第29話
「あなたが、王宮魔術師長ですか」
ギルバートは動揺を悟らせないよう落ち着いて振り返った。
そこにいたのは、金色の髪に深い藍色の瞳を持つ若い男だった。二十代半ばぐらいだろうか。責任ある立場の者にしては随分若い。どういう基準で王宮魔術師長が選ばれているのか、ギルバートには知る由もないが、魔術師としての力量で選ばれているのだとしたら、目の前の男はただ者ではないだろう。
しかし、その整った顔は無表情で、何の感情も見いだせない。やっかいな相手だ、とギルバートは警戒心を強くする。白い衣には王宮魔術師の紋章である白薔薇が縫い付けられており、彼の手には分厚い魔術関連の本が抱えられていた。
「いかにも、私が王宮魔術師長キルテットです。そういうあなたは何者なのでしょう。こんな夜中に」
非難めいた言葉を紡いでいるのに、そこには警戒の色も嫌悪も色も、何の感情もみられなかった。まるで先程目にした、死んだように咲く薔薇と同じだ。王宮魔術師が自分という個を認めず、感情を殺している様は滑稽で、哀れに思える。かつては自分も感情のコントロールに必死になったこともあったが、そんなことをしても無駄なのだとフェリシアに出会った今のギルバートなら分かる。
「私はギルバート。友人を探してここまで来たのです」
ギルバートは逃げる気も隠れるつもりもなかった。グースの居場所を手っ取り早く知るためには、捕えた本人に訊けばいい。王宮魔術師を探す手間が省けてちょうどいい。ギルバートは、王宮魔術師を恐れてはいなかった。
「ほう、友人……。もしや王宮魔術師の中にいるのですか」
「いいえ、グース殿下ですよ」
「グース殿下が友人とは、本当にあなたは何者でしょうか」
キルテットは抑揚のない淡々とした答えを返す。
「私はただの友人です。グース殿下はこの建物内にいるでしょう? まぁ素直にあなた方が答えるとは思えませんけどね」
ギルバートはちらりと後ろを見た。そこにはもう十数人の白い衣を着た王宮魔術師たちがいた。ギルバートは集まってきた王宮魔術師の数や表情よりも、その若さに驚いていた。王宮魔術師長を筆頭として、王宮魔術師には若い男が多い。経験豊富な年配の王宮魔術師がいてもいいはずなのに、皆が二十代あたりと若い。
この中に〈災いの姫〉の存在を本当に理解している者は何人いるのだろうか。
フェリシアが生まれた十年前、彼らもまた子どもだったはずだ。当時のことを何も知りもせず、フェリシアの気持ちを考えもせず、ただ彼らの目的のために〈災いの姫〉を利用している。それがたとえ人類、世界のためだとしても許せるはずがない。
一人の人間の命を、その人生を、誰かが勝手に捻じ曲げていいはずがないのだ。抗えない圧倒的な力で押し潰していいはずがない。道具や手段として使われるためにある生命など、この世に存在しない。
国民にとっては、死んだと聞かされている〈災いの姫〉が本当に死んだと聞かされても、何の痛みも哀しみもないだろう。それが王宮魔術師長の判断で、ディラード王国に平穏をもたらすのなら、〈災いの姫〉の死を喜ぶ者もいるかもしれない。
しかし、国民や王宮魔術師たちにとっては必要な犠牲でも、ギルバートやグースにとってフェリシアはかけがえのない存在なのだ。
失ったものは二度と戻らない。フェリシアを王宮魔術師たちが信じる大義名分の前に散らせる訳にはいかない。たった一輪の薔薇を守るために、ギルバートはすべてを敵に回してもいい。
また、あの笑顔が見たいから、笑いかけて欲しいから。
ギルバートは、〈災いの姫〉に対して何の感情も抱いていない王宮魔術師たちに激しい怒りを覚えながらも、顔には笑みをつくっていた。
「心外ですね。我々はグース殿下のことを本当に知りませんよ。あの方のことだ、可愛い妹君のところへ行っているんじゃありませんか」
「ここにいることは分かっています。私にも時間がありませんので、少々手荒な真似を取らせていただきます」
