第3話

 許せない。絶対に許せない。

 兄であるグースでさえ忙しくて週に二回しか会えないのに、見ず知らずの魔術師が可愛い妹の側にいるなんて。しかも男! グースはほとんど逆上していた。

 小さい頃、天使のように可愛かった妹はいつもグースの後ろに隠れて大人の視線に脅えていた。

 フェリシアを産んだクレア王妃は、自分の身体から〈災いの姫〉が産まれたという現実に向き合えず、心を病んでしまった。

 自分の娘であるフェリシアを愛せず、王宮魔術師に「何故生かしているの!」と叫んでいたのをグースは見たことがある。第二王妃シャンテが先に跡取りたる王子グースを産んだことで、かなり焦っていたのだろう。

 優しく聡明な母に愛情いっぱいに育てられたグースには、クレア王妃の気持ちが全く理解できない。あんなにも可愛いフェリシアを愛せないなんて気の毒な母親だ、と同情さえ感じる。クレア王妃はフェリシアの存在を消したがっているし、父であるヘルベルト王は我関せずといった態度を貫いている。

 呪われた〈災いの姫〉を守るものは何もなく、フェリシアは幼いながらに自分の立場を良く理解していた。我儘一つ言わず、大人の言うことを素直に聞く。フェリシアが子どもらしく泣き喚いたところなんて、グースは一度も見たことがない。

 フェリシアのことは自分が守ってあげなければ、とグースは妹のことを第一にこれまで生きてきた。愛情に飢えているフェリシアのためにと、過剰な愛情表現を意識していたら、そのうちそれが当たり前になり、妹にドン引かれるという悲しい結果となっている。

 でもいつかは、フェリシアをこんな隔離された場所から連れ出し、王城に迎え入れるつもりだ。もちろん、そのためには可愛いフェリシアを傷つけるような人間を排除しなければならないが。

「どうしてザックがついていながらフェリシアに男が近づくんだ! フェリシアは優しすぎるからきっとその男に騙されているんだよ。目を離すなと言っていただろう?」

 前を行くザックは第一王子の怒りをそっと受け止め、謝罪した。こんな妹馬鹿でも次期国王候補なのだから――とザックが自分自身を納得させていることにグースは気付かない。

「申し訳ございません」

「まぁ、分かればいいんだ。これからはしっかり目を光らせておいてくれよ」

「はい」

 ザックはどんどん下へと階段を降りていく。

 フェリシア付きの魔術師が下の階にいるのは当然だ。もし同じ階だったりしたら更に怒り狂っていただろう。

 ヴェラント城は三つの尖塔と中央の主塔が特徴的な城だ。

 石造りの頑丈な城で、フェリシアを守るための魔術が多数ほどこされているという。グースにはただの普通の城に見えるが、魔術師にはその魔術陣とやらが見えるのだとか。グースに魔術陣が見えなくても、この城が可愛い妹に害をなさなければそれでいい。

 円形の城の外には、フェリシアが大切に育てている美しい薔薇園がある。螺旋状の階段の格段ごとに設けられた窓からは、その薔薇園を見下ろすことができる。もう地上が近いせいか、濃厚な薔薇の芳香が鼻をかすめる。

 フェリシアが雇ったという男は信用できるのだろうか。

 フェリシアが優しくて可愛いからといってあんなことやこんなことを………。

「うわあぁぁぁぁ……‼」

 もう、むしろそんな奴は城外でいいと思う。専属魔術師など断固拒否だ。牢屋にぶち込んでしまえ!

「殿下、お気を確かに!」

 気が付けば壁に頭を打ち付けていた。危ない、危ない……。

 神の使者だとか言われているが、グースは魔術師なんてものを崇拝してはいなかった。何故なら、フェリシアが魔術師を物凄く嫌っているから。フェリシアが嫌いなものは嫌い、好きなものは好き。これがグースの基本だった。

「……大丈夫だ。早く忌々しい男の元へ」

「は、はぁ……」

 ザックは返事をし、少し気まずそうにして急に立ち止まった。

「どうした?」

「魔術師様は、庭園で薔薇の観察をしておいでです」

 その言葉を聞いて、グースはザックを置いて駈け出していた。


 城の外に一歩出れば、薔薇の香りがいっぱいに広がっている。

 入り口にある赤い薔薇のアーチに迎え入れられ、グースは薔薇園に足を踏み入れた。

 赤やピンク、オレンジなど色とりどりの薔薇や草花が太陽の日差しを気持ち良さそうに浴びている。この美しい薔薇たちに魔力が宿っているなど、グースには信じられない。しかし、魔術師たちが必死で薔薇を守っているのだから、本当なのだろう。

 王族でありながら、グースは薔薇を育てるのが苦手だ。それに比べてフェリシアはこんなにも綺麗に薔薇を咲かせることができる。可愛い妹は王族の鏡だ!

