第4章 王宮魔術師の思惑

第26話

 目覚めると、朝だった。

フェリシアがいるのは、いつも寝起きするふわふわのベッドの上だが、自分で入った覚えはない。まだ寝ぼけている頭で、昨夜の記憶を辿る。

(そうだ、ギルバートが部屋に来て……)

 フェリシアははっと自分の身体を見た。薔薇がない。常に身に着けていた薔薇がないだけで、不安になる。辺りを見回すと、薔薇のショールは丁寧にベッドサイドのテーブルに置かれていた。

「信じられないわ……わたくしが眠ったままだったなんて」

 フェリシアは、状況から考えておそらくギルバートの手でベッドに運ばれたのだろう。その間、どうして自分は目覚めなかったのだろうか。眠っている間でも、フェリシアは常に神経を研ぎ澄ませている。かすかな物音でも目が覚めるのだ。だから、いつも寝不足だ。それなのに、今日に限ってフェリシアは一度も起きることなく眠っていた。何も考えずにぐっすり眠ったことなど、初めてかもしれない。

 十年間隠し続けていた醜い痣を暴かれたというのに、よく無防備に眠れたものだと自分でも不思議でならない。

「何なの、あの男……?」

 フェリシアは、そっと寝間着の袖を上げた。白い肌に広がる、黒く醜い痣は、皮肉にも薔薇模様をしている。ピリピリとした小さな痺れをフェリシアに与えるこの痣に、ギルバートは口づけを落とした。たったそれだけで、何も変わりなどないはずなのに、彼に口づけられたところが熱を持っている気がした。

(あぁもうっ……わたくしらしくない!)

 ギルバートに影響されている自分が認められなくて、フェリシアは衝動的に薔薇を手に取った。鋭い棘を強く握っても、フェリシアの肌には傷一つつかない。

 自分が〈災いの姫〉であることを、再認識する。

 ギルバートといると、自分が守られるただのか弱い女の子であってもいいのではないかと思ってしまう。普通の女の子と同じように誰かに想われ、誰かを想ってもいいのではないかと思ってしまうのだ。

 ――そんなこと、許されるはずがないのに……。

「ギルには、説教が必要ね」

 ずっと薔薇に守らせていた弱い自我を頭から追い出して、フェリシアは昨夜のことをどう処罰しようかと考えていた。主君に忠実な僕が、主君の秘密を暴き、約束を違えたのだ。簡単に許していては主君としての威厳が失われる。しかし、ギルバートをどうこらしめようかと考えているフェリシアの顔は緩んでいた。そのことに、ただ一人本人だけが気付いていない。

「おはようございます、フェリシア様」

 ノックをしていつものようにミリアがフェリシアの部屋にモーニングティを運んで来てくれる。

「おはよう、ミリア。ねぇ、ギルバートはもう起きているかしら?」

 何気なく尋ねたつもりなのに、ミリアは少し脅えたような反応を示した。それを不審に思い、フェリシアは重ねて訊く。

「ギルバートはどこにいるの?」

 ミリアは一瞬固まった後、ぎこちない笑みを浮かべて言った。

「……わ、私は、何も存じ上げません」

「そう。ミリアまで、わたくしに嘘をつくの?」

 フェリシアは立ち上がり、少し背の高いミリアを見上げた。冷たく、恐ろしい程に赤い瞳で、ミリアを見据える。

「いいえ、決して嘘ではございません、ただ、この城にはもうギルバート様はいらっしゃいません」

 ミリアが震える声で弁解する。そして、その内容を理解した途端、フェリシアは胸に氷の刃を突き刺されたような鋭く冷たい痛みを感じた。

「……この城に、ギルバートが、いない? どうして?」

 つい昨日までフェリシアの側にいてくれたのに。つい昨日までフェリシアの側で笑っていたのに。初めて心を許してもいいと思いかけた人だったのに、黙ってフェリシアの側から姿を消すなんて。

(……信じないわ。わたくしは、この目で見るまで信じない)

 フェリシアはミリアが何か言いかけるのも無視して、急いで部屋を出た。


「ギルバート! どこにいるの!」

 自分の側を離れたくないと言っていたはずの男を、何故かフェリシアが探している。いつもの冷静さも、落ち着きも、誰にどう見られているのかも考える余裕はなかった。

「フェリシア様、何事ですか?」

 取り乱しているフェリシアの前に立ち、初めに声をかけたのはビートだった。どうやらフェリシアの叫び声を聞いて慌てて駆け付けたらしかった。その姿を見て、フェリシアは少し冷静になる。無意識に外に出ようとしていたのか、フェリシアがいたのは玄関ホールだった。

「……ギルが、いないの。先生は知っているかしら?」

「いえ、昨日から私も姿を見ていませんが」

「もしギルがここから出て行ったとすれば、〈災いの姫〉の存在を広めるかもしれないわ。この城のこと、誰かに言ってしまうかも……」

 本当はそんなことどうでもよかった。ただ、ギルバートを探す理由が欲しかった。〈災いの姫〉が死んだことにされているよりも、自分はまだ生きているのだと認めて欲しかったし、全く会いに来ない両親に娘の存在を思い出させたい。だから、〈災いの姫〉の存在が世間にばれようと、どこまで広まろうとフェリシアの知ったことではない。

 しかし、ギルバートがいなくなったことは予想外にフェリシアに大きなショックを与えていた。元々いなかった専属魔術師が一人いなくなったところで何も変わらない、と以前の自分なら言っていただろうに。

 どうしてこんなにも不安になるのだろう。

 フェリシアの側には、今まで通り優しい使用人たちがいてくれているのに。ギルバートがいなくなったところで、変わらない日常に戻るだけなのに。

「ならば、私が探しましょう」

 ビートは一呼吸の間を置いて、答えた。その薄青色の瞳は心配そうにフェリシアを見つめている。

 ビートは分かっているのだろう。もしもギルバートがこの城を出ていたとしたら、フェリシア自身で探すことはできない、と。

 ――〈災いの姫〉はヴェラント城から出ることはできないから。

「え、えぇ……お願いするわ」

 ビートの言葉で自分がいかに冷静さを失っていたのかに気付き、フェリシアは頷いた。そして同時に、この城から出られないことに初めてもどかしさを感じた。

 ビートが出て行こうとした時、外からザックが入って来た。フェリシアは少し期待して見つめるが、ザックは渋い顔で首を横に振るだけだった。

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