第28話

 どこまでも続く闇の中、暗く、光が全く差さない場所。

 薔薇の香りも、フェリシアの姿も、何もない。

 ――まるで昔に戻ったようだ。

 この手には何の力もなく、大切なものを守ることはできない。昔の無力だった自分にはもう戻りたくない……。

 ギルバートは、暗闇の中でじっと目を閉じる。

 目を開いていても、目を閉じていても、映るのは闇だ。ならば、目を閉じて美しい薔薇姫の姿を思い浮かべよう。

 ギルバートの心を掴んだ気高い姿、強い意志を映す真紅の瞳、透き通るような白い肌、薔薇に微笑む無邪気な笑顔。その全てを側で見守ることができたなんて、夢のような日々だった。

 本当に、夢だったのではないか。

 再び闇の中に囚われてしまったギルバートには、何が現実で何が夢だったのかよく分からなくなっていた。もしかすると、あの幸せな日々はフェリシアの側にいたいと願う自分が見せた都合のいい夢ではないか。

 しかし、笑っていてほしいはずのフェリシアの傷ついた顔が、ギルバートの脳裏には鮮明に焼き付いている。やはり、夢ではなく現実だ。ギルバートがヴェラント城に忍び込んだことも、フェリシアの専属魔術師になったことも、フェリシアが隠していた身体の痣を暴き、傷つけたことも――。

「フェリシア様……」

 今頃、また涙を流していないだろうか。誰にも頼れずに苦しんではいないだろうか。

 フェリシアを守ると誓ったのに、自分は今何をしているのだ。

 声すら響かない無の空間。暗闇に意識を引きずり込まれそうになりながらも、ギルバートは考えをめぐらせる。

 おそらく、魔術で作られた場所だろう。魔術騎士団に捕えられた魔術師が行き着く場所なのかもしれない。右も左も上も下も、全てが暗闇に包まれ、自分の存在さえ不確かになる。平衡感覚は麻痺し、今自分が立っているのか座っているのかも、地面に寝転がっているのかさえ分からない。

(今は、いつだ……?)

 この空間に時間を感じさせるものは何もない。ほんの数秒か、数時間、あるいはとてつもなく長い時間が流れているかもしれない。何も分からないために、ギルバートの焦りと不安は大きくなる。

 自分は一体どうして、こんな闇の中にいるのだろう。

(あぁ、思い出した……)

 マノラ教会を出た後、ギルバートは王城リーデントに向かったのだ。グースに会うために。


 ***


 王都シャーリッドから少し離れた平地に、リーデント城はある。その場所は、神であるリアトルが初めて降り立った場所。そして、地上に初めて薔薇が咲いた場所でもある。王城は、そんな聖地ともいわれる地に厳かに、優雅に、美しく建っていた。

 白い外壁と赤い屋根が特徴的で、広大な敷地内にはマノラ教の大聖堂や薔薇園、宮殿、尖塔などがある。前庭の美しい幾何学模様には、多くの者が目を奪われるという。王城に咲く薔薇の影響からか、芝生による幾何学模様は、毎日変化を見せる。模様の変化や、芝の変色、咲くはずのない花が咲くこともあり、日に日に違う表情を見せる。その変化する前庭を一目見ようと、見学者が後を絶たないらしい。

 その模様によって運勢を占うこともあるほど、国民への影響力は高い。マノラ教信者たちは、その模様によって神の意志を感じるのだとか。ギルバートはマノラ教を信じてはいないが、薔薇の生まれた地が何に影響を与えるのか、魔術師として興味がある。それに、美しいものや感動を共有したい人がいる。

「また昼間に姫と来たいなぁ」

 今は真夜中だ。月明かりと、松明の灯りだけが城を照らしている。夜の城というのもまた違った優美さがあるが、やはり庭園や色彩を楽しむなら明るい時がいいだろう。

 しかしこの王城は、フェリシアにとっては自分が存在してはいけなかった場所だ。素直に美しい庭を見せたいと思っても、フェリシアの複雑な気持ちを考えると、もう来ることはないかもしれない。ギルバートは、フェリシアが笑っていられる場所へ連れて行きたいのだ。

 そして、そのためにはフェリシアを縛り付ける王宮魔術師の魔術を解かなければならない。

(さて、どうしようか……)

 城壁の周辺には緑の木々が植えられている。ギルバートはその木陰から城の様子を伺っていた。

 城門には、騎士が二人。紺色の騎士服の胸元には、赤い薔薇が刻まれている。波打つような花弁の薔薇を紋章に持つのは、王や王族の身辺警護を担う近衛騎士団だ。王立騎士団と魔術騎士団から選抜された者達が所属する近衛騎士団は精鋭ぞろいだ。魔術に長けた者と武力に長けた者を相手に、ギルバート一人で勝てるはずがない。と言っても、ギルバートは城に忍び込むつもりなど毛頭なかった。強行突破は最終手段だ。

「よし、行こう」

 城内にスムーズに入るには、正面から堂々と行くのが一番だ。ギルバートには幸い、城に客人として招き入れられるであろう切り札がある。

 ギルバートは朗らかな笑みを浮かべて、門番をしている騎士たちに向かって歩き出した。

「どうも、こんばんは」

「貴様、何者だ」

 硬い表情と声にも、ギルバートは人当りの良い笑みで答える。

「グース殿下の友人ですよ」

「何? 殿下の?」

「これが証拠です」

 ギルバートは笑みを崩さず、あるものを見せた。それは、グースからもしもの時のために、と預かっていたもの。

「王家の紋章、グース殿下のサインまである。本物だ」

 ギルバートの身分を証明する証明書を、グースは用意してくれていた。フェリシアのためだからな、と念を押していたが、ギルバートがフェリシアの側にいられるよう計らってくれたのだ。隠れてではなく、公式に側にいられるように。そんなこと、フェリシアは知らないだろうが。

