第44話
「……もしかして、これが魔術陣?」
ヴェラント城全体に広がっている、不思議な模様。浮かび上がった光は消えることなく輝いている。その光景に、グースと近衛騎士団の騎士たち、王宮魔術師までもが目を奪われていた。フェリシアも、初めて見る魔術陣に見入っていた。
「あぁ。そして、ここには確かにフェリシアの魔力が流れている」
ギルバートは腰に差した長剣を抜き、その刃に短剣で何かを刻む。
「発動した魔術を解くためには、始まりの場所から終わりの場所までを逆にたどる必要がある……が、今はそんな余裕はない」
だから――そう続けようとしたギルバートに、無数の氷の刃が飛んでくる。フリードが憤りを映した瞳でギルバートを睨んでいた。手に持っていた長剣で氷をすべて防いだギルバートは、フェリシアを背に庇い、フリードと対峙する。
「お前に何ができる?」
「フェリシア様を守ることができます」
魔術陣を傷つけないよう、触れないよう、注意しながらフリードはギルバートに氷の魔術を繰り出す。炎の魔術を刻んだのか、ギルバートの持つ長剣は燃えていた。
それでも、フリードの氷の魔術は火にも強いらしく、簡単には溶けていない。フェリシアが背後にいるために、ギルバートは自身を盾にする。一人だけなら受けなくてもいいような攻撃を、フェリシアを守るために身体で受け止めていた。しかし、魔力を半分以上奪われたフェリシアの身体は、魔術の攻撃をかわせるほど回復してはいなかった。ギルバートがいなければ、フェリシアの身体は今頃血だらけになっているだろう。
「しつこい男は嫌われますよ? そろそろ姫のことは諦めてください! もちろん、リアトルのことも!」
「お前に何が分かる!」
ギルバートの挑発に、フリードは珍しく冷静さを欠いて叫んだ。
その声には憤りと同時に虚しさや哀しさが感じられた。フェリシアは、ビートのことを知っていたつもりで、何も知らなかった、ましてや、フリードのことなど、全く知らない。彼が何を抱えているのか、フェリシアには理解できないのだ。
「分かるはずないだろう。あんたはフリードで、俺はギルバートなんだから。あんただって、俺の苦しみなんて分からないだろう? その苦しみを理解したい、分かち合いたいと思うから、人間は共に歩くことができる。あんたみたいに自分の殻に閉じこもって神だけしか見ていない奴には分からないんだろうな……」
ギルバートは、フェリシアの大切なものの中にフリードも入っていることに気付いてくれていた。だから、フリードのことを理解しようとしてくれている。ギルバートの言葉がフリードに届いてくれるかは分からない。それでも、フェリシアは祈る。フリードの抱えていたものがどんなものであれ、彼がこれからの未来に希望を持てるように、と。
「うるさいっ! もう何もかも遅いんだ! お前達のせいで魔術は失敗だ。長年の計画が消え去った……終わりだ……魔術陣が月の魔力を抱えきれずに崩壊するぞ!」
ははははは! とフリードの高笑いが辺りに響く。王宮魔術師たちの顔はその言葉を聞いて真っ青になった。
グースと近衛騎士達はなんのことだか分からずに立ち尽くしている。
ギルバートは、狂ったように笑い続けるフリードに近づき、その意識を奪った。
フリードの身体を引きずって、ギルバートが魔術陣から出る。
「グース、ここは危険だ! フェリシアと皆を連れてすぐに離れろ!」
ギルバートの警告を聞き、グースがすぐに指示を出す。近衛騎士たちに拘束された王宮魔術師たちはヴェラント城外へ連れ出され、気を失っているフリードもグースの側近リーブスに抱えられて外に出た。
「フェリシア、大丈夫か?」
そう言って、グースはフェリシアを抱きしめた。いつも棘だらけの薔薇を纏っていたために、兄からの抱擁は初めてである。びっくりして動けないフェリシアを、その背中に乗せた。ギルバートの鍛えられた肉体とは違う、骨ばった貧弱そうな身体で、必死にフェリシアを助けようとしている。
「お兄様、ありがとう……」
聞こえるか聞こえないかぐらいの小さな声で、フェリシアは兄への感謝を口にする。緊迫した今だから言える言葉。普段は兄が調子に乗るから、とフェリシアは兄を褒める言葉を口にしないのだ。しかし、本当はいつも感謝していた。〈災いの姫〉である妹を愛してくれたことに。
「礼を言うのは僕の方だよ」
いつもだったらふざけた反応が返ってくるのに、グースの言葉は真剣そのもので、フェリシアは言葉に詰まる。兄に背負われて、フェリシアは無事に魔術陣の中心から離れていた。
「ギルバート、お前はどうするつもりだ?」
「俺はこの魔術を止める」
兄の問いに、ギルバートは真顔で答えた。その顔を見て、フェリシアはギルバートが何か強い覚悟を決めていることを悟った。彼を一人残してはいけない。これは、フェリシアの問題でもあるのだ。
「お兄様、降ろして」
フェリシアは強い口調で兄に言い、その背から降りる。
「一人にはさせないわ。わたくしの力が必要ではなくて?」
「……駄目です。あなたには無事でいてもらわないと」
「自分のことは自分でよく分かっているわ。大丈夫よ」
「……もう時間がない。さあ、もう行ってください」
一度空を見上げ、満月を確認してから、ギルバートは優しい声音で言った。フェリシアを突き放すようなことをギルバートが言ったのは初めてではないだろうか。しかし、それがフェリシアを守るためだということは馬鹿でも分かる。
もう二度と会えないような気配を、放っておけるはずがない。
フェリシアはおもいっきりギルバートの腕にしがみついた。
「離してやらないわ」
ギルバート一人で危険な場所に置いていけない。
フェリシアはギルバートに引きはがされないようにその力強い腕にぎゅうっと自分の両腕を絡める。そんなフェリシアを見て、ギルバートの顔はみるみる赤くなったり青くなったりを繰り返し、苦しそうな表情で呻き声を発する。
「……うぅ、こんな状況でなかったら素直に喜べるのに……いや、この状況でも……死ぬほど、嬉しい……幸せだ、今死んでもいい……が、魔術を止めなければ……くそ、なんだこれ。新種の拷問か……」
フェリシアの可愛さに悶絶しているギルバートと、そんなギルバートの気も知らないで腕にしがみつくフェリシアを見て、グースが一つ溜息を吐いて言った。
「フェリシア、ギルバートを頼む。ギルバート、フェリシアを頼む。僕は第一王子として、この街の人間に避難を呼びかけてくる」
そう言うなり、グースはさっさと二人に背を向けて行ってしまった。
にっこりとフェリシアが笑えば、ギルバートは観念したように脱力した。
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