第35話

「ようやくですの?」

 鈴の音のようなかわいらしい声音が、白桃色の部屋に響いた。

 その部屋は広く、一目で高級と分かる調度品が数多く並べられており、部屋の主もまた一目で心を掴まれてしまうような美貌の持ち主だった。

 薄い金色の髪をゆるく編みこんで肩に垂らした女性は、その大きな茶色の瞳に一人の青年を映していた。歳はもう四十手前だというのに、その肌にも、身体にも、その美しさのどこにも加齢による衰えはなかった。とても子どもを二人生んだ母親には見えないその人は、上品に薄く笑みを浮かべていた。その美しさを包む紺色のドレスには、薔薇の刺繍があしらわれ、小さな宝石が散りばめられている。

 完璧に着飾り、激しい感情を隠して優雅に微笑んでいる彼女は、ディラード国王の正妃クレアである。

「はい。今夜でございます」

 白い魔術師装束に身を包んだ青年が、女性の求める答えを口にした。陽光をはじく金色の髪はひとつに結ばれ、普段は感情を映さない深い藍色の瞳をきらめかせている。どうしても、待ち望んでいた時を前に、興奮を抑えきれないらしい。

 それは、クレア王妃も同じのようだった。

「今日で、ようやくわたくしの悩みが消えるのですね」

「はい、王妃様」

「よろしく頼みますよ、キルテット」

 クレアの前に丁寧に跪いた、王宮魔術師長キルテットはその言葉に笑顔を返した。


 ***


 第一王子行方不明で混乱していた王城内は、突然その第一王子が美女と現れたことでさらに大混乱に陥っていた。二人を見送ったギルバートは、自分もフェリシアの元へ帰るために足を踏み出す。

 しかし、その目の前に何者かが立ちふさがった。

「お兄さんは、何者なの?」

 ギルバートの進路を塞いだのは、十歳ぐらいの男の子だった。それも、身なりがよく、見た目もかわいらしい男の子。柔らかそうな金色の髪はくるくるとした巻き毛で、ギルバートをじっと見つめる丸い瞳は紫、小さなその身体には少し似合わない白い貴族服。皺ひとつないシャツとズボン、金色の刺繍入りベスト、汚れを知らない白い靴、それらを見て、ギルバートには目の前の少年が何者なのかすぐに分かった。

 本来ならば、子どもの相手をしている状況ではない。しかし、相手が相手だ。ギルバートは愛想のいい笑顔を浮かべて答えた。

「私はギルバート。魔術師ですよ」

「じゃあ、お兄さんなら会わせてくれる? ……ぼくの、お姉さまに」

 尻つぼみになっていたが、ギルバートはその言葉をはっきり聞き取れた。

「あなたは、ルーフェル殿下ですね。何故、私に?」

 ギルバートはしゃがみ込み、少年に目線を合わせて問う。金髪の髪や、優しげな瞳、整った顔かたちがどことなくフェリシアを思い起こさせたので、ギルバートはフェリシアの同母弟、第二王子ルーフェルだと確信していた。

 予想通り、少年は頷いた。

 しかし何故、大切に大切に守られているはずのルーフェルが一人でこんな森のような外庭にいるのだろうか。側近たちは何をしているのだ。

「お兄さまとベルーナと話しているのを見てたから。お兄さんは、お姉さまの味方なんでしょう?」

 ルーフェルは真剣な瞳で言った。そこには幼いながらにも、強い覚悟があった。

(お兄さまというのがグースだということは分かるが、何故師匠のことをルーフェル殿下が知っているんだ?)

 ベルーナのことも気になるが、どうしてルーフェルがそんなことを気にするのだろう。王妃クレアはフェリシアの存在を頑なに否定していて、存在すらなかったことにしていると聞く。フェリシアがヴェラント城に幽閉されて産まれたルーフェルが、〈災いの姫〉である姉の存在に触れることなどできたのだろうか。

「ねぇ、お兄さんはお姉さまのこと知ってるんだよね?」

 ルーフェルにマントを掴まれて、ギルバートは思考の海から上がる。考えても答えが出て来ないならば、情報が必要だ。

「えぇ、よく知っていますよ。でも、どうして殿下はフェリシア様に会いたいのでしょうか。お母様は知っているのですか?」

 お母様、という一言にルーフェルはひどく脅えたような反応を示した。怒られてしまうのを恐れているように、唇を引き結んでいる。

「大丈夫ですよ。言いつけたりはしません」

 安心させるようにそう言うと、ルーフェルはほっと息を吐いた。

「お母様は、絶対に教えてくれないけど……ぼくには可愛いお姉さまがいるってお兄さまに教えてもらってから、ずっと会ってみたくて……」

 どうやらルーフェルにフェリシアのことを教えたのはグースらしい。親切で教えた、というよりも、フェリシアの可愛さと自分だけ会えるのだということを自慢したいだけだろう。それを聞かされるルーフェルが可哀想だ。

 つまりは、グースから姉の話を聞いて、ルーフェルの中では会いたいという気持ちばかりが募つのっている、ということだろう。知らない人間を待ち伏せして頼るほどに。

「ミリアに頼んでも、何もしてくれないから。でも、きっとお兄さんならどうにかしてくれるでしょう?」

 ルーフェルの必死な様子に、ギルバートは思わず頷きそうになった。しかし、こればかりはギルバートだけで決められることではない。会わせてやりたいのは山々だが、今の状況でルーフェルをヴェラント城に連れて行く訳にはいかない。

(そうか……ミリアはルーフェル殿下とつながっていたのか)

 フェリシアに寄り添えるミリアが裏切り者でなくてほっとした。ルーフェルを通して王宮魔術師と関わりがある可能性も捨てきれないが、ルーフェルのこの様子では嘘は吐いていないだろう。だとすれば、裏切り者はあの人しかいない。ギルバートはある人物の顔を思い浮かべた。

「お兄さん、ぼくはお姉様に会える?」

 黙り込むギルバートに、縋るようにルーフェルが問う。

 ミリアがフェリシアのために隠しているのなら、その理由が分かるまでは勝手に動かない方がいいだろう。ギルバートはそう考え、答える。

「ルーフェル殿下、今は返事ができません」

「どうして?」

「あなたのお姉さまの身に危険が迫っているからですよ」

 どれだけ事の深刻さを分かっているのかは分からないが、ギルバートの言葉にルーフェルは顔色を失った。目には涙まで溜まってきた。何故かとても悪いことをしてしまったような気分になり、ギルバートは慌てて付け加えた。

「……きっと私が助け出しますから大丈夫ですよ。そうしたら、ルーフェル殿下のことをフェリシア様に必ずお伝えします」

「絶対、絶対にお姉さまを助けてね! 会いたいってお願いしてね!」

「えぇ、必ず……!」

 ギルバートは涙をこぼすルーフェルをなだめるように抱き寄せた。そして、約束の指切りをしてルーフェルに背を向ける。普通なら、リーデント城からヴェラント城まで馬で駆けて半日。しかし、ギルバートは魔術師だ。フェリシアに内緒でヴェラント城外に刻んでおいた魔術と対になる魔術陣を地面に刻み、薔薇の花弁を魔術陣に加える。

(どうか無事でいてください、姫……!)

 ギルバートは転移の魔術でその場から消えた。

 そして、ギルバートがいた場所をルーフェルが祈るように見つめていた。

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