幽霊と女の子
つくる
第1話
ある日、長い長い休みの真っ只中に、私がぼんやりと天井を眺めていると、どこからともなく挨拶をする女の子の声が聞こえてきた。私はベットで横になっていたから、すぐに起き上がって声のした方を見た。本当は、よくある空耳でしょ、と思っていたのだけど実際にはそこに髪の長い女の子が立っていた。私はよく分からないまま挨拶を返した。そう、私には人に挨拶をされたらそれを返すという習慣が身についているのだ。
「こんにちは」
私がそう返すと彼女は少しだけ驚いた表情を見せた。知らない女の子が音を立てずに入ってきたのだからびっくりしたのは私の方なのに...それでも挨拶を返したのは私の習慣の勝利だと思う。
「見えるんですか?」
彼女は言った。
「見えるのって...あなたのこと? それともそこにある本のこと? それともあなたが踏んづけている床のこと? 天井のこと? 壁のこと? あるいは─────」
「あなたは私が見えている。それはわかりました」
彼女は少しだけ嬉しそうだった。私は手にスマートフォンを持っていたから、とりあえず電話のアイコンを押し、キーパッドで110を押した。
「ところで、あなたは誰?」
彼女は首を傾げた。うーん、と唸って「よくわかりません」と言った。私は「そう」とだけ呟いてとりあえず通話ボタンを押し、スマートフォンを耳に当てた。電話はトゥルルルと鳴るはずだった。
「あれ?」
鳴らない。スマートフォンの画面を見ると1100になっている。押し間違えたんだ。
「あの、私...不審者じゃないのですが...」
彼女はおどおどしながら言った。
「そうかなぁ。夜中に一人暮らしの女の子の家に入ってくるなんて、そんなの強盗か乱暴をしにきた人間だとしか思えないんだけど」
「そうじゃないんです」
「あぁ、わかった。あなた殺し屋でしょ。でも私、誰かに恨まれるようなことなんてやってないんだけどなぁ...誰に雇われたの?」
「だから違いますって」
彼女はそう言って私の方に近づいてきた。
「待って」
私がそう言うと彼女は立ち止まる。我ながら冷たい声だと思う。
「もしあなたがそこから一歩でも近づいたら、警察を呼ぶから」
彼女は困ったなぁというような仕草で頭を掻いた。彼女は腕を組んで、うんうん唸って、そして言った。
「笑わずに聞いて欲しいのですが...」
私は頷いた。
「私、幽霊なんです」
その言葉を聞くとすぐに、私は1100を110に変え、光の速さで通話ボタンを押した。
「...?」
通話ボタンを押そうとした、はずなのに。私の指は動かなかった。声も出なくなっていた。気がつくと、体が自分の意志で動かなくなっていて、なんだか寒かった。
「これで...わかりましたか?」
彼女は私に歩み寄ってくる。布擦れ音さえ立てずに。その間も私の体は動かなくて、冷えはより強くなっていた。私が横になっているベットに座った。すると私の体が痺れ始めた。痛い。寒い。怖い。
「あ、忘れてました」
パチンと指を鳴らすと、私の体は自由になった。だから、もう一度スマートフォンの通話ボタンを押そうとした。押そうとしたところで私の指はまた動かなくなった。ついで、体もまた。きっとこれが怖いってことなんだ。冷や汗が背中を伝う。
「やめて。不審者」
私は彼女を睨んで言った。どうやら口は動くみたいだ。
「あの...通報するのはやめて頂けませんか? そもそも私は幽霊ですから誰にも見えないと思いますし...」
私はむきになってボタンをタップしようとした。それでも動かない。何か薬でも使われたんだろうか、と思った。何をしたの? なんて聞こうとすると彼女は私に人差し指を見せ、ゆっくりとそれを私の額に近づけてきた。
「やめて」
そう言ったけれど彼女は私に指を近づける。額に指を近づけられるとなんとなく、じんじんと痛くなる。
「あの...やめてください...お願いします」
彼女は私の言うことなんて聞かずに指を近づける。目を閉じようとしたけど、できない。いろいろな抵抗を試みたけれど口以外は動かない。
その間も彼女はゆっくりと指を私の額に近づけていて、最後に私の頭を文字通り貫いた。
「...死ぬかと思った」
私はほっとした。もし動けたなら、文字通り胸を撫で下ろしたと思う。私の額に人差し指を近づけた髪の長い女の子は微笑んで、腕をそっと戻した。
「ね、わかったでしょう。私が幽霊であることが」
私は首を振った。すると彼女は首を傾げた。
「あなたの腕は確かに私の頭を通り抜けた。でも、それが幽霊の証明にはならないんじゃないかな」
「私は壁抜けもできます」
「そういうことじゃないんだよね」
「私は写真に写りません」
気づくと金縛りは解けていたから、私はスマートフォンのカメラを通して彼女を見てみた。確かに見えなかったし、写真を撮っても写らなかった。
「あなたは私が見ている夢かもしれない。あるいは幻覚、とか」
「それはあなたがいつも見ている人間や、世界にも言えるのでは?」
「そうだね」
私は笑った。なんだか可笑しかったから。
「さっきの金縛りもあなたがやったの?」
「そうです」
「もう一回やってみせてよ」
「はい」
彼女は私を金縛った。本当に動けない。
「なるほど、確かにあなたは幽霊かもしれない」
「だから言ったじゃないですか」
「私は疑り深い現実主義者なんだよ」
「なら、私が幽霊って信じないんですか?」
「あはは、信じるよ。さっきまでは信じてなかったけど、ね」
「ひどい」
「いや、私は実感しか信じたくないんだ。例えば、誰かが美味しいごはんを食べたと言ったとしても信じないよ。だって私はそれを食べてないから」
「つまり?」
「つまり、あなたが『私は幽霊』なんて言っても信じないよってこと。だって私はあなたが幽霊である、なんて実感できていないもの」
「なるほど」
「そういえばあなたの名前は?」
「名前は確か...真昼です」
「そう、私は真宵。よろしく」
「よろしくお願いします」
私は手を出して握手をしようとした。彼女も私に倣って手を出した。でも、握手をしようとしたところで私達の手は交わらず、すり抜けてしまう。そういえば真昼ちゃんは幽霊なんだった。
「ねえ、真昼ちゃんって私以外の人から見えたりしないの?」
「見えない、みたいです。だから真宵さんが私の初めての人です」
その言葉を聞いて、警察を呼ばなくて良かった、と思った。だって、呼んでも警察官には見えないから、私の見間違いか、最悪、精神がちょっとあれな人間というレッテルを貼られる落ちになるのが容易に想像できた。
「どうしてほっとしてるんです?」
「真昼ちゃんが良い子だったから。それによく見ると可愛いし」
「そうですか? ありがとうございます」
真昼ちゃんは少し赤くなった。かわいい。
でも、なんで私は幽霊と話しているんだろう、と思った。幽霊なんて、私が来世でエビフライになるくらいあり得ない存在、なのに。そんな美少女と話している。
「ねえ、真昼ちゃんは────」
友達なんていなくて、人とも必要最低限しか話さない、外にも出ない、バイトもしない、ただ、ぼんやりと休みを消費し続けている。そんな長い休みに私は誰とも喋ってなくて、会話に飢えていた。だからこんな奇跡が起こったんだ。そう信じることにした。
幽霊と女の子 つくる @tsukuru
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