第39話

 キルテットに連れられて塔を出て、フェリシアは息を呑んだ。

 見慣れているはずの薔薇園が、無残にもその姿を変えていたのだ。すべての薔薇は刈り取られ、大きな石の杯の中に入れられていた。フェリシアが心を込めて育ててきた薔薇が、フェリシアを守ってくれていた薔薇が、王宮魔術師の手によって奪われていた。

 薔薇園には、三十人を超える白装束の王宮魔術師が集まっていた。皆、フェリシアをじっと見ている。感情のない、冷たい瞳で。

 自分も、今目の前にある薔薇のように刈られてしまうのだろうか。

 魔力を持つはずの薔薇が簡単に王宮魔術師の手に落ちたショックで、フェリシアの強い覚悟は揺らいだ。

 薔薇から視線を外すと、王宮魔術師たちが円になっているところに、ここにいてはいけない人達の姿を見つけた。

「キルテット! これは、どういうことなの?」

 フェリシアは声を張り上げた。フェリシアの視線の先には、王宮魔術師によって縛られた使用人たちの姿があった。ミリアは泣きながら祈るように手を組み、ビートは落ち着いてミリアを宥めている。ロッカスは相変わらずの仏頂面だったが、かなり怒っているのがフェリシアには分かった。フェリシアを守るための騎士であるザックは、余程捕まる時に暴れたのか、血だらけで意識が朦朧としていた。

「〈災いの姫〉を利用したいのなら、わたくし一人いれば十分でしょう! 今すぐ彼らを離しなさい!」

 怒りで頭がおかしくなりそうだ。

 何故、王宮魔術師たちは平気な顔をしていられるのか。

 自分たちが何をしているのか分かっているのだろうか。

 フェリシアの怒りの意味が分からないのか、無表情のままキルテットは言った。

「それはできません。彼らは〈災いの姫〉が我々に従うための人質なのですから。あなたが大人しく我々の術に協力してさえくれれば、命を落とすことはありませんよ」

 ぐらりと視界が暗くなり、足元から崩れ落ちそうになった。今までフェリシアの側にいてくれた皆は、この日人質として利用されるために生きてきた訳ではない。フェリシアに関わってしまったために、〈災いの姫〉に仕えていたために、危険な目に遭ってしまった。

「解放しなさい。わたくしは人質などいなくてもお前達に逆らうことはしない」

 自分でも驚くほど、低く、重い声が出た。しかし、王宮魔術師たちに、フェリシアの言葉は届かない。怒りは届かない。悲しみは届かない。

 自分を諦めたくはない。しかし、他の誰かを巻き込んでまで助かりたいとも思わない。もうどうすればいいのかフェリシアは分からなくなっていた。

「では〈災いの姫〉、円の中心に」

 キルテットは今日まで薔薇が生きていた場所を差して言った。すべての薔薇が刈られ、土の地面が露わになっている。そこには薔薇が咲いていた時には分からなかった、円がいくつも重なり合った不可思議な模様が描かれていた。これが魔術陣なのだろう。フェリシアはずっと、魔術陣の上に薔薇を咲かせていたのだ。フェリシアは自分で自分の首を絞めるための魔術を完成させていたというのか。

 覚悟を決めて、フェリシアは円の中心へと歩き出す。空を仰ぐと、夕陽が空を真っ赤に染めていた。

(空はこんなにも広いのに、わたくしは狭い世界しか知らない)

 キルテットが指した場に立つと、地面から黒いつる薔薇が生えてきて、フェリシアの身体に巻き付いた。痛みはないが、身動きが取れなかった。

「〈災いの姫〉、少しだけ辛抱してくださいね」

 キルテットはそう言って薄く笑った。辛抱すればどうなるというのだろう。

 このまま何もかも奪われていくのを見ていればいいのだろうか。視界には、縛られているミリア、ビート、ロッカス、ザックが映る。

(ごめんなさい、わたくしのせいで……)

 フェリシアは心の中で謝る。

 フェリシアの力はつる薔薇に奪われていく。力が抜けて、立っていられない。もう、みんなに謝るための言葉さえ、声に出すことができなかった。

 血まみれのザックがフェリシアの姿を見て、もう一度立ち上がろうとする。ミリアも、フェリシアを見て涙を止めた。ロッカスも、怒りの感情を瞳に宿していた。


「「「フェリシア様!」」」


 皆の声がフェリシアに届く。

 三人はフェリシアを助けようと王宮魔術師の手から逃れようとする。しかし、王宮魔術師の魔術によって傷つけられ、悲鳴を上げた。

(もういい、もうわたくしを守らなくてもいいから……)

 ずっと強がって、使用人たちに見せたことのなかった涙がフェリシアの頬を伝った。こんなにもフェリシアを想ってくれていたのに、フェリシアは彼らのことを疑ってしまった。

 最後まで信じることができなかった。それが悔しくて、涙がこぼれる。


 その時、どこからか笑い声が聞こえてきた。


「いやぁ、とても感動的な場面を見せてもらいました。〈災いの姫〉と姫に仕える使用人の絆、とでも言ったところでしょうか」

 馬鹿馬鹿しい、と吐き捨てるその言葉は、はじめキルテットのものだと思った。

 しかし、その声の主はビートだった。

 いつの間に拘束が解かれていたのか、ビートは自由に歩き回っていた。ミリアも、ザックも、ロッカスも、意味が分からないというようにぽかんと口を開けていた。

「あぁ、申し訳ありません。申し遅れました、私は元王宮魔術師長フリード・シュテーゲル。そう、フェリシア様を〈災いの姫〉と宣言したのは私です」

 ビートがフリードと名乗ると、薔薇園に集まっていた王宮魔術師たちが一斉に跪いた。

 現王宮魔術師長であるキルテットさえも。

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