第1章 災いの姫と侵入者

第1話

『この子は、呪われている。いずれこの国を破滅に導くだろう』


 これは、ディラード王国で絶大な権力を誇る王宮魔術師長の言葉。

 そして、その言葉はまだ生まれたばかりの赤子に向けられていた。

 皆の祝福に包まれるはずだった、ディラード王国第一王女フェリシア・シェルメゾーレの誕生は、王国中に暗い影を落とした。


 真っ白な羽毛に包まれたふわふわのゆりかごの中で愛らしく笑うフェリシアは、とても呪われているようには思えない。しかし、その瞳は血のように赤く、その肌は人間のそれとは思えないほどに白く美しく、陶器のように滑らかだ。そして、その小さな手に握りこまれた薔薇の棘はその柔らかな肌に傷一つつけていなかった。 それは、明らかに異常だった。


 ディラード王国は、広大なグルゴスティア大陸の北半分を統べる大国だ。

 この世界を作り出したのは、愛の神リアトル、太陽神アーデット、海の神エレノス、地母神ディラ、風の神メローヌ、夜の神ネリスの六人の兄妹神だとされている。この六人の神は地上を治める者として人間を生み出し、知恵と知識と感情を与えた。

 神は人間の上に立ち、人間は神に従う者だった。

 しかしある時、愛の神リアトルが人間の男に恋をしてしまった。神と人間では住む世界が違う。それでも、リアトルはその深い愛で男を愛した。そして、あろうことかその男と結ばれるため人間になる、と言い出した。神でありながら一人の男を愛し、地上の存在になると言った彼女に、他の兄妹神は強く反対する。

 しかしリアトルの意志の強さに折れ、彼女を追放し、地上に落とした。追放されたリアトルは、当然神としての力は使えない。それを哀れに思った兄妹神は、大切な妹を守るために人間にも神の力を扱える契約書をリアトルの愛した男に与えた。

 リアトルが愛した男は、小さなディラード王国の王だった。

 しかし、神の力を得たディラード王国はめざましい発展を遂げ、大陸の北を統一し、約千年間絶大な力を誇る大国となった。その裏には、王からその契約書を受け継ぎ、神の力を行使する魔術師がいた。魔術師は決して表舞台には姿を現さず、ただ王族を、王国を守るために存在した。

 王族は神の子であり、王族、王国を守るのは神から力を与えられた魔術師の使命だからだ。

 しかし、時代が変われば立場も変わる。

 魔術師の絶対的な力は裏ではなく表にまで影響を及ぼすものとなった。魔術師の力は国をさらに豊かにし、他国への牽制にもなった。〈神の使い〉と言われるまでに、魔術師への信頼は絶大なものとなり、その地位は王族に次ぐ権力を与えられるまでになった。

 

 そんなディラード王国で、魔術師の言葉は絶対だ。

 誰もその言葉を疑わない。疑うことは神に背くことになるのだから。

 それも、王国一の王宮魔術師長の言葉ともなれば逆らう者などいない。


 呪われた、王国に災いを呼ぶ〈災いの姫〉とされたフェリシアは、表向き死んだことにされ、魔術師の管理下に置かれることとなった。フェリシアを閉じ込めておくための城の建設はすぐに始まり、誕生から七年で立派な城が完成した。



 ***



 春の陽光と、一足早い夏の暑さに包まれた薔薇園で、薔薇を纏った少女と一人の男が向かい合っていた。

「いやぁ、それにしても素敵な薔薇園ですね。見たこともない薔薇がたくさんあります」

 と、にっこりと微笑む男は、広い庭の隅にある小さな牢屋内で縛られている。捕らえられているというのに、緊張感の欠片もない。

 きっと、この牢屋のせいだ。

 物置として使っているだけで、罪人を捕らえるためには使ったこともないため、ここには恐怖を与えるようなものは何もない。薄暗く、無機質であるはずの牢屋には、太陽の日差しがサンサンと降り注ぎ、牢屋だというのに華やかな薔薇が周囲を取り囲んでいる。赤やピンク、オレンジなど色とりどりの薔薇や、その薔薇を引き立てる花々がなんとも心を和ませる。あたりには甘い香りが漂い、目を閉じればここが牢屋であることも忘れてしまう。

 だからだろうか、囚われた男には全く緊張感や恐怖心といったものがなく、呑気に薔薇の観察をしていた。心を込めて育てている薔薇を褒められるのは嬉しいが、状況が状況なので複雑だった。

「これはこれは、コロンとしていて可愛らしい。もうすぐ満開ですね。あぁ、香りは甘く爽やか……」

 うんうん、と一人で納得している男は手足を縛られていることなど何も気にしてなさそうだった。

 牢の床に座り込み、薔薇に夢中になっているこの男、よく見れば整った顔立ちをしていた。目、鼻、口、全てが完璧に配置されており、非の打ちどころがない。

 絵本に出てくる王子様のような綺麗な顔に笑いかけられれば、どんな者でも心を許してしまいそうだ。薔薇を映す瞳は晴れ渡った空の色で、柔らかそうな金茶色の髪は所々少しはねていた。暑苦しい黒いマントを身につけ、何とも和やかな笑みを浮かべる男は、見た所二十代前半ぐらいと若い。

