第16話

 グースは、フェリシアが生まれるまで彼らの言葉を疑ったことはなかった。

 魔術師は神の使いで、この国の行くべき道を示す者達だと教えられていたから。グースは第一王子として、次期国王となる者として国教であるマノラ教を学んでいた。自分の中にリアトルの血が流れているのだと誇りを持ち、父のように立派な薔薇を咲かせようと薔薇園に入り浸っていたこともあった。

 グースが五歳の時、クレア王妃が第一王女を産んだ。それはもう言葉で言い表せないほどに可愛らしく、グースは一目で異母妹に心を奪われた。しかし、王女誕生祝いの席で、魔術師は信じられない言葉を口にした。

『この子は、呪われている。いずれこの国を破滅に導くだろう』

 大きな赤い瞳が、棘で傷つかない肌が、一体なんだと言うのだ。

 グースはこの時はじめて王宮魔術師の言葉に反発を覚えた。違う、と思いたかった。しかし、五歳まで絵本や聖書で親しんできたマノラ教の知識がそう簡単に消えるはずもなく、グースはその時から何を信じればいいのか分からなくなっていた。

 自分の祖先である愛の神リアトルの教えと、王族を守る魔術師の役割が、崩れた瞬間に思えたのだ。


「ギルバート、お前は〈災いの姫〉を消したいと言ったな。フェリシアは、本当に呪われた〈災いの姫〉だと思うか?」

 これは、ずっとグースの中でくすぶっていた問いだ。その答えが怖くて、誰にも聞くことができなかった。

 グース自身は、フェリシアが国を破滅させる〈災いの姫〉だと思いたくはない。しかし、心のどこかでは王宮魔術師の言葉を信じて〈災いの姫〉ではないかと思う自分もいる。フェリシアには、確かに普通の人間にはない力があるのを知っていたから。


「〈災いの姫〉を作り出したのは王宮魔術師だ。姫の力は、災いではない」


 強い瞳、強い意志を持ってギルバートは言った。確信に満ちたその答えを聞いて、グースはようやく迷いなく進むことができる。

「フェリシアを救うにはどうすればいい?」

「この城は建設された時から十年間、ずっと魔術を維持している。普通ならあり得ないが、おそらくは姫の力を利用して、実現している」

 ヴェラント城建設は、すべて王宮魔術師の指示の下行われた。〈災いの姫〉の力を抑えるための魔術を施すだとかなんとか言っていたのをグースは覚えている。しかし、その魔術がフェリシアの力を使って維持されているなどおかしい。

「じゃあ、フェリシアは王宮魔術師たちに利用されているのか」

「おそらくな……」

 ギルバートは苦々しげに答えた。分かっていたのだ、ギルバートには。この城の魔術がフェリシアにとっては良くないものだと。それなのに、グースには裏切り者を探すための調査を頼んだ。そんな裏切り者探しよりも、この城の魔術をどうにかすればいいではないか。

 それがどれだけ難しく、危険なことなのか、魔術師ではないグースにはよく分からない。フェリシアのことを思うと今すぐにこの城を破壊したいくらいだ。しかし、それでは愛する妹までも傷つけることになってしまう。魔術師でないグースは、魔術の前では無能なのだ。フェリシアを救うことができるのは、目の前のむかつく友だけなのだ。

「何とかしてくれ!」

「……十年という月日で確実に完成に近づいている魔術を数日で把握するなんて、無理だ」

「無理? それは、フェリシアのことを諦めるということか! このままフェリシアの力を魔術師たちに利用させるつもりか!?」

 グースは感情のままにギルバートの胸倉を掴む。いくら体力もない細身な身体とはいえ、グースも男だ。やる時はやる。妹の未来が、目の前のこの男にかかっているのだから、力づくでもなんでも諦めさせやしない!

「離せよ。誰が諦めるなんて言った? このまま俺一人で広い城内の魔術を把握するのは無理だが、方法なら他にもあるにはある」

 真っ直ぐに、強い眼差しを向けられ、グースの勢いは弱まった。もちろん、すぐに手を離した。

 いつもは柔らかな笑みを浮かべているから油断してしまうが、ギルバートはただのへらへらした馬鹿な男ではない。その笑顔の裏で、様々なことを考えている。だからこんな風に急に威圧的な視線を向けられると、笑顔とのギャップでかなり怖い。

 ビビっているとは気付かれたくなくて、グースは口を堅く結ぶ。ギルバートの考える方法とやらを聞いてやろうではないか。

「城の魔術陣の全体図を把握できれば、何とかなるかもしれない。だが、魔術陣を見渡せる三つの尖塔へ入る方法が分からない。何か知らないか?」

 ヴェラント城は、ホールケーキの真ん中に太い蝋燭を一本、外側に細い三本の蝋燭を立てたような不思議な形をしている。真ん中の主塔はフェリシアの生活空間であり、自由に行き来できるが、外側の三つの尖塔は立ち入り禁止エリアだ。王宮魔術師のみが入ることができる。尖塔の入り口は仕掛け扉で隠され、その扉にも二重に鍵がかかっている。

「あの尖塔には隠し扉があって、その扉を開くのに鍵が二つ必要だ。ギルバート、お前なら隠し扉を見つけられるだろう。鍵は僕が何とかしよう」

 初めて、本当の意味で妹のために動ける気がした。今までの自分は、フェリシアを守ると言いながら、結局は王族としての義務を優先させ、可愛い妹の話をちゃんと聞けていなかった。それは、グースの中に〈災いの姫〉を恐れる気持ちが少しもないとは言い切れなかったから。

 ずっと側にいることもできない兄に、妹が頼ってくれるはずがなかったのだ。心配かけさせまい、と一人で抱え込んでしまう妹の性格を知っていたのに。

 今度こそ、頼りがいのある兄としてフェリシアに胸を張って会いに行きたい。こんな魔術に閉じ込められた鳥かごの中ではなく、自由な、新しいものや美しいもの、楽しいものに溢れた明るい、広い世界で。


 ――きっと、呪いの力なんて気にしなくてもいい世界にフェリシアを連れて行くよ。


 グースは心の中でフェリシアに語りかける。フェリシアは、優しくて強いお兄様にすべてを任せていればいいんだ。妹に頼りにされ、ありがとうと微笑まれることを想像しただけで、グースは何だってできる気がしてくる。


「できるのか?」

 空青色の瞳は本気でグースを案じている。そのことがまた、グースのやる気を増幅させた。必ずやりきってみせる、と自信を持たせてくれた。

「僕を誰だと思っている? ディラード王国第一王子グース・シェルメゾーレだぞ」

 グースの自信に満ち溢れたきらきらとした姿に、ギルバートは力強く頷いた。


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