第2話 青年と夢の世界

「あれは、わしが猫になりたての頃じゃった」

「ち、ちょっと待って!」


 青年は、猫の話を切らざるを得なかった。

 そもそも、話しを聞くことに同意してすらいない。


「まずは、どうして猫になったかを説明してくださいよ」

「話には順序というものがあるじゃろぅ」

「どう考えても最初に話すことでしょう」


 青年は、猫の小さな額にしわが寄るのを見て取った。


「仕方がないのぅ。猫は何かと都合が良いから猫になりたいと願ったのじゃ。それだけじゃ」

「いや、なんの説明にもなっていませんよ。そもそもあなたは元々何だったのか、ちゃんと教えてくださいよ」


「変な事を気にする奴じゃのぅ。わしは猫じゃ。猫として生活しておる」


 青年の混迷が深まった。


「だから、猫になれば都合良いと思った時は何だったのかと」

「さぁのぅ。願う何かじゃった。それはええから、話を聞け」


 青年はもう、話を聞くよりなかった。

 猫は青年に目を向けたまま、尻尾を小さく動かした。


「むか~し昔のその昔……というのは冗談での、ちょぼっと昔の話だ。さぁ、行こう」

「え?」


 青年は、何かに引き込まれていくような感覚を覚えた。


「うわ、うわ……!」


「いちいちうるさいのぅ。もう着いたぞ」


「な、なんだ? 体が温かいし、地面が、近い?」

「語るのも面倒じゃから連れてきた」


 青年は言葉を失った。

 先ほどまでコンクリートに座っていたはずなのに、地面は土になっていた。

 分水路の横を走る県道がなかった。その横に立っているはずの家もない。

 先程は日陰だったのに、今は日の光がよく当たる。それもそのはず、両岸の県道を繋いでいたはずの橋も無くなっていた。


 この景色に、青年は見覚えがあった。

 そしてやはり、自分は壊れてしまったと、青年は思い直さずにはいられなかった。

 自分の妄想が、過去と思われる世界をここまで忠実に再現してしまうとは。


「青年、お前は壊れておらぬ。壊れちょるのはこの世界じゃ。いや、壊れようとしているというべきかの。さて、付いて来い」


 でっぷりとした体型なのに、猫は軽快に土手を登って行った。

 仕方なく、青年も見様見真似で付いて行った。


「こ、ここはいつの時代なんですか?」


「あん? 猫にお前たちの時間の考えは分からぬよ」


 青年は悟った。やはり、これは夢に過ぎない。

 四足歩行は簡単に受け入れることができた。猫の考え方が出来てしまっているのか、あそこへ行きたいと思うだけで、極端に斜めな土手であろうと、垂直な壁であろうと、簡単に乗り越えられてしまう。


「それで、猫にならなくてはならない昔話ってなんですか?」

「これがまさに昔話ではないか。昔には変わらぬじゃろ」


 青年は何か言ってやりたかったが、言葉が見つからなかった。


「ああ、ここじゃ」

「ここ?」


 古い漁師町は、全く同じような横板貼りの家並みだが、青年は全ての家を知っているつもりだった。

 だが、猫が指し示した家には見覚えはなかった。


「ほれ、そこから入るぞ」


 でっぷりした猫が、少しだけ開いている窓から滑り込んだ。その体でよく格子の隙間に入れるものだと、青年は感心してしまった。

 不用心な家だとは思わない。この町に泥棒なんて居やしないからだ。


「ひ、人がいるのに入っていいんですか?」

「知らんよ。そのようなこと。猫にかかわりがない」


 入った場所は居間らしく、小さな女の子がおもちゃにまみれて昼寝をしていた。

 五歳くらいだろうか。青年は記憶を掘り起こしてみるが、見覚えがあるような、無いような子だった。


「冷えないように添い寝してやれ」

「いや、家に忍び込んで幼い子と添い寝はちょっと……あ、そうか」


 今の自分は猫だったことを、青年は思い出した。

 小さな毛布を口で引っ張って少女にかけてから、横に寝転がる。


「あれ? ぶーねこさんじゃない子だ」


 起こしてしまったようだ。

 ぶーねことはきっと、青年をここに連れてきた猫のことだろう。


「あなた、お名前は?」


 青年は思わず名前を言おうとしたが、やはり「にゃー」という言葉しか出てこなかった。

 この少女に、自分の言葉は伝わらないようだ。


「お名前はぼんさんね」


 そんな名前を名乗った覚えはなかったが、仕方がない。

 幼い少女は猫になった青年の体を抱きしめて、眼を閉じてしまった。

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