付き、オルガンは自らの不覚を呪った。
ゾンビになりに来たのだというのに、ゾンビに襲われて悲鳴を上げるなど言語道断である。赤面しながら顔を上げたオルガンは、ドミートリーの顔を見上げた。
「どこに行くんですか?」
「私達の住んでいるバラックだ。もうすぐだから、辛抱してくれ」
「それは、良いんですけれど……私、牧場と何の関係もない人間ですよ?」
「知っている。彼女のおしめさえ変えたことがある私には、君が彼女でないことはよく解っている」
「じゃあどうして」
「これ以上、牧場に迷惑を掛けられない」
少し悲しそうにしたドミートリーの様子に訝りながらも、オルガンは黙って慌てずに深呼吸すらしながらドミートリーに担がれているままでいた。暴れない人質は助かるが、と訝ったところで、仲間が呼んでいる声を聴く。こっちだ、言われたバラックに駆け込んだドミートリーは息一つ乱してはいなかった。生ける屍、彼らには代謝がない。老いもしなければ寿命もない。本当は餓死すらも、ないのかもしれない。
「ごめんねぇお嬢ちゃん、もうちょっとの間我慢してねえ」
ドミートリーからオルガンを渡された中年程度に見える女性は、すまなそうな顔をしながらオルガンの頭を撫でた。実の親にすらされた事のない仕草に少しだけ赤くなる。
しかし、引っかかるものがあった。
『もうちょっとの間』。
まるでオソレンジャー、朔望月咲哉がこのバラックにやって来ることが分かり切っているような、それでいてそのことを全く拒否していないような様子に、オルガンは違和感を覚えていた。何故彼らは逃げないのだろう――思ったところで、リビングの片隅に置かれている大量の銃器類に、彼女はギョッとする。
戦うつもりなのか、彼らは。
ゾンビ殺しとして負け知らずである、あのオソレンジャーと。
「戦う――つもりなんですか、彼と」
「それも一つの道の在り方だと、私達は思っている」
ドミートリーがどっかりと椅子に座るのを待っていたかのように、集まっていた男達は各々の武器を取っていく。
「そしてそうしない事も」
「いやよ!」
唐突に奥の部屋から出てきたのは、ドロレスだった。綺麗な巻き毛の天然パーマの少女は、眼に涙を滲ませながら部屋中の大人達に訴えるように喚く。
「私は嫌、絶対に嫌! 生きていたいのに殺されるのをまんじりとして待つなんて絶対に我慢できない! ドミートリーおじさん、私にも武器を貸して! 私も戦う!」
「君はナボコフ君と一緒に奥にいるんだ。私たちの形勢が不利だと思ったら、いつでも逃げられるようにしておきなさい。君は戦うなんて、しなくて良い」
「そうだよ、ドロレス」
「君は戦わなくていいんだ」
「君には君しかできないことが、あるのだから」
「そんなのない! みんなで戦った方が勝てるに決まってる! そうでしょ!?」
よろりと奥の扉から出てきたナボコフがドロレスを止めようと手を伸ばすが、彼女はそれを汚物のように振り払う。
「ドロレス――坂巻、ドロレス?」
オルガンの言葉に、ドロレスをひたすら宥めるだけだった雰囲気が僅かに緩和される」
「あなた――誰?」
ドロレスの言葉にオルガンは、ぽりぽりと痒くもない頬を掻きながら、応える。
「市で噂になってる。好きな男の子にゾンビにさせられて、駆け落ちしたゾンビカップルがいるって。もう何年か前からだから、今は名前まで覚えてる人も少ないと思うけれど」
「誰がこんな奴好きなもんか!」
ペッ、とナボコフに唾を吐きかけながらドロレスは心底嫌そうな顔をする。ナボコフはそれに無反応だった。大人達はいつもの事だと諦めたように息を吐くが、しかしオルガンを認識したドロレスは、ねえ、と彼女に声を掛けてくる。出っ張った腹、それをなるべく視界に入れないようにしながら、中学の制服のセーラーを揺らし、大人達ですら見たことのないような笑顔で話し掛けてくる。
「あなた見たところ中学生よね?」
「う、うん。二年生」
「私は今年で十六になるはずだったから、お姉さんなんだからねっ? ドロレスさん、って呼びなさいよ」
「ドロレスさん」
「うんうんっ」
「あの、ここって何なんですか?」
「成仏したくないゾンビが集まったバラックよ。みんな他所で働いてたけれどいじめられたり差別されたりした人たちが集まってるの。ほら、掲示板とかで募集も掛けてねっ。でもそうなると食料が足りないから、牧場から盗んだりしてたんだけれど……」
「それがオソレンジャーに眼を付けられた?」
「みたいよね。あーあ、世知辛い。私はただ、ここで、生きていたいだけなんだから」
携帯端末でゾンビ募集、と言うスレッドをオルガンに見せながらけらけら笑うドロレスに、小屋の中にいた大人たちがホッと胸を撫で下ろす。疳の虫が収まった様子に、ナボコフは自分の頬に吐き掛けられた唾をぬぐった。
「楽しそうじゃないか」
ドミートリーは笑いながら、ナボコフに話しかける。
「ここじゃ同世代の子もいなかったから、きっと嬉しいんだろう。もう何十分かだけだけど、友達になれたら良いね」
「……そうですね」
「ナボコフ君、君はどうしてドロレスをゾンビにしたんだい?」
ドミートリーの言葉に、ナボコフは答えない。ドミートリーの耳には、きゃっきゃはしゃぐ二人の声が響くばかりだ。そうしてナボコフは二人と一緒に奥の部屋へと下がっていく。
「え、何それ親最低じゃん。腕見せて……ってうわ、これはひどい」
「夏でも長袖の制服だから目立つんだよね、余計に」
「プールの授業は?」
「うちの学校、プールはあるけど使った事は無い」
「そう言えば私もないや。高校になったらあったのかな?」
「どうだろう、水泳部の話って全然聞いたことないなあ」
「あははっ、確かにそうだった! 隣の高校受験しようと思ってたんだっけなあ」
「あそこ倍率高いよ」
「英語科は低い。ついでに修学旅行がアメリカ」
「それは確かに魅力的……」
「ねー、あーあ、私も女子高生とかしたかったなあ」
「私は」
「うん?」
「私はゾンビの方が、余程良いと思う」
――ドロレスの目付きが、変わった。
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