第2章 シスコン王子と魔術師

第11話

『……そうしてお姫様は王子様に助けだされ、いつまでも幸せに暮らしました』

 まだ小さかった妹に、兄はよく絵本を読んだ。しかし、普通女の子ならお姫様に憧れるはずなのに、いつも読み終わった後に妹は悲しそうな顔をするのだ。

「どうした? おもしろくなかったか?」

「……だって、現実には助けに来てくれる王子様なんていないもの」

 その言葉が、妹自身を取り巻く状況のことを言っているのだと兄はすぐに分かった。

「絵本の中のお姫様はいいなぁ。待っているだけでいいんだもの」

 もうすぐ妹とは離ればなれになる。まあるくて、きらきらした赤い目はとても澄んでいて、柔らかな蜂蜜色の髪はふわりと頬にかかっていた。妹は、絵本の中のお姫様よりも可愛らしく、お伽話の王子様よりも過酷な状況に置かれていた。

 だから、兄は決めたのだ。

「大丈夫だよ。フェリシアの王子様はここにいる。きっと魔術師の城から助け出してあげる。フェリシアは、ただ待っていてくれたらいい、絵本の中のお姫様みたいに」

 どんなことがあっても、何をしてでも、可愛い妹を助け出そう、と。それがたとえ自分の立場を危うくすることになろうとも。

 だって、妹が、お姫様が、王子様の助けを待っているから。


 ***


 可愛い妹と交わしたあの約束を、グースは忘れたことがない。

 毎日、毎日、朝起きる度に思い出す。かわいいフェリシアの顔と共に。

 しかし、先日グースにとって最悪の事態が起きた。

 フェリシアがこの兄に内緒で専属魔術師をつけたのだ。それを知った時の衝撃は今でも忘れられない。それに、その魔術師がなんとも掴みどころのない男で、グースのことを軽々しくお兄さんなどと言うものだから、冷静に対処などできるはずもなく、結局何もできずに王城へ帰ってきてしまった。

 何とも情けない話である。しかし、グースは「ギルバート」という名前に引っ掛かりを覚えていた。名前を聞いた時は気にも留めていなかったが、帰城してから、時間が経つにつれ気になって仕方がない。

「ギルバート、ギルバート……」

 王族であり第一王子であるグースは、これまで数えきれないほどの人間と接してきた。そのうちの一人に同じような名前がいたのかもしれない。では、それは誰なのか。気になったら、とことん調べなければ気が済まないグースは、これまでの謁見記録をすべて調べることにした。

 そして、何時間も資料と睨めっこして、ようやく見つけた。「ギルバート」という名前が記されていたのは、十一年前、グースがまだ十一歳の頃のものだった。

「そうだ、思い出したぞっ!」

 グースは慌てて立ち上がり、執務室を出た。

 向かう先は、もちろん可愛い妹が住まうヴェラント城。

 その目的は、謎の魔術師ギルバート。

「なんであいつが魔術師なんてやっているんだ!」

 三日月が、夜の空に浮かんでいる。

 その月明かりの下で、グースは必死に馬を走らせた。後ろから、近衛騎士たちがついて来る音が聞こえる。その音が酷く耳触りで、うっとおしく、窮屈に感じられた。自分はフェリシアを単騎で助けにいけるほど、軽い身分ではないのだと突きつけられているような気がした。何のしがらみもなければ、今すぐに、王宮魔術師たちを敵に回してでもフェリシアを助けに行くのに。

 ディラード王国第一王子グース・シェルメゾーレには、絵本の中の王子様のようにお姫様を助けられたとしても、幸せな生活を与えることはできそうになかった。

「だからって、お前がフェリシアの王子様だなんて僕は認めないぞ……!」

 グースの叫びは、ヴェラント城を囲む森に吸い込まれていった。


  *


 この日、グースは初めて、夜遅くにヴェラント城にやって来た。

 馬術を駆使し、時短で勇ましくヴェラント城まで来たというのに、城門に施された魔術に足止めをくらい、結局は追いかけてきた近衛騎士リーブスに開けてもらうことになった。その時のグースの情けない顔は、夜の闇のおかげで優秀な近衛騎士には見えなかっただろう……と信じたい。

 王族の身辺警護を担う近衛騎士団は、魔術騎士団と王立騎士団から選出された精鋭たちによって構成されている。リーブスは魔術騎士団から選ばれた男である。グースの行動についていちいち口うるさく言うので、グースはあまり好きではない。姑の小言のようにうっとおしい。グースに姑という存在はいないが、既婚者の話を聞いたり、本を読むと姑とはそういうものだと思っている。そんなリーブスを城門で待機させ、グースはヴェラント城に足を踏み入れた。もちろん、背後では何をするつもりなのかとか、無茶をして皆を困らせるなとか、ある程度の時間が経てば連れ戻すために城内に入るとか、ネチネチと言う声が聞こえたが無視した。

 薔薇の芳香が鼻をかすめ、目を閉じれば薔薇に囲まれた美しい妹の姿が思い浮かぶ。

 そうして城内に入ると、ばったり侍女のミリアに会えたのでフェリシアの居場所を聞いた。夜遅くにやって来たというのに、この城の使用人は誰一人休んでいなかった。それは、フェリシアがまだ起きているということだ。主人よりも先に使用人たちが休むことはない。フェリシアがいるという図書室に辿り着くと、ザックが扉を守っていた。図書室に入ろうとすると、第一王子であり、フェリシアの兄であるグースでさえ中に入れないと言われてしまった。仕方なくグースは王族としての権限を最大限に行使し、ザックをどかせ、中へ入ったのだ。

