第42話

 目の前には、棍棒を振り上げる巨大なリアトルの石像。後ろには、フェリシアの大切な使用人たち。そして隣には、フェリシアの護衛騎士ザック。

 そんな状況で、ギルバートが一人フェリシアのところへ走って行けるはずもない。焦りと不安に苛立ちを覚えながらも、ギルバートは王宮魔術師が作り出した石像と対峙していた。

「ギルバート様、俺がなんとか持ちこたえますから、今すぐにフェリシア様を……!」

 同じく焦燥を抱いているザックが、苦しげに言葉を吐いた。何度もリアトルの棍棒を受けて、その身体はもうボロボロだ。立っているのがやっと、という状態の人間を置いていけるはずがない。いくらギルバートがフェリシアのことしか見えていなくても。

「そんな状態のあなたを置いていっても、屍が増えるだけです」

 溜息まじりにギルバートが言った瞬間、もう何度目かの石像の攻撃が迫りくる。ギルバートは魔術陣を刻んだ長剣でその棍棒を受け、石像の動きを封じるためにこれまた何度目かの氷の魔術を向けた。しかし、巨大な石像すべてを凍らせる前に、リアトルの石像は自然発火して氷を溶かしてしまう。何十人もの魔術師の合わせ技であるため、個々の弱点を補い合うことができるのだ。炎を向ければ水が、氷を向ければ炎が、物理的攻撃には鉄よりも硬い材質の棍棒が繰り出される。

 その向こう側では、フェリシアがフリードに何かを言っているのが見える。その目には、涙が浮かんでいた。許せない。ギルバートの足は思わずフェリシアのところへ駆け出していた。しかし、リアトルの石像の足が目の前にどんっと降ろされる。反応があと少し遅れていれば、ギルバートはぺしゃんこだった。

「ちっ、本当に邪魔だな」

 振り返ると、かろうじて剣を構えていたザックは相当身体に無理をさせていたのか、膝をついている。その息はかなり荒い。脅えたような顔でミリアがザックの背をさすっている。ロッカスは、じっと石像を睨みつけ、立ち上がった。

「ザックさん、ミリアさんを頼みます」

 ロッカスは、ミリアを守るために戦闘に加わらなかった。しかし、ザックが倒れた今、ギルバート一人を戦わせる訳にはいかないと思ってくれたのだろう。それに、狙われているのは主人であるフェリシアだ。

 しかし、ロッカスは料理人だ。その腕は、こんなところで振るわれるものではない。フェリシアを笑顔にする料理を作るための腕だ。

「ロッカスさん、二人を城外へ逃がしてもらえませんか? そのための足止めぐらいなら、余裕ですから」

 ギルバートはにっこりと笑ったが、その笑顔には有無を言わせぬ何かがあった。ロッカスは、ザックとミリア、そしてギルバートを交互に見た後、黙って頷いた。ロッカスに抗議しようとする二人を、ロッカスは無理矢理その両手に抱いて背を向けて走る。ミリアならば分かるが、まさかザックまでも持ち上げる力があったとは……ギルバートは状況も忘れて驚いていた。意外と料理人は力持ちなのかもしれない。

「さて、リアトル様のお相手をしましょうかね」

 背後に守るものがなくなり、後は前に突き進むだけ。それならば、加減はいらない。ギルバートはにやりと笑う。勝算がない訳では決してない。

(もうこれぐらいでいいか……)

 ギルバートは胸ポケットにある薔薇の花弁を取り出す。右手に長剣、左手に薔薇の花弁を持ち、ギルバートは石像に向かって走って行った。そして、その薔薇の花弁を持った左手で触れる。

 ドゴーン……!

