第25話

 色とりどりの屋根が特徴的であるヴェラントの街並みであるが、今は夜の闇によって色の判別ができない。しかし、海辺だけあって潮風は常に感じることができた。

「こんな真夜中だと、宴会している漁師さんもいませんね」

 ヴェラントに住む者のほとんどは漁師である。街には新鮮な海の幸を提供する市場や、魚料理の店などが多くある。おそらくロッカスも、この市場で材料を仕入れているのだろう。賑やかな漁師の宴会を見られるかもしれない、と期待していたギルバートは少し残念だった。

「明日の漁のために早く寝ているのでしょう」

「それもそうですね。あぁ、あれが教会ですか」

 ギルバートは、入り組んだ街並みの中心にそびえ立つ教会を指した。不規則に建っている街の建物が野花だとすれば、それらを従えるように真っ直ぐに建つ荘厳な教会は何ものをも寄せ付けない一輪の薔薇だった。

「え、と……本当にギルバート様も教会に?」

「もちろんです」

 ギルバートが笑顔で即答すると、ミリアはぎこちない笑みを返した。

 教会に近づくにつれ、その全体像が見えてきた。ヴェラントのマノラ教会は、礼拝堂しかないようだった。だが、こじんまりとした教会は素朴なあたたかさがあった。

 入り口の薔薇が彫られた木の扉を開き、ミリアと共にギルバートも礼拝堂内へ入る。中には木の椅子が並べられており、礼拝堂の最奥にはリアトルの像が置かれていた。そして、その足元には薔薇を模した赤いガラス細工が輝いている。

 ミリアは一度膝をついて祈りを捧げ、像へと真っ直ぐに歩いて行く。神に祈る気のないギルバートは、礼拝堂をゆっくり観察していた。マノラ教は別名薔薇宗教と言われるだけあって、礼拝堂内には薔薇が溢れていた。天井画にはリアトルが地上に降りた場面や薔薇を咲かせた場面、兄弟神が男に契約書を渡す場面、リアトルの愛を伝えるために聖女マノラが世界を旅する場面などが描かれていた。

(やはり皆を愛し皆に愛される神よりも、俺はフェリシア様がいい)

 天井に描かれているどの場面にも、礼拝堂を美しく飾る薔薇の装飾にも、ギルバートの心は全く動かなかった。ギルバートが薔薇を愛しているのは、フェリシアを思い出せるからだ。フェリシアの気配を感じないマノラ教会では、薔薇はただの花にすぎない。魔術のために薔薇の花弁は常備しているが、それはただの道具としてしか認識していない。マノラ教信者のように薔薇崇拝などしたくもなかった。フェリシアが咲かせた薔薇でなければギルバートにとっては何の意味もないのだ。

 フェリシアの側にいる時は何を見ても感動し、何をしていても楽しい気持ちになれたのに、今は空虚感だけがギルバートを支配している。フェリシアがいなければ、ギルバートは昔の何もなかった自分に戻ってしまう。

「ミリア、来ていたのですか」

 ギルバートの意識が過去に引きずられそうになった時、礼拝堂内に男の声が響いた。

「し、神父様!」

「今日も、あの方から……」

 ミリアがはっと顔を上げ、黒い服に身を包んだ男に慌てて近づき、その口を塞いだ。

「今は、駄目です……あそこにフェリシア様の、まじゅ……いえ、従者の方がいらしているんです」

 と、ミリアはこそこそと神父に耳打ちしているが、いくら小声で話していても耳がいいギルバートには聞こえてしまう。しかし、気付かないふりをしておく。

 一体ミリアは何を隠そうとしているのだろうか。

「では、これだけでも……」

 神父がミリアの手に握らせたのは、白い封筒だった。

「今日は、これで失礼します」

 ミリアは手にしたものをスカートのポケットに入れ、ギルバートの目を一切見ずに礼拝堂を出て行った。

「ありゃ~、置いて行かれちゃいました。あ、どうも、ギルバートと申します」

 ミリアのことはまた城で調べるとして、ギルバートはミリアと何らかの関わりを持つ神父に声をかけた。

「イアン、と申します」

 見た所四十代前半の神父は、落ち着いた声で答えた。その短い黒髪と黒い瞳は、誠実そうな印象を与える。

「ミリアさんとは親しいのですか?」

「……まぁ、娘ですから」

 イアンの答えに、ギルバートはなるほどと納得した。よく見てみると、ミリアとどことなく雰囲気が似ている。父親が神父であれば、娘が熱心なマノラ教徒に育つのも頷ける。

「イアンさんは、魔術師ですか?」

「いいえ、私は神のお考えをみなさんに伝えるだけのただの神父です」

 マノラ教の神父のほとんどが魔術師協会に入ることはできたものの、魔術師になれなかった者達だ。魔術師協会の内部に入り込んだことがないため、ギルバートにはどういう基準で魔術師が選ばれているのかは分からないが、魔術師になる素質のないものは協会を追い出される。そして、追い出された者の大半が神父となる。魔術師として国に尽くすことはできなくとも、神父として神の教えを皆に伝えることはできる、と。

 魔術師から見れば、魔術師になれず追い出された者たちは負け組だが、国民からすれば魔術を学んだ者であり、魔術師と同じく神に近い存在だと信じられている。神父自身が自らに魔術師になる素質がなかったのだと言うはずもなく、一般人が魔術師と関わることは滅多にないため神父に絶対的な信頼を寄せているのだ。

 すべての神父がそうだとは言わないが、中にはただ人々に崇拝されたいだけで神父となる人間もいる。この神父は、果たして本当に神を信じているのか。

「神の声、ですか。私には聞こえませんけどね」

「リアトル様は、私達の心の中に共にいます。信じていれば、リアトル様の愛がきっとあなたの心にも伝わります」

 ギルバートの皮肉には、神父としての正しい答えが返って来た。イアンと神について議論するつもりはなかったので、ギルバートは聞き流して、白い封筒について訊いてみる。

「それで、ただの神父さんがミリアさんに誰からの手紙をお渡しになったのです?」

「お恥ずかしながら、私が娘に手紙を書いたのです」

「その手紙を隠すように去っていきましたけど?」

 ギルバートの間を置かない質問にも、イアンは穏やかな笑みを浮かべたまま落ち着いて答える。

「なに、年頃の娘ですから照れているのでしょう」

 イアンとミリアが何かを隠していることは間違いない。しかし、これ以上イアンから聞き出すことはできないだろう。

(手紙、か……)

 ギルバートからは、白い封筒しか見えなかった。中身が何なのか、ギルバートに分かるはずもない。だから、手紙だと鎌をかけてみたのだ。手紙だということに表情を変えず、さらりと嘘をついたイアンを見て、ギルバートは確信した。

 ミリアはこのマノラ教会で誰からの手紙を受け取っていたのだろうか。

 もし王宮魔術師からの指示だとすれば、それはフェリシアへの裏切り行為となる。たとえフェリシアのために必要なことだと言われていたとしても。ミリアに裏切りの意志がなかったとしても。

「大人びて見えるミリアさんでも、やはり父親の前だと一人の娘なんですね」

「いつまでも、私にとっては可愛い娘です」

「……ミリアさんは、愛されて育ったんですね」

 ギルバートは自分の表情が硬くならないよう意識して、イアンにおやすみなさいと告げて礼拝堂を出た。


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