「なんだか私ばかり喋っていませんか? 姫の声も聞かせてくださいよ」

 うっとりと期待に満ちた瞳を向けられても、柔らかな笑みを向けられても、薔薇に守られた姫――フェリシアは感情を表に出さず、冷静に男を見据えていた。


 ここは、〈災いの姫〉が幽閉されているヴェラント城。

〈災いの姫〉であるフェリシアは、七歳の頃からこの城に住んでおり、もうすぐ十年が経つ。

 昨日、フェリシアは夜空をじっと眺めていた。月が綺麗な夜だったから。少し感傷的な気分になって外に出ると、城に入り込んだ怪しい男を見つけた。捕らえてから今まで、何故か幸せそうに笑っているこの男。

 城の主であるフェリシアは、真夜中の侵入者をどうしたものかと思案していた。 もちろん、即刻出て行ってもらいたいのだが、魔術がかけられたこの城に侵入できる者などこれまでいなかったのだ。

 このままにしておいていいはずがない。

「あなた、何者?」

 魔術で閉ざされたこの城に侵入できるとすれば、魔術師しかいない。

 それに、この男はフェリシアのことを〈災いの姫〉だと言ったのだ。

 もうこの国で〈災いの姫〉が生きていることを知るのは一握りの人間だけだ。国王である父ヘルベルト、生母である正妃クレア、遊び相手になってくれた異母兄グース、ヴェラント城の使用人たち、そしてフェリシアを〈災いの姫〉とした王宮魔術師のみだ。と言っても、魔術師の間では〈災いの姫〉のことは公然の秘密となっていると聞く。

 だから、この男がフェリシアのことを知っているのなら、王宮魔術師である可能性が高い。


 ディラード王国内の魔術師は大きく分けて二つの組織に属している。


 一つは、紋章に白薔薇をいただく王宮魔術師団。ディラード王国の祭事や行事などを任されており、場合によっては政務に関わることもある。

 もう一つは、紋章に青薔薇をいただく魔術騎士団だ。主には王都の治安維持を行っており、王立騎士団よりも強い権限を持つ。

 そのどちらの魔術師にも共通していることは、魔術師協会で魔術を学んでいるということだ。魔術師を志すものは魔術師協会に入り、魔術の基礎を学ぶ。そして、魔力を扱う素質あるものだけが魔術師となることができるのだ。魔術師協会に残り、研究や学問をする者がいれば、王宮魔術師団や魔術騎士団に所属する者もいる。

 魔術師は神の力を扱う者であり、私事に力を用いてはならない。そのため魔術師は登録制になっており、自身の所属を常に明らかにするもの――紋章を身に着けていなければならないのだ。

 しかし、この男は身体のどこにも紋章を付けていない。それどころか全身黒一色で、装飾が一切ない。唯一この男を飾り付けているものと言えば、爽やかすぎる笑顔ぐらいだろうか。

 じっと男の答えを待つフェリシアの耳に届いたのは、とんでもない言葉だった。

「私は、あなたのための魔術師です!」

 意味が分からない。探るように男を見るが、嘘をついているようにもからかっているようにも見えない。彼はいたって真剣にあの言葉を述べたらしい。

(まさか……無所属?)

 魔術協会で魔術を学び、王族のため、国のために力を手に入れておきながら、組織には属さず逃げた者たちが無所属――つまり、王国を裏切った者だ。とは言っても、魔術師は魔術師協会に足を踏み入れた時点で国の所有物。魔術師の個人情報はすべて魔術師協会で保管されている。この男が無所属の魔術師だとしても、魔術師協会に行けば素性は判明するだろう。

 しかし、〈災いの姫〉であるフェリシアにはそれはできない。

 それに本来であれば、魔術騎士団に捕えられて重い罰を受けていたであろう男だ。フェリシアが関わるべきではないのかもしれない。

 どこからどう見ても危険分子には見えないが、魔術騎士団に任せた方がいいだろうとフェリシアは踵を返す。

「え、もう行っちゃうんですか? 姫~!」

 後ろから聞こえる声を無視して、フェリシアはそのまま歩き続ける。

(ザックに言って、早く出て行ってもらいましょう)

 ザックは、この城の護衛騎士だ。

 真面目で堅物なザックは、主君の命には忠実だ。彼に任せておけば、この男をさっさと魔術騎士団に引き渡すことができるだろう。

 フェリシアは魔術師が嫌いなのだ。それも超が付く程に。

 この男を生かしておく義理はない――しかし――……。

 大嫌いな魔術師に対抗できるのは、魔術師だけかもしれない。

(この男が信用できるかどうかは分からない。でも……)

 魔術師協会や魔術騎士団も把握していない無所属だ。

 後ろでフェリシアを呼び続ける男が何の目的で侵入してきたのかは分からない。 しかし、この男は昨夜フェリシアがナイフを向けても何の抵抗もしなかった。それどころか、殺されても構わないという様子だった。彼の中でフェリシアがどのような存在なのかは分からないが、これは利用できるかもしれない。

 王族の味方でありながら、第一王女を〈災いの姫〉として閉じ込めた王宮魔術師なんかよりはかよっぽど信用できるだろう。

「あなた、わたくしに忠誠を誓える?」

 フェリシアは男の前まで戻り、極上の笑顔を向けた。有無を言わさぬ、完璧な笑顔を。

「私の命尽きるまで、美しい薔薇姫に絶対の忠誠を……」

 男は、手足を縛られながらも器用に跪いた。

 その所作には、どこか品があった。

 その言葉を聞いて、その澄んだ空色の瞳を見て、フェリシアは決めた。

「あなたをわたくしの専属魔術師とします」

 まだ名も知らない男、それも大嫌いな魔術師を側に置く程にフェリシアは追い詰められていた。

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