 いつもはフェリシアが大切に育てている薔薇に挨拶をしながらこの庭園を歩くのだが、今のグースにそんな余裕はなかった。

「おい、クソ魔術師! いるんだろう?」

 グースは広い庭園に向かって叫ぶ。普通の人間ならば、神の力を扱う魔術師相手に見下した物言いをしてはならない。魔術師への言動は神への言動に繋がるとされているからだ。この国に住まう者なら皆知っていること、しかし、そんなこと王族のグースには関係ない。それに、王宮魔術師ではないと聞く。どこの馬の骨とも知らない奴に気を遣うものか。

(ここにフェリシアをたぶらかした男がいるのか!)

 しかし、人影は見えない。グースは魔術師を探して薔薇園の奥へ奥へと足を進める。

 しばらくして、がさがさと音がしたかと思うと、近くのつる薔薇の間から男が現れた。悔しいことに、現れた男はグースに負けないぐらい品がある美しい顔立ちをしていた。その均整のとれた身体を包む黒いマントには、泥や葉をあちこちに付着させている。地面を這いずり回ったようなその姿に、一瞬言葉を失う。

「私のこと、呼びましたか?」

 現れた男は、なんとも気の抜けた笑顔で話しかけてきた。

 太陽の日差しで輝く金茶色の髪に、澄んだ空色の瞳、屈託のない笑顔は魔術師とは思えない程に明るい印象を与える。こんな異様にきらきらした青年がフェリシアの専属魔術師だというのか。

 王子である自分も十分輝いていると思うが、それは煌びやかな恰好で完璧にキメているからでもある。泥だらけの状態でもこんなに眩しいなんて、ずるい。今度自分も泥を被ってフェリシアの目の前で笑ってみようか。水をぶっかけられるのがオチだと思うが、それはそれで幸せだ。という妄想をしていると、目の前の男に用があったことを忘れていた。

 グースはわざとらしい咳払いをして、魔術師に向き合う。身長が同じぐらいで、目線の高さが同じだったことがまた悔しい。見下ろしてやりたかったのに。

「お前、名は何というのだ?」

 意識して、威圧的に話す。舐められないようにしなければ。

「ギルバートです。どうぞよろしく」

 じっとこちらを見つめる空青色の瞳に既視感を覚え、グースは不思議な気持ちになる。

 それに、ギルバートという名前……聞き覚えがあるような、ないような。

 王子として日々様々な名前を覚えなければならないので、同じような名前は何度も聞いたことがある。魔術師の名前は覚えようとは思わないので、知らず忘れてしまった者の名かもしれない。そう思い、グースは気を取り直してギルバートを睨む。

「僕は、ディラード王国第一王子グース・シェルメゾーレだ!」

 グースはドヤ顔で、腰に手を当てて言った。

「あぁ、姫のお兄さんですよね」

 一国の王子を前にこの落ち着き様はなんだ! と内心驚く。魔術師だからか! 王族を舐めているのか!  しかし、目の前の男からは悪意のようなものは全く感じられなかった。

 それどころか、陽だまりのような笑顔でこちらを見てくる。なんでそんなに幸せそうなんだ……と考えたところで、フェリシアの側にいて不幸になどなりえないことに思い至ったグースである。気を取り直して、ギルバートに威圧的に声をかけた。

「ギルバート、お前はここで何をしているんだ? フェリシアの専属魔術師だろう? 側にいなくていいのか」

 といっても、四六時中フェリシアの側にいられても目障りなだけだ。

「これも仕事ですよ、お兄さん」

「お、お兄さんだと⁈ 僕はお前の兄ではない! それに、王子を気安く呼ぶな!」

「あ、そうですよね。すみません。それで、グース殿下は何故ここに?」

 振り回されている。そう感じながらも、根は真面目で優しいグースはその質問に答えてやる。

「可愛い妹の側に見知らぬ男がいれば兄として心配もするだろう」

「えぇ。確かに、あれほどまでに美しく、可愛らしい姫です。お兄さんが心配されるのも無理はありませんね」

 そう言って、ギルバートは空色の目を輝かせた。その言葉に嘘はないと思えた。なんだか、自分と同じ匂いすらする。だからといってこの男を認める気はないのだが。

「そうだ。フェリシアはとてつもなく可愛い。しかし、ギルバート。お前よりも僕の方がフェリシアの可愛さと魅力を知っている! お前なんかフェリシアは相手にしない! はははは~」

「さすがはお兄さん。でも私も姫の魅力は分かっているつもりです!」

「ほう? それは本当か? まぁ僕以上にフェリシアのことを分かっている者はいないがな!」

 などと二人でフェリシアがどれだけ可愛く、美しいかを語り合っていると、不意に頭を何かで強打された。

 振り返ると、そこにはスコップを持った可愛い妹が立っていた。薔薇園に常備された、フェリシア愛用の可愛いスコップ。スコップまでもが可愛いとは、妹の可愛さは尋常じゃあないな、と自然頬が緩む。