 その後はフェリシアの可愛さに我を忘れ、ギルバートを怒鳴りつけ、妹に冷たい視線を向けられ、呆れられてしまったが、最終的には魔術師と二人きりになることができた。


「それで、お兄さんは私に何の用ですか?」

 目の前で、ギルバートが不思議そうにこちらを見つめている。グースは自分と同じぐらい、いや、それ以上に整ったその顔を見て、知らず知らず口を尖らせていた。

「まぁ、座りたまえ!」

 もったいぶってそう言うが、ギルバートはすでにソファに座っていた。図書室の冷たい床に身を投げていたのは自分の方だった、とグースは慌てて魔術師の向かい側に座る。

「お兄さんがわざわざ私に会いに来たということは、フェリシア様のことでしょうか」

「だから、僕はお前のお兄さんではない! そして、これからもお兄さんになる予定もないからな!」

 先程、あのフェリシアが頬を赤らめていたことを思い出すと、腹立たしさが増す。目の前で笑うこの男を、人間が入るぐらい大きな鍋でも用意して熱いお湯で煮沸消毒してやりたい。フェリシアがあまりに可愛らしいから、汚らわしい目で見ているに違いない。

 何をしたのかは分からないが、あのフェリシアの表情を動かすなど、それだけ心が近づいているということだ。許せない!

「では、グース殿下は本当に何しに来たんですか?」

 こんな夜中に、と溜息を吐かれた。

 呆れられている。仮にも王子、仮にも次期国王候補であるグース相手に、気の抜けた顔をしている。確かに夜も遅い、フェリシアと積もる話もあったのだろう。その邪魔をしたのは分かっている。というか邪魔ができてよかった。あのまま二人きりで見つめ合っていたらフェリシアが襲われていたかもしれないのだから。初心な妹は、男というものがどれだけ危険か分かっていないのだ。

 みながみな、この兄のように理性的ではないのだから!

「単刀直入に言う」

「はい。何でしょう?」

 ギルバートの顔が余裕綽々なのがまた面白くない。グースはギルバートの秘密を握っているというのに。

「僕はお前の正体を知っている!」

 どうだ! 驚いたか! とおもいきりギルバートに人差し指を向け、してやったりと顔をにんまりさせているグースの耳に、信じられない言葉が聞こえてきた。

「あぁ……ようやく思い出したんだ。忘れられたのかと思ってた。久しぶり、グース」

 にこやかに笑いかけられ、驚いたのはグースの方である。先ほどまでとがらりと雰囲気が変わったと思うのは、気のせいだろうか。

「え、あ、久しぶり……って、ちょっと待て、何でそんなに普通にしてるんだ。もっと何かこう、ないのか?! 僕を知らないふりをして、正体を隠していたんじゃないのか? それが暴かれたんだぞ!」

「別に。俺は、ずっと覚えてたから」

「それは気持ち悪いな。僕は男には興味ないぞ」

 グースは覚えていなかったのに、ギルバートは今までずっと覚えていた。まさか自分に気があるのか、とグースは真面目な顔で断っておく。

「相変わらず、グースは面白いな。生憎だが、俺は姫にしか興味がない。それに、本当に正体を隠すつもりなら、偽名を使う。俺は誰も騙すつもりはない。ただ、俺にとって自分の素性が余計なものだっただけだ」

 勘違いしているグースを見て、ギルバートはにっこりと笑う。その笑みは、フェリシアに向けるものとは明らかに違う冷ややかなものを含んでいた。

 それに、フェリシアといる時は一人称が「私」なのに、今は「俺」になっている。

 ギルバートの本性はこちらなのだ。

 雰囲気や表情もそうだが、その言葉に乗せる感情はとても深く、重く感じた。いやに丁寧な言葉遣いと、魔術師というフィルターを通して見ていたせいでなかなか気付けなかっただけで、この男は昔のまま本質的には変わっていなかったのだ。名前を聞いて、その正体に気付いただけで満足していたが、ギルバートの様子を見て記憶が戻ってきた。

 昔から、ギルバートにはそういうつもりがなくても、グースの神経を逆なでする天才だった。というか、この男と比べられたら勝てるものがない気がする。溺愛する妹への愛以外は。


「ギルバート、お前今まで何してたんだ? 何故、僕とフェリシアが最も嫌う魔術師なんかになった」

 グースは真顔で訊く。

 ギルバートが魔術師になった理由を知ったところで、この男が今まで何を思い、何をしていたかなんてグースには知る由もない。しかし、何がギルバートを変えたのだろう。魔術師は嫌いだと話したことがあったのに、ギルバートは魔術師としてフェリシアとグースの前に戻って来た。その理由を知りたい。

「そんなの、決まってるだろう?」

 ギルバートはその明るい空色の瞳に太陽を思わせる光を宿らせ、言葉を続けた。そのあまりに真剣な表情に、グースは生唾を飲み込む。何がきても、受け止めてみせる。その覚悟を一瞬で決めた。


「〈災いの姫〉をこの世から消すためだ」


 その言葉を聞いてグースの思考は止まり、声を出すこともできないほどに驚いた。そして、ギルバートは妹を溺愛するグースにも手を貸してほしいと言う。

「グース、事は一刻を争う。頼む」

 そうして、グースはギルバートが魔術師になった真意について聞かされることになる。

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