第9話
国教であるマノラ教には、魔術師のことも記されている。
マノラ教とは、リアトルの愛の教えを忘れた人間たちに再びその愛を教えるために、聖女マノラが布教した宗教だ。マノラはリアトルの娘や化身だと考えられている。また、伝説では彼女は優秀な魔術師であったともいわれている。
魔術師のことを知りたければ、マノラ教の理解を深めることも大切かもしれない。
フェリシアに仕えてくれているミリアとザックは、熱心なマノラ教信者だ。彼らに聞けば、マノラ教についての疑問は解決できるかもしれない。しかし、二人には悪いがフェリシアはマノラ教を信じる気にはなれなかった。内容があまりに伝説じみていたり、リアトルの愛について延々と語られているからだ。
それでも、王族として国教を知らないなど恥だ。フェリシアの心には全く響かなかったが、マノラ教については一通り記憶している。
フェリシアは目を閉じ、神話に出てくる神の名を思い出す。
「……太陽神アーデット、海の神エレノス、地母神ディラ、風の神メローヌ、夜の神ネリス、の五人の兄弟神ね」
この五人に愛の神リアトルを合わせた六人が、この世界を創造したといわれている。神話や伝説などでよく耳にする名前だ。
フェリシアの答えに頷いて、ギルバートが五人の神と魔術師の関係について説明する。
「魔術師は、リアトル様の魔術を宿した薔薇によって、その兄弟神の力を借りることができるのです。魔術陣はどの神の力をどれだけ使うか、という計算式のようなものです。無から有は生まれない。しかし、薔薇の魔力によって魔術師は無から有を生み出し、有を無にかえすこともできるんです」
「だから魔術師は〈神の使い〉と言われているのね」
「その通りです。しかし彼ら神々が我々に力を貸すのはあくまで愛する妹リアトル様のため。薔薇の魔力なしに魔術陣を使っても、何もできません。そこで、リアトル様の魔力を持つ薔薇が必要になる訳です」
マノラ教信者は、魔術師を〈神の使い〉として崇めている。
それは、彼らが神の力を扱えるからだ。しかし、ギルバートの話を聞く限り、魔術師自身に神の力が反応するのではなく、あくまでリアトルの魔力に反応しているということらしい。
「そう、なら薔薇を使えば誰でも魔術を使えるということ?」
「確かに、そういうことになるかもしれません。しかし、魔力を宿す薔薇を手に入れることが簡単ではありません」
「それもそうね。グルゴスティア大陸で薔薇の花を咲かせられるのはこのディラード王国だけだし、国内でも薔薇園は三つしかないものね」
リアトルが降り立ち、薔薇を咲かせた範囲内しか薔薇は咲かず、花を咲かせられるのは王族しかいない。魔力を宿す薔薇は、とても貴重なのだ。
だから、マノラ教信者は薔薇の花を模した造花を肌身離さず持ち歩いている。ほとんどの一般市民は、一生のうち本物の薔薇園を見ることはないだろう。
広大なグルゴスティア大陸上に薔薇園は三つしかない。
一つは王族の住まうリーデント城、もう一つは魔術師協会本部、そして最後の一つはフェリシアの住むここヴェラント城である。もちろん〈災いの姫〉の存在は一般的には知られていないため、王宮魔術師しかこの城の薔薇園は利用できない。
つまり、実質的には薔薇園は二つしか存在しないのだ。そんな貴重な薔薇の魔力を誰でも利用していたら、すぐに薔薇はなくなり、誤った魔力の使用で混乱が起きることは必須。
そうならない為に、ディラード王国では魔術師になるための高い塀を用意しているのだ。選ばれた者のみが、魔術師を名乗り、薔薇の魔力を手にすることができる。だから、無所属の魔術師といえば、薔薇の魔力を手にする機会に恵まれず、魔術師としての知識も教養もない、魔術師の風上にも置けないような魔術師のはずだ。
「そう言えば、あなたはどうして魔術師協会から出てしまったの?」
魔術についての知識や薔薇の魔力が得られるのは、魔術師協会だけだ。
魔術師と名乗る者であれば、必ず魔術師協会にその名が残されている。王宮魔術師や魔術騎士団に所属する魔術師たちも皆、魔術師協会で学んでいる。無所属の魔術師とは、魔術の知識と技能を魔術師協会で学んでおきながら、国のためにその能力を尽くさず、逃げ出した者、あるいは自分のためだけにその力を利用しようと国を裏切った者のことを言う。
ギルバートからはそのどちらの可能性も感じられなかったが、彼が魔術師である限り魔術師協会と無関係ではいられないはずだ。
「………それは、ですねぇ……あは、ははは」
フェリシアは笑って誤魔化そうとするギルバートをきっと睨みつける。意識して冷たい表情を浮かべると、ギルバートは諦めたような溜息を吐いた。
