第13話
今、ヴェラント城内には五人の王宮魔術師がうろついている。
フェリシアは、赤い薔薇が映える白と薄ピンク色のドレスに着替えていた。胴部分が白地に薔薇模様のレースが全面にあしらわれ、スカート部分は薄ピンク色の光沢のある生地がいくつも重ねられ、フリルがふわりと広がるデザインだ。幾重にもフリルが重なっているため、ドレスのシルエットは大きい。だからこそ、このドレスはフェリシアの勝負服だ。スカートの裏地にナイフや鈍器などの武器、眠り薬や麻酔薬、クッキーなどの非常食など色々と仕込んでいる。そのせいで、スカートの重量は普段よりも増しているが、それを感じさせない優雅な足取りで、フェリシアは応接室に入室した。ドレスの裾で隠れてはいるが、履いているのは何かあった時にすぐに動けるように革製のブーツだ。いつでも逃げる準備はできている。この城からフェリシアが逃げることはできないけれど。
そうして、フェリシアは室内にいる人物を一瞬で把握し、眉根を寄せた。
「……わたくしは、確か隠れているように、と伝えなかったかしら?」
「えぇ。確かに隠れているように、と言われました」
そうにこやかに返すのは、金茶色の髪と空青色の瞳を持つ、フェリシアの専属魔術師ギルバートである。王宮魔術師に見つかってはまずいと思い、隠れるよう指示した相手が何故目の前にいるのだろうか。城内の魔術を点検している王宮魔術師が、いつフェリシアに接触してくるかもわからないのに。
「まぁまぁ、王女殿下。良いではありませんか。彼も、こうして使用人の服に身を包んでいるのですから。王宮魔術師とてこの方が魔術師であるとは気付きますまい」
そう言ってフェリシアを宥めるのは、フェリシアの家庭教師ビートである。ビートは、長い銀色の髪を後ろで一つに束ね、銀縁眼鏡をかけている。元々は歴史学者だったという彼は、若い時分に本の読みすぎで視力が落ちてしまい、眼鏡がないと景色はぼやけて何も見えないらしい。しかし、容姿は三十代後半には思えないほどに若々しい。鼻筋の整った穏やかな顔には薄い笑みが浮かび、その理知的な薄青の双眸は、じっとギルバートを見つめていた。
ギルバートはビートが言ったように使用人用の白いシャツと紺色のズボンを穿いている。そして、ソファに座るフェリシアの隣に立って、向かい側に座るビートに笑顔を向けていた。
「そうですね、フェリシア様の側にいられるのであれば私は魔術師ではなく使用人でもかまいません。肩書などどうでもよいのです」
そう言って、ギルバートはフェリシアの前に跪く。そして、フェリシアの足を壊れ物でも扱うかのようにそっと持ち上げ、あろうことかブーツの上からつま先にキスを落とした。サロンにいたすべての人間が、一瞬何が起こったのか分からなかった。
その行為を理解した途端、ミリアは顔を真っ赤にして目を逸らし、ビートは顔をしかめ、ザックは剣を抜いた。
そんな周囲のことを気にした様子なく、うっとりと空青色の瞳はフェリシアを捉えている。その視線が、どういう訳か嫌ではない。
本来ならば真っ先にギルバートを責め、無礼な振る舞いを咎めるべきフェリシアが黙っている。剣を抜いたザックは主を辱めた男を斬るべきだとは思っても、相手が魔術師で、さらにはフェリシアが何も言わないのでどうすべきか考えあぐねているようだった。
「ザック、剣をおさめなさい。わたくしは気にしていないわ」
口ではそう言うが、ギルバートの唇が触れたつま先が熱い。直接触れられた訳ではないのに、じわじわと恥ずかしさがこみあげてきて、鼓動が早くなる。
ザックは、フェリシアの言葉で仕方なく剣を鞘に納めた。しかし、その目は警戒心に満ちていた。
ギルバートは悪びれる様子もなく立ち上がり、ビートに笑顔を向けた。
まるでフェリシアは自分のものだ、とでも言うように。
その笑顔に対し、ビートは落ち着いた声で正論を述べた。
「ギルバートくん、王女殿下に無礼ですよ。一定の距離が保てないのなら、側にいるべきではありません」
「先生の言う通りだわ。ギル、少しは自覚しなさい。あなたはわたくしの下僕なの。勝手に動かないで」
ギルバートの行動に驚かされてばかりのフェリシアは、もう一度釘を差しておく。ギルバートが言うことを聞くとは思えないが。