 石像は、自ら崩れ落ちた。石の塊がいくつも頭上から降ってくる。ロッカスに二人を逃がすように頼んでおいて本当によかった、とギルバートは思う。

 実は、何度も石像の攻撃を受けているうちに、石像のあちこちに破壊の魔術陣を刻んでいた。どこか一か所に薔薇の魔力を注ぎ込めば誘発して他の魔術陣も発動するように。魔術陣を刻むのに手間取ってしまい、ザックやロッカス、ミリアには苦戦しているように見えたかもしれない。

 しかし、ギルバートはこんな魔術よりもすごい魔術に鍛えられてきた。すべてはベルーナの教えの賜物である……が、どうにも素直に感謝の気持ちを述べることはできそうにない。

 ようやく障害物もなくなったか、とギルバートが一つ溜息を吐いた時。

「これは一体どういう状況だっ!」

 聞き知った声が突如聞こえてきた。それも、この危険な状況でこの場にいてはいけない人物の声が。

「グース、何故来た?」

 ディラード王国第一王子ともあろう者が、魔術師との戦場と化したヴェラント城に来てしまった。フリードにとって、王族は敬うべき対象でも守るべき者でもない。グースの身分だけで生き延びられるほど、ここにいる王宮魔術師たちは甘くはない。帰れ、と一喝しようとしたギルバートの目に映ったグースは、いつもとは違う顔をしていた。妹馬鹿の緩みきった表情ではなく、凛々しい王子様の顔へと。その理由は、グースの後ろを見れば分かった。

「まさか、騎士団を引き連れてくるとは……」

 確かに、近衛騎士団を動かすなど、グースにしかできないことだ。グースの後ろに控える約百人の騎士は、みな赤い薔薇の刻まれた紋章を胸元に着けている。魔術にも優れ、武術にも優れた王族を守るための軍事組織だ。その近衛騎士団を引き連れて、グースはヴェラント城にやって来た。王宮魔術師を捕らえるために。

「ギルバート、状況を説明しろ」

 上に立つ者らしく、グースは威圧的に命令する。そんなグースを初めて見たギルバートは、内心驚いていた。ちゃんと王子としての振る舞いもできたのか、と。しかし、今はそういう状況ではない。ギルバートはフェリシアの様子が気がかりだったが、状況を把握できないままにグースは動けないだろうと思い、手短に説明する。

「まず、裏切り者はビートだった。しかも、その正体は元王宮魔術師長フリード。裏切り者が王宮魔術師の指示で動いていたと思っていたが、王宮魔術師が裏切り者――フリードの指示で動いていたという訳だ。そして今、姫を器にして〈神降ろし〉を実行しようとしている」

 立ち入り禁止の尖塔には、〈神降ろし〉に関する研究資料と、フェリシアについての十年間の記録が保管されていた。そして、フリードから王宮魔術師への指示書もあった。フリードは、ビートとしてヴェラント城で着々と魔術陣発動に向けての準備を進めていたのだ。そして、三つの尖塔のうちの一つには、リアトルの肖像画や聖書、真紅の薔薇で埋め尽くされていた。王宮魔術師たちの、リアトルに対する恐ろしいまでの執着、そしてフリード個人の妄執をギルバートはその部屋に見た気がした。

「ビートが……王宮魔術師? しかも、〈災いの姫〉を生み出したフリード……?」

 ギルバートの話を聞いて、グースは呆然と固まっている。そういえば、ビートはグースの教育係もしていたのだ。信じていた先生が実は妹を利用しようとしている王宮魔術師だった、となればかなりの衝撃だろう。しかし、ギルバートは今グースの受容を待つ暇はない。

「おい、騎士達に王宮魔術師を抑えるように指示を出してくれ。俺はフリードを止める」

 強い口調でグースに詰め寄れば、グースははっと我に返った。そして、じっと固く目を閉じ、意を決したように騎士達に指示を出す。迷う心を振り切ったグースの顔は、もう指揮官の顔になっていた。

「王宮魔術師たちは禁術を発動しようとしている。これは王家への裏切り行為である! 今すぐに捕えよ!」

 グースの一言で、屈強な騎士たちが動いた。グースも剣を構え、王宮魔術師たちに向かって行く。

 ギルバートはそれを確認して、フェリシアの元へ走った。

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