第4話 青年と異なる世界

 長い夢だ。

 これは夢だと青年は確信していた。人が猫になる訳がない。

 そして、この町は似てはいるが、青年が知っている町ではなかった。

 昼寝から目覚め、買い物に出かけた少女に付いて行ったが、道行く人は誰一人、幼い少女に見向きもしなかった。

 こんな子が一人で歩いていたら、たくさんの人が声をかけ、少女の助けになろうとするだろう。

 青年が知っている方の町の人々は皆、わずらわしいほどお節介焼きなのだ。

 そして、青年はそんな町を嫌っていた。

 町中全員顔見知りで、一人になんてなれやしない。

 だから、この町は似ているけど違う。

 少女は誰にも声をかけられることなく、次々と買い物をこなしていった。

 ちゃんと、お金の計算も自分でしているらしい。


「あら、いつもえらいねぇ。でも次来る時は猫ちゃんには外で待っててもらってね」


 やはり、ここは違う。

 いつもの小さなスーパーのおばさんだ。かなり若いが、青年には分かった。

 誰にでも長話をするし、小さな子が一人で買い物に来たら、お店の中でしばらく遊ばせたり、車で送ってくれたりするほどの世話焼きなのに。


「ぼんさんぼんさん。今日はね、お料理がんばるのです」


 そんな冷たい町の中で暮らしているのに、少女の笑顔は明るかった。

 漢字だらけの料理の本を、一所懸命にめくっていた。

 猫ではあるけれど、文字は読める。出来れば少女の助けになりたかったが、ニャーしかいえない口は、それを許してはくれなかった。

 現実のこの町には、こんなに健気な子はいなかったはずだ。一度でも見たことがあれば、必ず覚えているだろう。

 ああ、夢から覚めたくない。青年は切実にそう思ってしまう。

 自分に迫ってくる現実が嫌だからではなく、この少女が心配でたまらなかった。

 青年がいなくなってしまったら、この子はまた孤独に耐え抜かなくてはならない。

 ぶーねこも、毎日は来てくれないのだろう。

 分かっている。

 この世界は所詮、青年自身が見ている夢だということくらい。

 でも、この子はしっかりとそこに存在していた。猫になった青年を抱きしめつつ、料理の本をじっとみていた。


「お料理を始めます」


 青年は心配になり、食器棚の上に登って少女を見守った。

 台所の踏み台に立った少女は、イワシを手でさばき、小さなフルーツナイフで野菜をストンストンと、切っていた。

 青年が見とれてしまうほど、見事な手つきだった。

 包丁の持ち方も正しく、持っていない方の手はちゃんと猫の手で野菜を支えて、確実に固い野菜を切っていく。

 でも、心配は心配だった。なのに、青年は眠気に勝てなくなっていた。


「ぼんさんねちゃったのー?」


 青年は寝てはいなかったが、立っていられなかった。

困ったことに、猫はたくさん寝なくてはいけないらしい。


「こっち来たらだめだからね」


 少女はそう言ってから、ふすまをしっかり閉じてしまった。

 何をしているいのだろう。

 青年は気になったが、猫の自分にふすまを開けることはできなかった。


「今日はお母さんと夜ごはんだからいっぱい作るの」


 そうか。

 それは気合がはいるだろう。

 一人で一生懸命料理をするのは、きっと母親の気をひきたいからだろうと、青年は思った。

 ああ、こんな小さな子が一人で包丁も火も扱っているなんて。

 青年は、やはり安心できなかった。


「がんばるよー」


 この様子なら、大丈夫だろう。

 青年は眠気に負け、目を閉じてしまった。

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