第38話

 フェリシアは、ギルバートとの魔術講義を思い出す。

「魔術に必要なのは、薔薇と魔術陣……」

 ――何故かは分かりますか?

 優しいギルバートの声が頭の中で響く。

 ヴェラント城の魔術について、ギルバートはどれだけ把握していたのだろう。何故すぐに魔術について教えてくれなかったのか……。

 ギルバートがいなくなった今、フェリシアはあの時の彼の言葉と情報を頼るしかない。

「薔薇に宿ったリアトルの魔力を魔術陣でコントロールする……。そして、ヴェラント城の魔術は薔薇園の魔力を使って発動している、ということだったのよね?」

 ここにはいないギルバートに、フェリシアは問いかける。自分の頭の中を整理するためだったが、本当はまだギルバートが離れていってしまったことを信じたくなかった。

「わたくしが育てた薔薇たちには、魔力が宿っている。魔力のある薔薇を育てられるのは、リアトルの血を引く王族だから。でも、そうだとすれば……」

 フェリシアは今まで気にも留めていなかった可能性に気が付いた。

 王族が魔力のある薔薇を育てられるのだとすれば、リアトルの血と共にその魔力も引き継いでいるのかもしれない。そして、もしそれが事実だとすれば、おかしな点が一つある。

「どうして、わたくしだけ薔薇に守られているの?」

 兄はフェリシアほど薔薇を育てるのがうまくないとはいえ、魔力のある薔薇を育てることができる。しかし、薔薇の手入れの時にいつも手を棘でボロボロにしている。国王である父も、薔薇の棘で血を流したことがあると兄から聞いたことがある。

 リアトルの血を引き、魔力の薔薇を育てられたとしても、薔薇の棘によって傷つく。

 フェリシアは生まれた時から、思えば薔薇に守られて生きてきた。薔薇の棘はフェリシアを傷つけることなく優しく包み込んでくれたし、薔薇の香りは心を落ち着かせてくれた。その強く美しく咲く姿には勇気づけられた。フェリシアは薔薇と共に生きてきたのだ。薔薇に傷つけられたことなど一度もない。それは、リアトルの血を引く王族であり、〈災いの姫〉の力によるものなのかと思っていた。だから、その理由をあまり考えてはいなかった。

 しかし、もしこの呪われた力がリアトルの魔力に近いもので、それに反応して薔薇が守ってくれているのだとすれば、フェリシアの育てた薔薇は普通のものとはまるで違うものになるだろう。

 その特別な薔薇を使い、フェリシアの身体も利用して、王宮魔術師は一体何をするつもりなのだろうか。

 魔術を理解する上で、薔薇の魔力だけがすべてではない。

「太陽神アーデット、海の神エレノス、地母神ディラ、風の神メローヌ、夜の神ネリス。妹である愛の神リアトルの我儘ために人間に契約書を与えた、お人好しの兄弟神たち……」

 その契約書によって、魔術師は生まれ、今では大きな組織になっている。リアトルや王族に対する愛情の欠片もない人間達でも、兄弟神の力を利用することができるようになってしまった。妹を想うが故の決断が、今ではリアトルの血を引く王族を悩ませている。王族よりも魔術を使える魔術師の方が国民に支持されつつあり、発言力は明らかに王宮魔術師の方が上だ。

 何のために魔術が生まれ、使われてきたのかを一番理解しているはずの魔術師が、守るべき王族に牙をむこうとしているのかもしれない。王家が乱れれば、必ず国に混乱が生まれる。国民の意志ならば仕方がないが、王宮魔術師の独断であるならば、絶対に阻止しなければならない。

 王宮魔術師が王家のために存在しているように、王家は国民のために存在しているのだ。

「わたくしが国に災いをもたらす、というのはまさかそういうこと?」

 王宮魔術師がフェリシアの身体をどう使おうとしているのかは分からないが、それによって国家転覆が起こるとすれば、間違いなく国に災いが起きた、ということになるだろう。フェリシアが持って生まれた力とは関係なく、生まれた時から王宮魔術師の掌の上で転がされていたのだとしたら……そう考えながら、フェリシアは無意識に自分の身体を抱き締めていた。薔薇を纏っていない自分の身体は頼りなく、小刻みに震えていた。今まで両親のため、兄のため、王家の誇りを守るため、国民のため、と様々な理由をつけてじっと我慢してきた。すべては〈災いの姫〉として生まれてしまったせいだと思っていたから。

 しかし、それすらも嘘だったなら、フェリシアが十七年間耐えてきたのは何のためだったのだろうか。母には嫌われ、父の顔は一度も見たことがない。兄だけがフェリシアを見てくれたが、それもはじめは同情が半分以上を占めていただろう。事情を知る家臣や家来たちはフェリシアに脅え、王宮魔術師はフェリシアの話を聞こうともしなかった。

 もし自分が〈災いの姫〉ではなかったなら――そんな問いを心の中でどれだけ繰り返してきただろうか。ヴェラント城に幽閉されてから、そんな無駄なことは考えないようにした。考えても虚しくなるだけだ。兄が読んでくれるお姫様の絵本がいつもハッピーエンドであることに虚しくなったのと同じように、結局は叶うはずもない夢物語なのだから。

 フェリシアが〈災いの姫〉として生まれ、母に死を望まれ、ヴェラント城に幽閉されていることは変えられない現実。そして、ギルバートがいなくなったことも、使用人たちを傷つけてしまったことも、すべてフェリシアが受け止めるべき現実。

 それでも、もう諦めたくない。十七年間、自分の幸せを諦め、耐え続けてきた。いい加減、自分のために生きてもいいだろう。王宮魔術師の思惑通りになるぐらいなら、好き勝手に生きてもいいだろう。

「今からでも遅くはないわ。わたくしの自由を取り戻す……!」

 落ち込んでいても、十七年は返ってこないし、やり直すこともできない。変えられるのはこれからの未来しかない。

フェリシアが苦しみながらも歩んできたこの十七年を肯定して笑える、そんな未来をフェリシアの身体に残された時間で切り開く。自分自身のこの手で。

 そうして覚悟を決めた時、ヴェラント城の空気が変わる気配を肌で感じた。

 王宮魔術師が、来る。それも大勢。

 とうとう始まるのだ。


 カツカツ、と階段を上がってくる足音がした。王宮魔術師だ。フェリシアの茨の壁を越えてついに来てしまったらしい。大勢来るかと思ったが、足音は一人だけのものだった。

「お目覚めでしたか、〈災いの姫〉」

 ノックもなしに入って来た無礼な男を視界に捉えて、フェリシアは薄く笑う。

何故だろう。今、フェリシアには強い自信がみなぎっていた。こんな男に負ける気がしない。

「滅多に現れない王宮魔術師長が来ているのに、ずっと寝てはいられないわ」

 王宮魔術師長キルテット。フェリシアを見つめる冷たい眼差しは、どことなく緊張しているように見えた。

「〈災いの姫〉、私と共に来てください」

 滑らかな動作で跪き、キルテットはフェリシアをエスコートする。ここで抵抗する気はなかった。この城にはフェリシア以外に四人の人間がいる。無謀なことはできない。

 今はまだその時ではない。反撃の時を待つ。

 決して王宮魔術師たちの思い通りにはさせない。フェリシアはキルテットの後ろを大人しくついて行きながら、作戦を考えていた。


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