第24話

 切り立った崖の上に建てられたヴェラント城は、深い森に囲まれている。道が整備されていないため、ヴェラントの町まで下りるのに歩きだと一時間以上かかる。その道中、ギルバートはミリアを質問攻めにして困らせていた。

「ミリアさんはよく教会に?」

「えぇ」

「いつもこんな真夜中に?」

「……まぁ。昼間は仕事がありますし」

 ギルバートの言葉に、ミリアは適当に相槌を打っている。

「いやぁ、驚きです。ヴェラント城の出入りがこんなにも簡単だったとは」

 意外そうに言いながらも、ヴェラント城に侵入したことのあるギルバートは知っていた。ヴェラント城には、侵入者を阻む魔術など存在しない。森に迷い込んだ者が城を見つけないよう強力な惑わしの術は施されているが、城の存在を知る者には無意味な術だ。つまり、ヴェラント城の存在を知る者ならば簡単に出入りできる、ということになる。

 グースが毎回入るのに手こずるのは、間抜けにも術に惑わされているからだ。単に方向音痴なだけかもしれないが。

「フェリシア様がヴェラント城から出ようとしたことはないのですか?」

 フェリシアをヴェラント城に閉じ込める術は存在しない。出ようと思えばいつでも出られるのだ。外の世界に、逃げ出すこともできるのだ。

「一度もございません。本心では城を出たいと思っていらっしゃるんでしょうけど、王宮魔術師に逆らえば、グース殿下を苦しめることになりますから……」

 違う。ギルバートはそうは思わない。フェリシアが城を出て行かないのは、フェリシア自身が〈災いの姫〉の力を恐れているからだ。

 グースのこともあるだろう。国を思う気持ちもあるだろう。しかし、一番の理由は力が暴走して誰かを傷つけることを恐れているからだ。フェリシアの力で傷ついたギルバートを見て、彼女は自分の方が傷ついたような表情を浮かべていた。ギルバートにとってはかすり傷程度の大したことのない傷だったが、フェリシアにとっては大きな傷となってしまうのだ。

 優しいフェリシアは、他人が傷つくぐらいならば自分が傷ついた方がいいと考えている節がある。だから、誰かを傷つける危険を冒してまで自分の自由を手に入れようとはしないのだ。

 それに、ヴェラント城から出て、フェリシアが一人で生きていく術はない。〈災いの姫〉であるフェリシアには、頼れる人も場所もないのだから。もしグースが匿ったとしても、すぐに王宮魔術師に見つかるだろう。フェリシアは身近な人間さえ頼ることができない。いや、身近だからこそ、頼ることができないのだ。

 きっと、フェリシアは城の中で何百回も考えただろう。

 王宮魔術師による鳥かごを捨てることを。自分の力で生きていく方法を。

 しかし、最終的にそれらが実行されることはない。

「フェリシア様は優しいから……」

 フェリシアがヴェラント城から出て行くということは、国を裏切ることになる。心配してくれる兄や使用人たちを捨てることになる。フェリシアは自分ではなく、他人を思いやる心を持っているからこそ、ヴェラント城を出ることができないのだ。

 だから、きっとフェリシアはこう言い聞かせている。この城には〈災いの姫〉を閉じ込めるための魔術が施されている。だから自分は外に出られないのだ、と。

 フェリシアがどんな思いでこの十年過ごしていたのかを考えるだけで、ギルバートの胸は締め付けられる。今すぐフェリシアをあの場所から連れ出したい。しかし、それでは彼女の身体を蝕む痣を消すことはできない、とギルバートは感じていた。ヴェラント城に施された魔術を完全に解かない限り、あの痣はフェリシアを苦しめ続けることになる。一刻も早く、と気が急く。

「きっと、王宮魔術師様がフェリシア様の呪いを解いてくださいます」

 何も知らないミリアは、王宮魔術師がフェリシアの味方だということを疑っていない。フェリシアが王宮魔術師を嫌っていることは理解していても、魔術師を悪者だとは思えないのだろう。あの冷たい眼差しの奥にどんな思惑があるかもしらないで、〈神の使い〉だともてはやされている。

 マノラ教の聖書では、〈神の使い〉が人々の無用な争いをその力によって治め、神の祝福を得たという伝説が数多く記されている。そのすべてが現実だったとは思えないが、偽りであるとも言い切れない。聖書に描かれている出来事と、歴史書に記載されている内容とが一致するのだ。歴史書には〈神の使い〉とは書かれていないが、大きな戦争や災害が起きた時、必ずと言っていいほど当時の王宮魔術師長の名が残されている。

 人々を影ながら救い、導いてきたとされる魔術師に、マノラ教信者は絶対的な信頼と尊敬を寄せているのだ。

 ミリアも、そんなマノラ教信者の一人。だからこそ、熱心に教会に通う。

 王宮魔術師に〈災いの姫〉とされたフェリシアの側にいて、何も感じないのだろうか。ミリアは、フェリシアのことを本当のところどう思っているのだろう。

「ミリアさんはマノラ教信者なのに〈災いの姫〉に仕えている。辛い時はないのですか?」

 ことさら優しく、気遣うようにギルバートミリアを見た。そんなギルバートの様子に驚きながらも、ミリアは落ち着いた声で答える。

「はじめは、色々と複雑でした。〈災いの姫〉だなんて恐ろしい、と母に訴えたこともあります。けれども、グース殿下に連れられてフェリシア様に会った時、その思いは変わりました。小さい身体に何もかもを背負いこんで気丈に振る舞っているフェリシア様を見て、私は何故かリアトル様を思い出したのです。我々人間のためにその身を地上に落とした愛の神の姿を、私はフェリシア様に見たのです」

 そう語るミリアの瞳には、揺るぎない強い光が宿っていた。ミリアの中で、フェリシアという存在は愛の神リアトルであり、魔術師はその神に仕える者でしかない、ということだろうか。だから、王宮魔術師がフェリシアを裏切るはずがないと信じられるのだ。

「そうですか。しかし、フェリシア様はきっと愛の神よりもずっと美しく、可愛らしいですよ」

 そう言って笑ったギルバートにミリアは引きつった笑みを浮かべていたが、そんなことは気にならなかった。

 正直、ギルバートはマノラ教にも愛の神リアトルにも興味はない。フェリシアのために必要な知識だったから学んだだけのこと。そこに自分の感情は一切入っていなかった。

 だから、マノラ教はリアトルについて目を輝かせているミリアを見て、自分が何も持たない人間なのだということを思い出してしまった。しかし、だからこそフェリシアのことは守りたい。ギルバートが持っているのは、フェリシアへの想いだけなのだから。

「ギルバートさん、もうすぐ森を抜けますよ」

 ミリアのその声で前方を見ると、もう目の前にはヴェラントの街並みが広がっていた。


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