ぶーねこと少し不思議な昔話

アイオイ アクト

第1話 青年と猫

 そうか、僕の心は壊れてしまったのか。

 青年はそう思った。


「春はぁ~~あけぼのぉ~~」


 故郷の町を走る分水路。

 その橋の下には、青年以外人っ子一人いなかった。

 なのに、おっさんの声が響いていた。


「ようよう~~白くぅ~~なりゆくぅ~~山~~際ぁ~~」


 やはり、心の疲れと寒さで頭がおかしくなってしまったのだ。

 分厚いダウンジャケットを着たところで、この町の寒さは防ぎきれない。


「すこぉ~~しぃ~~あかりてぇ~~」


 青年が何度辺りを見回しても、やはり誰もいなかった。

 あまりの恐怖に、青年はその場から動くことが出来なかった。


むらさきぃ~~だちたるぅ~~」


 そう、人っ子一人居ないのだ。

 青年以外に、誰一人として。


 悪夢だ。

 青年は目の前で起きていることを、信じたくなかった。


「雲ぉ~~のぉ~~」


どうして自分ばかり、こんな仕打ちを受けなくてはならないのだろう。

 大学受験には失敗したが、都会の専門学校へなんとか滑り込んだ。

しかし、就職した先では家に帰れない程働かされた。でも、三年は我慢しろと言われたから、三年我慢した。


「細ぉ~~くぅ~~」


 だが、その先にあったのは絶望だった。

 身を粉にして働いた会社は倒産。今まで働いた全てが無駄になってしまった。


「たなびきぃ~~たるぅ~~」


 精も根も尽き果てた青年は、都会から遠く離れた実家へと戻るよりなかった。

 恥ずかしくてたまらなかった。

 都会に夢を抱いてこの町を出たのに、何も出来ないまま戻ってきてしまった。だというのに、この町の人々は優しく青年を出迎え、お節介にも働き口まで用意してくれていた。


「この口ではうたいにくいのぅ」


 ああ、どうして。どうして自分はこんなに不幸なんだ。

 完全に自分は壊れしまったと、青年は自覚した。


「あんさぁ」


 青年はついに妄想に話しかけられてしまった。

 病院へ行かなければ。この精神状態で、病院まで車を運転出来るかは分からないが。


「なじょこんげとこでのめしこいとる」


 しかも、方言がきつい。

 そもそも何故、枕草子の一節を詠んでいたのだ。


「聞こえぬのか? 青年よ、どうしてこんなところでなまけておるのだ」


 まさか、しゃべっているのは、目の前にいるなのだろうか。

 青年は、更に自分の心が壊れていく感覚に囚われた。


「あ、あなたは一体、何なんですか?」


 ついに、青年は妄想に話しかけてしまった。

 妄想からの答えは、青年が思った通りだった。


「どこからどう見ても、猫ではないか」


 見れば分かる。

 人は一人もいないが、青年の目の前には、でっぷり太った猫が座っていた。


「青年よ、昔話でも聞かぬか?」


 もう、おしまいだ。

 青年はただ、己の人生を呪うより無かった。

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