「……実はですね、私は魔術師協会で魔術を学んだ訳ではないのです」
ギルバートの言葉を聞いて、フェリシアは一瞬ぽかんと口を開けた。こんな間抜けな顔を他人に晒したのは初めてである。しかし、すぐに表情を引き締めて、フェリシアは問い直す。
「それなら、どこで学んだというの?」
「私が魔術師に興味を持っていたように、私に興味を持ってくれた魔術師がいまして……」
ギルバートには珍しく、心底嫌そうに、苦虫を噛み潰したような表情で言った。何か嫌な思い出でもあるのだろうか。この話について深く聞かれたくはなさそうである。きっと、ギルバート自身に関わる重要なことなのだ。
ギルバートの過去について知ってしまえば、もう後戻りできなくなりそうで、フェリシアもあえて踏み込まないことにする。
(わたくしに必要な情報さえくれれば、この男のことなんてどうでもいいじゃない……)
謎が多くて、逆によかったかもしれない。このまますべてを謎のまま終わらせてくれたなら、フェリシアの心も傷つかずに済む。何も知らない方がいいのだ。そう自分に言い聞かせる。
それが、自分を守るために必要なことだった。
「そう。だとすれば、あなたのことを魔術師協会で調べても何も出てこないのね」
「はい、残念ながら」
「別に、わたくしの役に立ってくれるのならば素性などどうでもいいわ」
フェリシアの言葉に、ギルバートは意外そうに目を瞬かせ、にっこりと微笑んだ。
「必ずや姫のお役に立ちましょう」
「当然よ。それで、あなたの魔術講座はこれで終わりかしら?」
「いいえ、まだ続きが……さきほどは薔薇の魔力で神の力を扱うと言いましたが、薔薇の魔力だけでも十分な魔力を有しています。神々の力を必要とする大規模な魔術は、よっぽどのことがない限り発動させることはありません。つまり、薔薇さえあれば簡単な魔術を行使できるという訳です。だからこそ、人々の生活に魔術は身近なものになりました」
「そのようね。魔術で火をおこしたり、水や風を操ることで国民の生活はより豊かに、便利になった……魔術師がもたらす恩恵は、確実に国民のためになっているのよね」
フェリシアにとっては忌々しい魔術師だが、国民にとっては自分たちの生活を豊かにしてくれた救世主だ。日常生活に直結する料理は、魔術のおかげで火を起こす労力がいらなくなり、火を使う料理が簡単にできるようになった。日照り続きで作物がだめになり、雨ごいをしていた時代は遠い昔のこと。今はいつでも魔術によって雨雲を呼ぶことができるし、近くの川から水を簡単に引くことができる。ひとつひとつを挙げていたらきりがないくらい、魔術師は国民から必要とされている。
(わたくしだって、魔術師がすべて悪いとは思っていないわ……ただ、王宮魔術師たちのやり方は気に入らない)
王宮魔術師は、フェリシアの抱えている魔力について何の説明もしない。幼い頃は仕方がないと思っていた。しかし、自分が〈災いの姫〉とされるに至った詳しい理由も、その恐ろしい魔力が与える影響についても何も教えてくれないのだ。自分の存在がどれだけの脅威になるのか分からず、ただただこの身に抱える魔力が恐ろしかった。その気持ちは今も変わらない。この城にいる限り安全だ、と魔術師は言うがそれは本当だろうか。信じられるはずがない。信じてもいい何かを、王宮魔術師はフェリシアに与えてくれなかったのだから。
「そうです。日常生活を少し快適にする魔術なんかは、薔薇の花びら1枚もあれば簡単です。でも、逆に考えてみてください。これがどういうことか分かりますか?」
そう言ってフェリシアを射抜く空青色の瞳は、真剣そのものだった。
明るい笑みばかりを見慣れた後で、冗談など軽く打ち消すような真顔を浮かべた彼と対峙するのはとても心臓に悪かった。
しかし、それだけ重要なことなのだ、とフェリシアも真剣に頭を悩ませる。
薔薇の花びら1枚だけでも魔力を扱える……それが意味することとは。
(花びら1枚でも簡単な魔術を行使できるとすれば、もし薔薇の花一輪あれば……いいえ、薔薇園まるごと魔術の源として使えば……どうなるの?)
「薔薇園そのものが、脅威になる……?」
フェリシアが思いついたままに言葉を発した時、静かな図書室に不釣り合いなざわめきが聞こえてきた。
扉の外で、何者かが言い争っている。その声に聞き覚えがありすぎるせいで、フェリシアは嫌な予感しかせず顔をしかめていたが、ギルバートは楽しそうに笑みを浮かべていた。
ザックの制止の声を振り切り、図書室の扉を開いたのは、きらびやかな容姿をした兄グースだった。
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