そう言った直後、ギルバートは後ろに控えていた王宮魔術師たちを一瞬の間に全員気絶させた。普段魔術書ばかり読み、薔薇や魔術の研究ばかりしている男たちだ。あっけなく倒すことができた。しかし、そんな光景を前にしても、キルテットの顔に焦りは見られない。
「さぁ、あなたもこうなりたくなかったらグース殿下の元まで案内してもらいましょうか」
「仕方ないですね」
無表情でそう言って、キルテットは入り組んだ建物内を進んで行く。
やはり、グースはここにいるらしい。
通り過ぎる壁や地面には、建物の守護とはまた違った魔法陣が刻まれていた。その解読をする暇も与えないように、キルテットは足早に先へ行く。キルテットの後ろをついて行きながら、頭の中で地図を描くが、途中で訳が分からなくなる。出口のない迷路のようだ。地図を作ることは諦めて、ギルバートはキルテットに話しかける。
「あなた方王宮魔術師は、〈災いの姫〉をどう考えているんですか?」
「はて、何のことでしょう」
魔術師の間では公然の秘密とされている〈災いの姫〉について、キルテットは白を切るつもりらしい。
「御存じないのですか。十年前に当時の王宮魔術師長がディラード王国第一王女フェリシア様にしたことを。あなたが本当に王宮魔術師長ならば、現在のヴェラント城の魔術管理責任者はあなたでしょう?」
「本当に、あなたは何者ですか。一体何をどこまでご存じなのでしょうか?」
この時初めてキルテットの声が厳しくなった。後ろについているギルバートからはその表情を見ることはできなかったが、確実に纏う空気は変わっていた。
「私はただフェリシア様を大切に思う男です」
「ほう、〈災いの姫〉を……」
ギルバートは一瞬垣間見えたキルテットの表情に、心がざわつくのを感じた。
笑っていたのだ。無表情を崩したことのなかったキルテットが、その口元をぎこちなく歪めて。
「何がおかしい。フェリシア様をどうするつもりだ?」
キルテットの笑みを見て、ギルバートは思わず感情的になる。
「どうするも何も、我々の力で災いの力を鎮めるのです」
すでに無表情に戻っているキルテットが、何の感情も持たない声で振り返った。
「ふざけるな! お前らのせいで姫がどれだけ苦しんでいると……」
ギルバートはキルテットに鋭い視線を向けるが、彼は全く気にした様子なく静かな瞳でこちらを見ていた。その顔を見て、ギルバートは悟った。この男には何を言っても無駄だと。一瞬にして心が冷え、爆発しそうだった怒りは諦めに変わった。
「……グースをどうした?」
「何も。ただ丁重におもてなしさせていただいただけですよ」
王宮魔術師による丁重なもてなしなど、ない方がましだ。一刻も早くグースを救い出し、共にヴェラント城へ、フェリシアの元へ帰るのだ。
しかしこの施設内はどれだけ広いのか、歩いても歩いても進んでいる気がしない。同じところを何度もぐるぐる回っているようだ。
そうして歩いていくうち、ギルバートは身体に異変を感じはじめた。
(頭が、くらくらする……)
前を行くキルテットは平気で真っ直ぐ歩いているのに、ギルバートは歩くことすら精一杯な状態になっていた。平衡感覚が狂っている。おそらく壁と地面の模様のせいだ。しかし、その原因を推測した時にはもう遅かった。ギルバートの脳は完全に混乱状態にあり、三半規管も機能していなかった。
「この先に、グース殿下がいます」
キルテットが指したのは、地下へと続く階段だった。
「どうしました? お辛そうですね。少し休みますか?」
「俺のことはかまうな。さっさとグースのところへ案内しろ……」
ギルバートはひどいめまいを感じながらも、その階段に足をかけた。しかし、足は固い石を踏むことなく、何もない闇を踏んだだけだった。まずい、と思った瞬間にはキルテットに背中を押され、ギルバートは体ごと闇に落ちていった……。
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