第41話

「フリード様に手出しはさせない! 我々がこの時をどれだけ待ち望んでいたか、あなたには分からないでしょう!」

 キルテットはそう叫ぶなり、赤薔薇の花弁で炎の壁を生み出した。その炎はほんの一瞬で大きくなり、フェリシアとギルバートたちとを引き離す壁になる。

 炎の壁で隔てられてしまったために、フェリシアからギルバートたちの様子は見えない。しかし、同じく炎の内側にいるフリードのことはよく見える。フェリシアは、フリードと共に炎の中に閉じ込められた。

「フェリシア様、ただの人間が魔術師に勝てるはずがないでしょう。彼らを傷つけたくなかったら、大人しく従いなさい」

 優しかったビートと同じ声で、フリードはフェリシアを追い詰める。しかし、もうフェリシアの中に迷いはなかった。みなを信じると決めたのだ。

「ギルは、魔術師よ。それに、ザックの腕はあなたもよく知っているはず」

 強気で言い返すと、フリードは口の端を少しあげた。何がおかしいというのか。フェリシアはむっとする。

「魔術師協会で学んでもいない似非魔術師が、我々王宮魔術師に勝てると?」

 馬鹿にしたようなフリードの物言いに、フェリシアが言い返そうとした時、キルテットによる炎の壁が一部崩壊した。

「フェリシア様! 何もされていませんか!」

 炎が鎮火した所から聞こえてきたギルバートの声を聞き、フェリシアは安堵を覚える。その後ろには、多少騎士服が焦げていたが、ザックの無事な姿も見えた。

「キルテット! 何をしている?」

 フリードがキルテットに厳しい声を投げつける。キルテットは、水浸しになって弱々しく地面に倒れていた。にこにことギルバートが笑っているところを見ると、彼が魔術で水を操ったのだろう。術者が倒れたことで、炎の壁は見る間に小さくなっていき、終いには消えてなくなった。

 現王宮魔術師長の敗北に、後ろで見守っていた王宮魔術師たちはさすがに顔色が悪くなっていた。

 しかし。

「お前達、何をぼさっとしているのだ! この魔術こそ、この世界を救うのだぞ!」

 というフリードの言葉で、立ち尽くしていた王宮魔術師たちの眼の色が変わった。そして、全員がそれぞれの得意な魔術でギルバートに狙いを定める。キルテットも再び立ち上がった。

「ギルバート!」

 思わず、フェリシアは彼の名を呼び、駆け出そうとしていた。しかし、足は棒のように動かない。身体を拘束していたつる薔薇からは解放されたはずなのに。

「私はフェリシア様以外には殺されませんから、心配ご無用ですよ」

 フェリシアが本気で心配しているというのに、ギルバートはまたふざけた答えを返してくる。しかし、どこか真剣なその表情に、フェリシアの胸はどきりとする。ギルバートは、目の前のキルテットや王宮魔術師たち、フリードなど見ていなかった。彼の瞳に映るのは、フェリシアだけ。何故かそんな気がした。

「フリード様の邪魔はさせないっ!」

 王宮魔術師の一人の言葉をきっかけに、王宮魔術師たちの術が混ざり合った。荒れ狂う炎と風が、水と雷が、ギルバートたちに襲いかかる。何らかの術を施しているのだろう、ギルバートは手に持つ長剣で襲いくる炎を薙ぎ払う。しかし、魔術に対抗する術を持たないザックやミリア、ロッカスを背に庇いながらの攻防に、ギルバートは苦しそうな表情を浮かべていた。先程までの余裕が、今のギルバートの顔にはない。

 フェリシアの魔力で、ギルバートを助けたい。

 この魔術陣は、薔薇園の魔力を取り込んでいる。だとすれば、フェリシアが操ることが可能かもしれない。そう思い、フェリシアは地面に手をついた。ひんやりとした土の感触と、そこに流れる魔力の流れを確かに感じることができた。

(この魔術陣さえどうにかできれば……)

 と、フェリシアが考えた時、身体に再びつる薔薇が巻き付いた。痛みを感じるほどに強く、きつく絞めつけられる。

「……うっ、はな、して」

「大人しくしていてください、と言ったでしょう?」

 すぐ後ろには、フリードがいた。つる薔薇による拘束は、フリードの仕業らしい。

「先程は途中で失敗しましたが、夜はまだ長い。あなたの魔力をこの魔術陣は欲しがっていますよ」

 そして、再びつる薔薇によって魔力を搾り取られる。苦痛に歪むフェリシアの顔を、フリードは無表情で見つめていた。

(ビートは、いつもわたくしを心配してくれていたのに……)

 あまりにも冷たいその瞳を見て、もう二度とビートがフェリシアを心配することはないのだという現実を実感した。

 フェリシアの記憶の中のビートが、微笑んでは消えていく。

「どう、して……?」

 騙されていたのだと頭では理解しても、心は納得できていなかった。もう、ビートはフェリシアに答えをくれない。笑いかけてくれることはない。

 フェリシアの赤い目から、涙が零れ落ちた。

「おや、あなたでも泣くことがあるのですね」

 珍しそうにフリードがフェリシアの顔をじっと見る。その視線から逃れようとしても、フリードに顎を掴まれて顔を上げさせられる。つる薔薇に縛られた身体では、何の抵抗もできなかった。もうほとんどの魔力は魔術陣に奪われてしまった。

 今、フェリシアは気力だけで意識を持たせていた。

「フリード、あなただって本当は泣くでしょう?」

 王宮魔術師とて人間だ。感情は殺そうとして消せるものではない。表情に出さずとも、心は感じているはずだ。しかし、フリードは完璧な無表情でフェリシアを見据え、背を向けた。そこには、ギルバートと戦っていたはずの王宮魔術師たちが並んでいた。魔術陣の中心、その円を囲むように三十人の王宮魔術師たちが立っている。

「〈災いの姫〉、ここからが本番ですよ」

 フリードの合図で、王宮魔術師たちが一斉に魔術陣に手をついた。

 その手に握られていたのは、狩られた薔薇園の薔薇の花弁だ。ギルバートはどうなったのか、とフェリシアが目を動かすと、彼は魔術で生み出された巨大なリアトルの女神像に足止めされていた。主塔の二階までもあろうかという背丈に、頑丈な石でできた身体、さらにその手に持っているのは棘だらけの棍棒だ。愛の神と崇めながら、王宮魔術師たちはその力でリアトルを模した化け物を作ったらしい。

 いくら魔術師とはいえ、まともにやり合ってギルバート一人で太刀打ちできるとは思えない。ギルバートの顔にも、焦りが見られる。ザックもギルバートと共に石像と戦ってはいるが、もうその剣はボロボロだった。


『夜の神ネリスよ、その力を我らに与えたまえ』


 ぴたりと重なった王宮魔術師たちの声。

 その次の瞬間、満月の輝きが増し、フェリシアのいる魔術陣に光が降り注いだ。

 そして、フェリシアはぴくりとも動けなくなってしまった。

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