第15話
まだ夜も明けきらぬ早朝、ヴェラント城の門が静かに開いた。城の住人はまだ寝静まっており、訪問者があることに気が付かない。魔術が施されたヴェラント城の門をくぐれる者は限られている。故に、門番は存在しない。一人の男の侵入を許し、黒い鉄の門扉がギイ……と閉じた。
「待っていたよ、グース」
誰にも気づかれないように門を開け、グースを迎え入れたのは、フェリシアの専属魔術師であり、遠き日の友人だった。
「ギルバート、フェリシアの様子はどうだ?」
先日、ギルバートに持ちかけられた話に、グースは乗ることにした。それがたとえ王族として正しくないことでも、今まで何もできなかったグースがただ一人の兄としてできることならば何でもしたいと思ったのだ。
「変わりない、表面上はね。それで、どうだった?」
ギルバートは矢継ぎ早に口を開く。よほどグースの情報を待っていたらしい。その問いに、グースは思わず顔をしかめる。その答えは、自分とフェリシアの首を絞めることになるからだ。
「……可能性は、全員にある。僕の行動すらも、王宮魔術師にはお見通しだったのか」
「やっぱり、簡単に正体はつかませないか」
「しかし、僕にはまだ信じられない。この城にフェリシアを裏切っている者がいるなど……」
「信じる信じないは自由だ。でも、この城の魔術を完成させるなら遠く離れた王城からわざわざ訪問するより、この城に住んだ方が確実だ」
ギルバートは柔らかな笑みを浮かべたまま、グースにとっては知りたくなかった事実を口にした。
フェリシアのことは自分が守る、そう決めた時からグースは妹のために尽くしてくれる人間を探した。フェリシアのことを恐れたりせず、普通に接してくれる優しくて信頼できる人間を。
しかし結局は、グースが選んだ人間の中に裏切り者がいる。
フェリシアの側で、フェリシアを見守っている者の中に、裏切り者がいる。フェリシアの味方ではなく、王宮魔術師の味方を、グースはこの城に招き入れてしまったのだ。そのことが、グースの自信を、自尊心を、打ち壊した。
ギルバートには、王城で「あること」を調べて欲しいと言われていた。それが、裏切り者を探す手がかりになる、と。初めは、ギルバートの思い違いだ、と信じたかった。調査を終え、裏切り者なんていない、と言い返せるはずだった。お前の思い過ごしだ、と笑い飛ばせるはずだった。
「それで、何が分かった? 詳しく話して欲しい」
真剣な空青色の瞳に威圧され、グースは口を開く。
「まず、お前に調べて欲しいと言われていたクレア王妃の件だが、彼女は今かなり落ち着いている。ルーフェルを産んだからだろう。彼女の前では相変わらずフェリシアの名は禁句だが、〈災いの姫〉に関しては発狂しなくなっていた」
フェリシアの実母であり、正妃であるクレア王妃の現在の状況について、ギルバートは知りたがっていた。フェリシアを産んだばかりの頃は、心を病んで自室にこもり、毎日泣き崩れていたらしいが、グースが知るクレア王妃はそんなか弱い女ではない。プライドが高く、自尊心が強い、自分以外の者すべてを蹴落としてでも欲しいものは手に入れる、そんな恐ろしい女だ。
〈災いの姫〉を産んだことで自分の価値が下がることを危惧し、実の娘であるフェリシアを殺そうとしたり、フェリシアの名を出した者を罰したりと、ヴェラント城が完成するまでの間はとにかく気が立っていた。フェリシアがヴェラント城に移ってようやく大人しくなり、最近は二人目の子どもルーフェルを産んだことで機嫌がいい。ディラード王国第二王子であるルーフェルは、今年で十一歳になる。グースの異母弟にあたるルーフェルは、クレア王妃に甘やかされて育っているというのに素直で可愛らしい。
フェリシアほど溺愛はしていないが、王城に帰るなりルーフェルが出迎えてくれた時はにやにやが止まらない。クレア王妃は王位継承権第一位であり、フェリシアを溺愛しているグースのことをもちろんよく思っていないが、ルーフェルがなついているので何も言ってこない。痛いほどに睨みつけられはするが。
「王宮魔術師長との関わりは?」
「王宮魔術師長と定期的に話はしているようだが、それはフェリシアを産んだ頃から続けているカウンセリングなんだそうだ」
王宮魔術師ならば、〈災いの姫〉を殺してくれると信じていたクレア王妃は出産後、毎週王宮魔術師の下へ通いつめ、フェリシアを殺してくれと頼んでいた。そして、裏ではフェリシアの暗殺計画を周囲の者に吹き込んでいたらしい。自らの手でフェリシアを殺さないのは、恐ろしい力を持つ〈災いの姫〉に関わりたくなかったからだ。フェリシアのことは、自分の娘というよりも、自分を害する悪であるという認識だ。しかし、そんなクレア王妃の説得ができるのもまた、フェリシアを〈災いの姫〉だと告げた王宮魔術師長だった。その頃から、クレア王妃は定期的に王宮魔術師と話をしているらしい。その話の内容までは分からないが、どうせクレア王妃はフェリシアを否定的にしか見ていないのだ、そんな話聞きたくも知りたくもない。グースは、フェリシアのことを悪く言われるのが大嫌いなのだ。
「そうか。では、この城にいる姫の側近たちは?」
ギルバートは難しい顔をしながらグースに問う。尋問を受けているようだ、と感じながらもグースは広い心で答えてやる。
「ミリアは、両親の影響で熱心なマノラ教信者だ。時々、街に下りて教会に行っている。もちろんフェリシアと王宮魔術師の許可をとって、だ。ミリアの母エモナが僕の乳母だったこともあって、ミリアとは幼馴染のように育ってきた。彼女がフェリシアを裏切るということは、この僕も裏切ることになる。それは、絶対に、ありえない」
