第8話
フェリシアのために、と
幽閉されている身で、自由にできることと言えば本を読んで外の世界を感じることぐらいだ。だから、フェリシアは画集が好きだ。ディラード王国の風景画は、フェリシアの知らない王国の姿を教えてくれる。もしもこの場所に行けたならどんなことをしようか。そんな風に夢想する。自分はこの塔から、魔術師の支配から逃げることはできないだろうけれど。
塔での生活の半分以上を、フェリシアはこの図書室で過ごしてきた。だからこそ、ここはフェリシアにとって一番居心地がいい。大好きな本をゆっくり楽しめるようにと、ソファは一人掛けで、皮張りでも柔らかく、ずっと座っていてもお尻が痛くならない素材を兄が選んでくれた。それに、薔薇が好きなフェリシアのために、薔薇が刺繍されている。そんなお気に入りのソファに、ギルバートは座っていた。フェリシアが入室してからは立ち上がり、今は何故か跪いているが。
フェリシアは、跪いたまま笑顔で手を差し出してくるギルバートを無視して、ソファに座った。たった数歩の距離だ。エスコートなど必要ない。
「あなたも座って頂戴」
淡々と言うと、ギルバートは苦笑を浮かべ、いつも兄が座っている向かい側のソファに腰を下ろした。
フェリシアは、つかみどころのないこの男にはぐらかされないよう早速本題に入る。
「それで、この城の魔術は一体何の為のものなの?」
魔術師の言葉は信じていない。フェリシアは、この城がただ自分を閉じ込めるだけのものだと思えなかった。
「その前に、姫は魔術についてどれぐらいご存じなのですか? この国では王族が魔術を学ぶことは禁じられているはずですよね」
フェリシアはその言葉に頷く。
ディラード王国は、王族が魔術を学ぶことを禁じている。
それは、過去に王族が自らの育てた薔薇の魔力によって国を危険に晒したことがあるからだ。絶対的な力は、たった一人の手に渡っては使い方を誤る。王族を、国を守るために与えられた魔術という大きな力は、決められた枠組みの中で正しく使われるべき、という考えから魔術師協会が誕生した。それまで、魔術師がいたのは王宮のみで、国民の前には姿を現すことはなかったが、魔術師協会の誕生で人々の生活にも魔術師が関与するようになり、国はさらに栄えた。
そして、そのためにますます魔術師の存在や立場は大きくなっていった。魔術師に絶大な権力を与えたのは、王族が守るべき国民だった。国民が本当の意味で頼りにしているのは、魔術師だ。しかし、神の血を引く王族がいなければ魔術師は魔術師として存在できない。だからこそ、王族は威厳を保っていられるし、国民は畏敬を念を抱いている。
(王族は魔力の源である薔薇を咲かせ、その魔力を国のために使うのが魔術師……それが一般的な常識だわ……魔術はその延長線上にある、はず)
フェリシアに魔術師についての知識がない訳ではないが、もし完璧ならば王宮魔術師に大人しく従わずにすんだだろう。
「何のためにあなたをこの城に置いていると思っているの」
「はは、そうですよね。でも、姫のことですからある程度の知識はお持ちかと……」
にこっと笑うギルバートの瞳は挑戦的だった。試されている、そう感じてフェリシアは強く頷いた。
「えぇ、無知ではないはずよ」
しかし、魔術師に魔術の知識で勝てるとは思っていない。ギルバートも、フェリシアにそこまでの知識は求めていないだろう。
「それはよかったです。まず、魔術師が魔術を扱うために必要なものが二つあります」
わかりますか? と聞かれてフェリシアは一拍の後に答えた。
「薔薇と魔術陣、かしら」
「正解です。何故かは分かりますか?」
「薔薇は、愛の神リアトルの魔力が宿っているから。魔術陣は……よく分からないわ」
愛の神リアトルが人間になった時、人の身体に納まりきらなかった神の力が溢れだし、地上に薔薇を咲かせた。
この話は、ディラード王国に生まれ育った者ならば誰もが知っている神話に登場する。
「薔薇が大きな魔力を秘めていることは事実です。しかし、それだけでは魔術を扱うことはできません。グルゴスティア大陸の神話を思い出してみてください。リアトル様の他にも神がいたはずですよ」
なんだか魔術の講義を受けているようだ。
フェリシアは昔から学ぶことが好きだった。
兄の紹介でフェリシアの教育係となったビートは、昔からフェリシアの理解力にいつも驚いていた。十年経った今では、もう教えることは何もない、とヴェラント城の庭師を兼任してくれている。元々彼の趣味は園芸だったらしい。
一般的な知識や学問であればすべて頭に入っているが、魔術となると話は違う。王族には、魔術関連のことについて厳しい規制がかかるのだ。その知識は、魔術師と関わったことのない国民と同じくらいしかない。
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