第14話
王宮魔術師たちが去り、ヴェラント城の主であるフェリシアの夕食を終え、一仕事終えた使用人たちがくつろぐ食堂に、ギルバートは笑顔で入って行った。
「みなさん、こんばんは! 今日もお疲れ様です!」
今、食堂に集まっているのは、ミリア、ビート、ザックの三人。
皆が皆、困惑した表情で固まった。
おそらく、昼間の出来事が原因だろう。
ギルバートはフェリシアの美しい足に口づけた。
――私はあなたの忠実なる下僕。あなたのためだけに、私は存在している。
自分の心がどこにあるのかを、示したかった。ギルバートのすべてはもうフェリシアのもの。拒まれて、殴られることも覚悟していたが、フェリシアは受け入れてくれた。それがどれだけ嬉しかったか。
幸福感に満ちたギルバートの笑顔に、使用人たちは怪訝そうな目を向けている。
使用人たちにとっては、笑いごとではないだろう。
ミリアとザックはマノラ教信者らしいが、その目はフェリシアの臣下として無礼な振る舞いをしたギルバートを責めていた。
フェリシアを〈災いの姫〉として脅えるのではなく、一人の誇りある王女として見ている彼らだからこそ、魔術師のギルバートに対しても毅然とした態度で挑む。さすがにザックに剣を抜かれた時は焦りを覚えたが、それだけフェリシアのことを大切に守ってきたということ。あの妹至上主義の馬鹿なグースの人選にミスはなかった、とギルバートは思える。そんなことを本人に言えば、喜んでいいのか怒ればいいのか分からず、面白い反応が見られるだろう。
ギルバートはその様子を想像して楽しみながら、食堂のテーブルに近づいた。
「ギルバートくん、何か用でも?」
はじめに口を開いたのは、ビートだった。食事をする場所であるのに、片手には分厚い本を持っている。フェリシアの家庭教師兼庭師であると聞いていたが、今でも学問への追求は怠っていないらしい。
「同じ姫に仕える者として、みなさんのことを知っておきたいなと思いまして。みなさんも私のことを知りたいかと……」
ギルバートは、フェリシアの専属魔術師になり、基本的に一人で行動していた。だから、フェリシアの側に仕える彼らとゆっくり話をしたことがない。しかし、それでは彼らの人となりが分からないし、自分のことも無駄に警戒させてしまうだろう。そう思い、ギルバートは城内の魔術だけでなくフェリシアの周囲の人間も観察することにした。
ビート、ミリア、ザックの三人を見回して、ギルバートは無害であることを示すためにっこりと笑ってみせる。
「それもそうですね。私も王女殿下が何故あなたを側においているのか興味があります」
落ち着いた声で答えたビートは、開いていた本を閉じ、ギルバートに椅子をすすめた。ちらりと見えた本のタイトルは、『マノラ教と戦争』だ。ギルバートも読んだことがある。大陸中に信者がいるマノラ教と、大陸で起きた戦争を絡めて論じているものだ。主に、マノラ教の教えが戦争にどのように利用されてきたのか、ということが書かれている。作者が純粋なマノラ教信者であったこともあり、かなりマノラ教を擁護している内容だったと記憶している。
ビートがギルバートを受け入れたことにより、ミリアとザックも少し警戒心を緩めた。
「ありがとうございます。ビートさんはどうしてフェリシア様の家庭教師になったんですか?」
「私は元々グース殿下の教育係をしていましてね、妹のことも頼むとお願いされたのです。私も王女殿下のことは気にかかっておりましたので、引き受けさせていただきました」
少し懐かしむように目を細め、ビートが言った。ギルバートはひとつ頷き、ななめ向かいに座るミリアを見る。
「そうですか。ミリアさんは?」
「……私は、母がグース殿下の乳母をしておりまして、フェリシア様と歳の近い私を侍女にとグース殿下が勧めてくださったのです」
「親子そろって王族にお仕えしているんですね」
ギルバートの言葉に、ミリアは控えめに頷いた。
「ミリアさんはいつもフェリシア様の側にいるんですよね。最近何か変わったことはありませんか」
「最近、ですか……。あの、ギルバート様が城に来てから、フェリシア様の様子がどことなく違う気がします。あまりフェリシア様のお心を乱さないでいただけますか」
少し遠慮がちに口を開いたミリアだったが、最後の言葉は真っ直ぐにギルバートに黒の瞳を向けて強く言った。
おそらく、今日の行動を責められているのだろう。
「えぇ、気を付けます。ですが、約束はできません」