ギルバートは何も言わない。それが逆に、グースを不安にさせる。信じたいものを疑わなければならないというのは、思っていた以上に苦しい。
「……外出が一番多いのはミリアだ。教会で王宮魔術師と連絡を取ることは可能だろう」
この推測を言うだけで、グースの精神はかなりダメージを受けている。しかし、自分が持っている情報は他にもある。これもフェリシアのため、とグースは再び口を開く。
「……ビートは、昔から王城にいるからクレア王妃と関わったこともあるだろう。もちろん王宮魔術師とも。だが、ビートは研究熱心で、優しくて、とてもいい先生だった。僕のことも、王子として特別扱いせずに真っ直ぐ向き合ってくれた……だからこそ、フェリシアのことを頼んだんだ。実際、〈災いの姫〉であることを告げても、ビートの態度は何も変わらなかった。自分はただ学びたいと思う者に平等でありたい、と。ロッカスは、あまり喋らないからよく分からないが、料理以外に興味があるとは思えないし、クレア王妃との面識はないだろう。王宮魔術師に対して特に思い入れもなさそうだ。ザックに関しては……僕が責任を持って裏切り者ではないと断言しよう」
「何故そう断言できる? 全員に可能性があると言っただろう」
「確かに、ザックはクレア王妃の家系と関わりがある。しかし、だからといって友人を疑うことなどできはしない」
他の者たちに関しても、絶対的な信頼をおいているが、ザックは特別だ。騎士学校でグースが気に入り、一方的に追いかけていた自覚はある。しかし、それでもザックはちゃんとグースが入り込む隙を与えてくれていたのだ。仕方ない、とうんざりしたような顔でグースを助けてくれる。今は騎士として職務中だから、騎士である態度を崩しはしないが、ザックとは腹を割って話したことが何度もある。自分のことだけではなく、フェリシアのことについても。王子と騎士というだけの関係ではなく、ザックはグースの大切な友人だ。
「羨ましいなぁ。絶対的な信頼を向けられる相手がいるなんて。俺は、誰も信じられない姫の気持ちがよく分かる」
雲一つない、明るい空を見ながらギルバートが言った。その笑顔はどことなく寂しげで、その空青色の瞳には哀しみが映っていた。
「僕はお前のことも信じているぞ」
思わず、グースはギルバートの肩に手を置いて力強く言葉をかけていた。
ギルバートのことを嫌っている訳ではない。ただ、可愛い妹を救う王子様役をとられてしまいそうで焦っていただけなのだ。むかつくことも腹が立つこともあるが、それは友人なのだから仕方ない。
しかし、ギルバートはグースのことを友人だとは思っていないだろう。
だから、ギルバートに協力しようというグースの前で寂しいことを言うのだ。
「……ありがとう」
ギルバートは驚いて言葉も出ないようだったが、しばらくグースの顔をじっと見た後、照れくさそうに礼を言った。
「ま、僕ほど心の広い人間はいないからな!」
「そうやってすぐに調子に乗るところがうざいって姫に言われるんだろうな」
せっかくいい感じに友情を確かめ合ったと思ったのに、ギルバートはそんな皮肉を言う。確かに、フェリシアに同じようなことを言われたことはあるが、可愛い妹に言われるのと、可愛げのない男に言われるのとでは大きな違いがある。どうにかやり返したくて、今度はグースがギルバートに問いかける。
「で、ギルバートの方はどうなんだ? まさか何も分からなかった、なんて事ないよな?」
「俺はグースと違ってデキる男だから」
男のグースから見ても整った綺麗な顔をしているギルバートに爽やかな笑顔を向けられると、何も言い返せなくなる。それがまた悔しくて、グースはさらに詰め寄る。
「ヴェラント城にかけられた魔術と、〈災いの姫〉の力は繋がっている。王宮魔術師が定期的に確認しているのは、その魔力の流れだろう。滞りなく魔力が循環していれば、術の発動に何ら問題はない。姫や俺達にとっては問題大ありだが」
「つまり、魔術を止めたくてこの城を壊そうとすれば、フェリシアにも害が及ぶ……ということか」
だから、ギルバートは簡単にヴェラント城の魔術に触れようとしないのだ。フェリシアへどう影響するのかが分からないから。しかし、そうなれば、ヴェラント城の魔術を解くことなどできないではないか。
「そう。姫の身体のことを考えると、魔術陣に触れられるのは一度きりだ」
やはり、どうしてもフェリシアへの影響は避けられないらしい。グースはもどかしさに唇をかみしめた。
「失敗は許されない……となると、この城の魔術陣について十分に調べる必要がある訳だな」
一度で、確実に魔術を解くために。王族は魔術を学ぶことは禁じられているが、グースは得られるだけの知識を得、耳に入ってくる魔術師たちの会話を記憶してきた。それに、グースの母シャンテは魔術師協会を統括しているドルエム公爵の娘だ。シャンテから知り得る魔術情報はすべて頭に叩き込んでいる。
何故か馬鹿だと思われがちなグースだが、記憶力には自信があるし、頭の回転は速い方だと思う。
「その通り。さすが、喋らなければ秀才のグースだね」
「喋らなければ、は余計だ! 僕は今のままで秀才だ!」
真面目に話しているかと思えば、ギルバートはグースの気を逆立てることを言う。そして、その反応を完全に面白がっている。やっぱりむかつく男だ。
しかし、そのむかつく男が可愛い妹のために色々と調べてくれている。
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