「申し訳ありません。フェリシア様があまりにも美しくて……」
「黙りなさい。わたくしを愛でるよりも他にやることがあるでしょう?」
「フェリシア様を見る以外に私にやるべきことなどありはしませんよ」
ギルバートは断言する。本気でそう思っているのだろうか。心のどこかで嬉しいと感じている自分がいる。しかし、みんなの前でそんな恥ずかしいことを言わないでほしい。とんだ羞恥プレイだ。
「あぁもう! めんどくさいわね。どうせ隠れないなら王宮魔術師が何してるか見てきなさいよ!」
「……あんな男たちを観察するよりもフェリシア様を見ている方がよほど有意義な時を過ごせるというのに……」
「無駄口はいいからさっさと行ってきなさい!」
「いや、もう見てきましたから!」
いつの間に? というフェリシアの問いは扉をノックする音によって遮られた。開かれた扉から、真っ白のローブを着て、白薔薇の紋章を胸につけた王宮魔術師たちがぞろぞろとサロンに入って来る。どの魔術師も無表情で、その顔を見てフェリシアの感情も冷めていく。
「魔術の確認が終わりましたので、我々は失礼します」
最初に入って来た若い男が淡々と告げる。ギルバートをちらりと見ると、口元は笑っているのに瞳は笑っていなかった。使用人に扮している彼が余計なことを口走らないよう祈るばかりだ。
「そうですか。では気をつけてお帰り下さい。あぁ、そういえば、王宮の方は問題ありませんか?」
ビートが丁寧に微笑んで言った。現在の王宮の状況は、フェリシアには分からない。だから、ビートはいつも王宮魔術師に王宮の様子を尋ねてくれる。
「問題はありません」
返ってくる答えはいつも同じものだったが。
「そういえば、今回も王宮魔術師長は不在のようですね」
「王宮魔術師長様はお忙しい」
その答えも、いつも同じもの。
フェリシアを〈災いの姫〉として幽閉しておいて、王宮魔術師長は一度も顔を見せたことがない。それどころか、フェリシアを〈災いの姫〉だと宣告した王宮魔術師長には、生まれてから一度も会っていないのだ。この城の魔術の確認だって、王宮魔術師長の指示で王宮魔術師が来るだけで本人がこの城まで来たことはない。
フェリシアを〈災いの姫〉とした、王宮魔術師長。
本当は会いたくないが、この状況を作り出した元凶だ。そして、母クレアに最も信頼されている人物。フェリシアは〈災いの姫〉であることで母に嫌われているのに、フェリシアを〈災いの姫〉とした王宮魔術師長は母の信頼を得ているのだ。それが悔しくて、同時に哀しかった。
一度、その顔を見てやりたいという思いもある。しかし、実際に会ってしまったら、自分の中に溢れる感情を抑えられるとは思えない。感情と共に力が溢れだし、本当にこの国に災いをもたらしてしまうかもしれない。それが怖かった。
「王宮魔術師長って、普段何をしているんですか? そんなに忙しいものなんですか? 自分が幽閉した王女様に会いに来られないほどに? あぁ、もしかして罪悪感から会いに来られないんでしょうか……」
突然、ギルバートが王宮魔術師たちの前に出て行く。
フェリシアは大きな溜息を吐く。捕まれば終わりだというのに、何をしているのだ。
「あなたは? 見たことがありませんね」
「最近雇われたんです。グース殿下の紹介で」
白々しくギルバートは嘘を吐く。にこにこと人当りのいい笑顔を浮かべているが、王宮魔術師たちの表情は全く動かない。
「そうですか。王宮魔術師長に報告しておきます」
「報告なんてしなくても、自分で確認すればいいと思いますけどねぇ」
――そうすれば直接ぶん殴ってやるのに……という呟きが聞こえたような気がした。フェリシアがギルバートを止めようと立ち上がると、それよりも早くビートが動いた。
「お引止めして申し訳ありませんでした。どうぞ気をつけてお帰りください。ザック、王宮魔術師様のお帰りですよ」
ビートのその言葉で、とりあえず王宮魔術師たちは帰っていった。ギルバートのことを何と報告するのだろうか。フェリシアはそのことが気がかりだった。
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