 今日のフェリシアは淡いピンク色の、身体のラインがよく分かる装飾の少ない長袖のドレスを着ている。長めの裾のレースが風になびいて、薔薇の花弁もふわりとフェリシアの周りを舞っている。絹のような蜂蜜色の髪までもが風にすくわれ、陽の光にきらきらと光る。ドレスの上から、フェリシアが纏っているのはいつものアレだ……。

 まるで薔薇の妖精が舞い降りたかのようなその姿に見惚れていると、見るな! というように鋭く睨まれた。

「お兄様、何を話していましたの?」

「いや、なんでもないよ………」

 先程までの威勢はどこへやら。可愛い妹の絶対零度の視線を浴びて兄はたじたじである。

「まぁ……いいですわ。彼がわたくしの専属魔術師になったギルバートです」

「改めましてお兄さん、ギルバートと申します。また、姫がどれだけ可愛いかについて話しましょうね」

 ギルバートの言葉に頷きかけ、はっとフェリシアを見る。軽蔑の色を示すその赤い瞳と目が合い、背筋が凍る。

「そんな話、しなくて結構!」

 完全に妹の機嫌を損ねてしまった。どうにかして挽回せねば、と考えるグースの耳に間抜けな声が聞こえてきた。

「あの、姫……?」

「何かしら?」

 不機嫌なまま、フェリシアは冷めた瞳をギルバートに向けた。

「ずっと気になってたんですけど……それ、痛くないんですか?」

「……だ、駄目だあああああ!」

 思わず、グースは大声で叫んでいた。


 ギルバートが指した『それ』とは、フェリシアが身に纏う棘だらけの薔薇のショールのこと。本物の弦薔薇を編んで作られたそれは、ところどころに綺麗な花を咲かせてはいるが、触れれば痛そうな棘に覆われている。花が地面に咲いていないのに生き生きとしているのは、フェリシアの魔力のおかげだろう。

 一体どうして妹が薔薇を身に着けているのかは分からないが、呪われた〈災いの姫〉であることが関係していることは明らかだ。だから、妹に嫌われたくないグースは物凄く気になったが、一度も聞かなかった。

 それなのに、この男はあっさりと聞いてしまった。

(お前にはデリカシーというものがないのか!)

 早く謝れ、と目で伝えても、ギルバートはただにっこり笑っているだけだ。

「その心配はいらないわ。薔薇がわたくしを傷つけることはないの。それに、もし傷ついたとしても、あなたには関係のないことよ」

「関係ない、なんて言わないでください。私は姫の専属魔術師なんですから」

「そうだったわね」

「でも、どうしてそんな棘だらけの薔薇を纏うのです?」

「お洒落よ」

「えええっ⁈ お洒落だったのか⁉」

 我慢できずに口を挟んでしまった。これまであれこれと気を回し、遠慮して聞かなかったというのに。

 お洒落だったとは……。もっと早く聞けばよかった、とグースは肩を落とす。

「うるさいわね。大きな声出さないでくれる? 耳が痛いわ」

「……ごめんなさい」

 怒った妹に対してはすぐに謝るべし。グースは深々と頭を下げた。でもなんだか釈然としない。

「一国の王子も姫には頭が上がらないんですね~」

 という陽気な声が耳に届く。ちらり、と目線を上げるとまだ笑顔を浮かべているギルバートが目に入る。

(こいつ、絶対に許さん! フェリシアがいない所で一発殴ってやる!)

 そう決意したグースは、凶暴な感情を何とか抑え込み、愛する妹に優しい兄としての微笑みを向けた。

「フェリシアは何も心配しなくてもいいからね。僕がフェリシアを守るからね」

「お兄様、気持ち悪い顔でこっちを見ないでくださる?」

 スパン、とあっさり切り捨てられる。それはもう慣れているから問題ない。むしろ嬉しかったりもする。

 しかし何故、ギルバートに対して妹の切れ味のいいナイフは力を発揮しないのだ。

 その理由を考え、勝手に答えを導き出したグースは、にんまりと気持ちの悪い笑みを浮かべた。

「そうか、そうか。やっぱりお兄様だから心を開いてくれているんだよな。数日一緒にいたぐらいの奴には心開けないよな。なんだかんだ言ってもフェリシアはお兄様が大好きだもんな」

「その自信はどこからくるのかしら……」

 呆れかえったフェリシアの言葉は、グースの耳には届いていなかった。

「グース殿下、王城にお戻りになる時間でございます。もう迎えの馬車も来ております」

 溺愛する妹フェリシアとの幸せな時間は、ザックのその一言で終わりを告げた。

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