「こんな夜更けにご無礼かとは思ったのですが、グース殿下に火急の用があるのです。お目にかかることはできますか?」

 騎士二人は顔を見合わせ、難しい顔をした。

(やはり、こんな真夜中に訪問するのは怪しすぎるか)

 ギルバートは魔術を行使して強硬突破することも考えたが、一人の騎士が渋い顔で口を開いた。

「グース殿下もお忙しいだろう。まずは側近のリーブス様に取次をさせてもらう。それでいいか?」

 その言葉に、ギルバートはにっこりと頷いた。側近であれば、グースの行動を把握しているだろう。

 鍵のことは任せろとグースは言っていたが、やはりギルバートは心配になった。

 あの考えていることが分かりやすいグースが、王宮魔術師を出し抜いて鍵を手に入れることなど果たして可能なのか。

 仮にも第一王子だ、手荒な真似はされないだろうとは思うが、王宮魔術師の目的がわからない今、彼らが秘密を嗅ぎまわりはじめたグースをどうするか分からない。

 だから、ギルバートはヴェラント城ではなく、リーデント城に来た。ついでにグースから鍵をもらい、王宮魔術師の秘密を暴ければ一石二鳥だ。

 そんなことを考えていると、側近を呼びに行った騎士が戻ってきた。しかし、側近らしき者の姿は見当たらない。彼はひとりで戻ってきてしまった。


「おい、リーブス様はどうした?」

「それが、グース殿下の行方が分からなくなったらしく、近衛騎士団総出で殿下捜索を行っていると……!」

 遅かったか。ギルバートは思わず舌打ちをしていた。

 まだ見張りの近衛騎士に知らせが届いていないということは、グースの不在が分かってからそう時間は経っていないだろう。

「……ったく、世話の焼ける」

 ギルバートは一つ溜息を吐いて覚悟を決めた。おそらく、グースは王宮魔術師のところにいる。鍵の入手に失敗して捕まったか、今もまだ粘って王宮魔術師と交渉しているか。グースのことだ、うまく乗せられて捕まっているに違いない。仮にもディラード王国第一王子ともあろう者が何をしているのか。早く救い出してやらねば。


「あの、王宮魔術師の場所ってわかります?」

「え、あぁ、それなら王城の東側の……」

「どうも~!」

 ギルバートは一瞬の間に騎士の間をすり抜けて、東側目指して走る。後ろから騎士が追いかけて来ているのが分かったが、暗闇で黒いマントを着たギルバートを追いかけるのは難しいだろう。それに、あの二人は門番として、夜中までずっと立ち続けていた。足には相当疲れが溜まっているはずだ。案の定、ギルバートはすぐに二人を引き離すことができた。

「まぁ、目的地はバレバレだけどね」

 まもなく、ギルバートは王宮魔術師の施設に到着した。

 暗く、装飾もなく、無機質な建物。星空を見るためなのか、神の声を聞くためなのか、正面に見えるドーム状の屋根はガラス張りだった。それはどこかヴェラント城を思わせた。ヴェラント城の主塔の屋根はガラス張りにはなっていなかったが、そこを除いて大まかな建物の配置はヴェラント城によく似ている。

 この施設をモデルとしてヴェラント城を建てたのか、王宮魔術師が禁術発動のために建て直したのか。あるいは何の関係もないのか。いずれにせよ、王宮魔術師の情報を探るいい機会だ。まずはグースを見つけ出さなければならないが。

 正面の扉の鍵は開いていて、ギルバートはすんなり中に入ることができた。円形の建物の中を、ギルバートは慎重に歩く。

 “円”は魔術における境界であり、結界である。

 どんな魔術でも、その魔術が発動する範囲を決めておかなければならなない。円の大きさにより、魔術の大きさが決まる。ヴェラント城が円形なのも、あの城自体を魔術陣として利用しているから。

 そして、この建物も、何らかの魔術を発動させているはずだ。ギルバートは注意深く壁や地面の魔術陣を読み解きながら歩く。それらの魔術はだいたいが建物を守るためのものだった。自然災害や戦争などにより、何らかの衝撃やこの建物を襲っても、この魔術が発動している限り大きな被害はない。おそらく、王族が住まう王宮、リーデント城にも同じ魔術が施されているだろう。

 そうしてギルバートが神経を張りつめながら歩いていると、窓の外にある薔薇園が見えた。

(姫の薔薇園とは大違いだな……)

 いくら造りが似ていても、そこに咲く薔薇までは似せることはできない。フェリシアが咲かせる薔薇は生き生きとして、可愛らしく、それでいて誇り高い。しかしこの薔薇園の薔薇は感情を殺して咲いていて、あまりにも冷たい色をしている。月明かりでさえこの場所を避けているために、暗く闇に沈んでいるように見える。

 こんなさみしい場所に咲いている薔薇が可哀想だ、とギルバートは思う。きっとフェリシアがこの薔薇たちを見たら悲しむだろう。しかし、フェリシアならば死んだように咲く薔薇に生命を吹き込むことができるはずだ。優しくて、美しい心を持つ人だから。

「おやおや、あなたは何者でしょうか」

 ふいに、背後から声をかけられた。薔薇園に意識を集中していたとしても、ギルバートが人の気配を感じなかったなんてあり得ない。それほどに、完全に気配を殺していたのだ。そんなことができるのは、おそらくここにいる人物では一人だけだ。

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