ギルバートの内側に溢れるフェリシアへの想いは、簡単に控えられるものではない。フェリシアの心に触れるためなら、ギルバートは何でもする。
「そういえば、みなさんはフェリシア様の肌に触れたことはありますか?」
「いいえ、絶対にありえません。そうでしょう?」
ビートの言葉に、ザックとミリアが頷いた。その答えを聞いて、自分以外にフェリシアに触れた者はいないのだと安堵する。しかし、男であるビートとザックならまだしも、ミリアは女性で、さらに侍女だ。触れたことがないなど逆に変ではないだろうか。
「ミリアさんは姫の侍女なのに?」
「えぇ……フェリシア様は身の回りのことはすべてご自分でするお方ですから。私はフェリシア様の肌に触れたこともございません」
真っ直ぐにギルバートを見つめる黒い瞳に、嘘はなかった。フェリシアは侍女にさえ、その肌に触れることを許していないのだ。
それは、〈災いの姫〉としての力がミリアに影響することを恐れてだろう。
「ザックさん、護衛として何か危険があれば姫の身体に触れることもあるのでは?」
「確かに、これまではなくとも、これから先ないとは言い切れませんが、このヴェラント城で姫の護衛というのはただの彫像のように立っているだけで、特に護衛らしいことをしたことはありません。まあ、今日のあなた様の行動に剣を抜いた以外は……」
ただでさえ強面なザックが睨みを利かせれば、鬼神のごとき恐ろしさである。しかしそれにも動じず、ギルバートは笑ってかわす。
「あ~、確かに今日は驚きましたよ。斬られるかと思いました」
「フェリシア様が止めなければ斬るつもりでした」
「は、ははは……」
あまりに本気過ぎるザックの言葉と表情に、ギルバートはから笑いしかできなかった。
「ザックの気持ちも分かります。私もお側に十年間ずっとおりました故、フェリシア様が可愛くて仕方がないのです」
銀の眼鏡ごしに、薄青の双眸が細められた。ビートの言葉に、ずっと側にいた訳ではないギルバートは色々と複雑な気持ちになる。しかし、だからこそ我慢できない思いがあった。
「十年間もフェリシア様の側にいて、あなた方は何も気付かなかったのですか」
「気づかなかった、とは?」
「フェリシア様の苦しみに、です」
自分の感情を抑え、薔薇で身を守り、〈災いの姫〉故に誰のことも頼れなかったフェリシアの苦しみ。十年という月日をフェリシアと共に過ごしていながら、その心を癒すことはできなかったのか。ギルバートが側にいられたのなら、あんな風にフェリシアの感情を殺させやしない。絶対に。
「もちろんそれは気付いています。ここにいる全員が。しかし我々にどうしろと言うのです? 私達にはフェリシア様の力を抑えることはできないのです」
冷静なビートが珍しく、苦しげに声を荒げた。その様子を見たミリアが、ビートを庇うように言った。
「そんな、ビート様はフェリシア様の力をどうにかできないか、必死に考えてくださっているじゃありませんか」
「いいや、ミリア。教育者である私にも、魔術を理解することはできないよ」
「ビートさん、あなた……もしかして魔術書を?」
魔術書は、魔術のノウハウがかかれた書物だ。魔術師協会で厳重に保管されているはずで、いくら王族の教育係でも見ることはできないはずだ。
「そうですねぇ、魔術書があれば苦労しなかったでしょうね。私が持っているのはマノラ教の聖書です。聖書には魔術師のことも書かれている。何か魔術の手がかりがあるかといつも調べてはいるのですが、やはり私には分かりません」
その答えを聞いて、ギルバートはなるほどと納得する。マノラ教の聖書ならば誰でも手に入れることができ、魔術師の情報も少なからず得られる。もしかすると、読みかけの本といい、ビートはマノラ教に関する本をすべて読んでいるのかもしれない。
「ビート様は姫のために方法を探っておられる。我々は、姫の心が穏やかであるように支えるだけだ」
無言で会話を見守っていたザックが、重い声で言った。その言葉に、ミリアもビートも深く頷いた。
「それでは皆さん、これからも姫のことをよろしくお願いしますね」
何故お前にお願いされなければならないのだ、と皆の瞳が語っていた。そんな使用人たちににっこりと笑いかけ、ギルバートは食堂を出る。
聞きたいことだけを聞いて、自分の話は全くせずに去った魔術師の背中を、残された使用人たちは複雑な気持ちで見送った。
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