第12話

「きれいだわ……」

 まぶしい朝日と、その光が反射してきらきらと波打つ海を見て、フェリシアは感嘆の声を漏らす。昨日は、兄がギルバートに何の話があったのか、気になってなかなか眠れなかった。

 寝室の窓から海辺の街ヴェラントをぼんやりと見つめながら、フェリシアは昨日のことを考えていた。

(あのお兄様が夜に馬を走らせてくるほどのことって、一体何かしら……)

 ディラ―ド王国や王宮魔術師についての話かとも思ったが、それならば、真っ先にフェリシアに話してくれるはずだ。確かに兄は、ギルバートに話があると言った。兄がギルバートに何の用があるのか。どんな話だとしても、わざわざ多忙な第一王子が夜中に素性の知れない魔術師に会いに来たのだ。

(本当に、ギルバートは何者なの?)

 ただの魔術師ではないことは確かだ。魔術師らしからぬ、傷だらけの身体。王宮に現れても違和感のない完璧な所作。〈災いの姫〉であるフェリシアに向けてくる、一方的な好意。幸せそうな笑顔。

 何故か、ギルバートの笑顔を思い出して、頬が熱くなる。

 あの時抱きしめられた力強い腕のぬくもり。いまだ耳に残る低い声音。本気でフェリシアのことを想ってくれているのだと、信じたくなる笑顔。

(だめ、全然考えられない……!)

 兄グースが何をしに来たのかを考えていたはずなのに、いつの間にかギルバートのことばかり考えてしまっていた。そんな自分をリセットしたくて、フェリシアは両頬を両手でパチンと叩く。

 その直後、寝室の扉の外側から、ミリアの声が聞こえた。

「フェリシア様、もうお目覚めですか」

「え、えぇ。もう起きているわ」

 ついさっきまでギルバートに思考を支配されていたことが恥ずかしくて、いつものように冷静な声音を出せたか自信がない。フェリシアが答えると、ミリアが茶器セットを乗せたカートを押して入ってきた。

「ふふ。だと思いましたので、お目覚めのミルクティをお持ちしましたよ」

 窓際にある小さなテーブルに、ミリアが紅茶とクッキーを用意してくれる。注がれる赤く透き通った紅茶は、ミリアがブレンドしてくれたもの。砂糖を二杯と、あたためたミルクを入れてくれる。

「ありがとう」

 目の前に出されたのは、ピンク色の薔薇が描かれた、フェリシアお気に入りのカップ。フェリシアが落ち込んだり、心を乱したりした時には必ずこのカップを持って来てくれる。フェリシアが弱音を吐いたり、それを態度に出したりしたことは一度もない。

 それでも、ミリアにはどういう訳か分かってしまうようで、何も言わなくても側にいてくれたり、気分転換に薔薇園の散歩に付き合ってくれたり、リラックス効果のあるハーブティを淹れてくれたりする。肌を見せたくないフェリシアのために手首まで隠せる長袖のドレスを仕立ててくれているのもミリアである。ドレスの色や装飾など、ミリアはフェリシアの好みを知り尽くしている。

 ミリアには、肝心なことを何も話していないのに、すべてを分かってくれているような安心感がある。それが偶然で、フェリシアの勘違いだったとしても、かまわなかった。

 ただ、フェリシアの側にいて、笑ってくれているだけで十分なのだ。それだけで、幸せだと思う。

「ミリアの淹れる紅茶は、やぱり美味しいわ。そう言えば、お兄様はもう帰ったの?」

「ザック様の話によれば、昨日魔術師様と話をしてすぐに城に戻られたそうですわ」

「そう……何の用かは、もちろん聞いていないわよね」

「はい。なんでもあのグース殿下が一言も口を開かなかったとか……」

 ミリアの言葉に、フェリシアは耳を疑った。隙あらばべらべらと喋るあの兄が一言もしゃべらずに帰ったなんて信じられない。ギルバートへの用事が、よっぽど衝撃的な内容だったのだろうか。

 ザックに聞いてみようか、とも思ったが、真面目なザックを無駄に悩ませてしまうことになるかもしれない、と思いとどまった。

(そうなれば、直接聞くしかないわよね)

 当事者は兄だけではないのだ。

 フェリシアに従うべきギルバートが、嘘を吐くことは許さない。脅してでも何を話していたのかを吐かせてやる。

「だったら、仕方ないわね。今すぐ着替えてギルに会いに行くわ」

「かしこまりました。魔術師様にお伝えしておきますわ」

 ミリア特製のミルクティを飲み終え、フェリシアはすっと立ち上がった。ぐだぐだと考えていても答えは見つからない。行動あるのみだ。フェリシアが着替えるため、ミリアが寝室から出て行こうとした時、私室の扉が大きなノックの音を響かせた。

「何事?」

 扉を勢いよくノックし、返事も待たずに入ってきたのはザックだった。ザックの苦い顔を見て、フェリシアはその内容を把握した。

「フェリシア様、王宮魔術師様たちがお見えです」

 予想通りの報告を聞いて、フェリシアは自身を守る薔薇に触れる。そして、毅然とした態度でザックに命じた。

「先生を呼んで頂戴」

 先生とは、フェリシアの教育係ビートである。と言っても、今は庭師としてヴェラント城にいてくれている。大嫌いな王宮魔術師を相手にしたくないフェリシアは、いつも彼らの相手をビートにしてもらっているのだ。

(王宮魔術師って、本当に迷惑な存在だわ……)

 ヴェラント城の魔術を確認に来る王宮魔術師たちは、何の前触れもなく訪れる。いつ来るかも分からず、何をしているのかも分からない。ただ、突然やって来て、フェリシアを無視して勝手に城の中に踏み込んでくるのだ。

 彼らにはこちら側の都合など関係ない。自分たちの都合のみで動いているのだ。

 フェリシアを封印の塔で管理することで、〈災いの姫〉を守ってやっている――そういう意識が王宮魔術師全員にある。

 ここ数日は何もなかったので、てっきり今週は来ないものかと思っていたが、やはりそうはいかないらしい。しかし、今回だけは王宮魔術師が来てくれて好都合かもしれない。今この城には彼ら以外の魔術師がいるのだ。王宮魔術師がこの城に来て何をしているのか、確かめることができる。

 その考えが浮かんだ直後、フェリシアはギルバートが無所属であったことを思い出す。

「もし王宮魔術師に見つかれば、問答無用で魔術騎士団に送られてしまうでしょうね……。すぐにギルに隠れているように知らせて」

 フェリシアはミリアに指示を出し、すぐさま勝負服に着替えることとする。



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