02 異世界旅行のミルフィーユ
薔薇頭の給仕達はたくさんいた。
薔薇の色に統一性はない。
チョッキを着た紳士的な給仕だけでなくスカートの長い昔ながらのメイド服を身に付けた薔薇もいる。
「では、改めてまして」
オーナーが咳払いをする。
オーナーは右手に純銀の、針のようなものを持っていた。
「先程はとても助かりました」
オーナーの手にするそれが
「御礼と言ってはなんですが、よろしければ当店自慢の料理をお召し上がりください」
店の出入り口らしき両開きのドアの真正面ある大きな階段。
踊場から左右に分かれている料理店ではなくお城にありそうな広々とした階段に、豪華な燭台と交互に並べられた古い蓄音機。
燭台も蓄音機も、実物を見たのは初めてだ。
「当店メニューはごじゃいません」
蓄音機の音色に合わせてオーナーは言った。
「ですが、かならず、ぜったいに、お客さまに見合ったお料理を御提供いたします」
想像していた展開とは別物だけど、これもありかもしれない。
「御代も不要です」
「えっ! それってタダってことっすか?」
おれは驚く。
こんな高級そうな店でタダ飯とか……
「その代わりと言ってはなんですが――大切な大切な食材は、お客様に持参でお願いしております」
「へっ?」
我ながら素っ頓狂な声を出したと思う。
まばたきも多く繰り返してしまった。
「持参って……持参ッ!?」
「はい」
「おれ、なんも持ってないんすけど……」
と、言いつつ自分を探る。
おれの服装はここにくる前の、学校帰りのままなので制服だ。ブレザーやズボンのポケットを探したが、あったのはくしゃくしゃになったコンビニのレシートとスマートフォンだけ。飴やガムすらない。
「えーっと……」
ちらりとオーナーを窺う。
斜めに花冠をする猫の被り物は表情に変化がない。
それでも、なんとなく彼はニコニコしている気がした。多分、その予想は当たっている。
うーん……どうするか。
食材と言われても、おれはなにも持っていない。
背負っていたリュックはなくなっていて、本当にこの身ひとつだ。スマートフォンがあっただけ有り難いけど。
色々と考え――ふと、ほぼ癖に近い形でスマートフォンを操作しているのに気が付いた。
「あ……」
急激に申し訳なさと、こんな時にすら呑気にスマートフォンを弄ってしまっている恥ずかしさに襲われ、一瞬頭が白くなる。
「ッ……じゃ、じゃあこのネタ! おれが書いた異世界転移の小説、料理してください!」
半ばパニック。
自分で言うのもあれだが、思春期の男子学生の恥ずかしいスイッチは意外と変な場所にある。
そしてそれがオンになると有り得ないことを口走ってしまったり、する。
口走っ…………た。
口走って、しまった。
顔が、熱くなる。
熱いを通り越して痛い。
やらかした。うわあ、やらかした!
いくら不思議な人だか猫だか、オーナーだか料理長だかな相手とはいえ、これは流石にやらかした。
「その、あ……あの……あー……」
もう一度トラックに轢かれたいと切実に願いつつ、オーナーに掲げてしまったスマートフォンを握る手をこっそりとおろそうとして。
「かしこまりました」
「はへっ?」
しっかりとしたオーナーの返答に、おれは俯かせていた潤む瞳を持ち上げた。
「では、こちらを食材として差し出していただきます。メニューについてなにかご希望はごじゃいますか? お肉。お魚。お野菜。もちろん、軽いおつまみでもデザートでも。辛いもの。酸っぱいもの。苦いもの。甘いもの。お好みがごじゃいましたら仰ってください」
さらさらと歌うように語るオーナー。
おれは咄嗟に「デ、デザート!」と、いつもなら格好付けていて自分からは主張しない食への本音を零していた。
訂正する隙もなく「お任せください」とオーナーは意気込んだ。
銀の指揮棒を構える。
間近で凝視すると楽譜のような細かな模様が描かれていて、指揮棒ではなく魔法の杖を連想させた。
それでなにをするんだろう?
「失礼いたします」
オーナーは細い細い指揮棒の先でおれの書いた異世界転移の小説が表示されているスマートフォンの画面に軽く触れた。
「真剣に綴られた歯応えの良い物語には、出会いを祝福する赤い糸にも勝る深紅の苺を栞代わりに挟みましょう」
オーナーが語る。
まっ平らの固い液晶画面に波紋が広がった――次の瞬間。
振り上げられた指揮棒に、文章が釣られた。
本当にその通り。
軽やかに指揮棒が持ち上げられ、連動して小さな液晶画面からしゅるりと薄い紙切れが数枚飛び出してくる。
いや、紙切れじゃない。
空間に長方形の黒枠が浮かび、その中にたくさんの文字が同じようにして浮遊している。
「すげえ……」
その内容は改めてすべて確認するまでもなく、おれが書いた話。
おれの書いていた小説が、スマートフォンの中から虚空へと出現した。
まるで、まさに、魔法陣みたいだ!
「異世界に憧れる強い気持ちはアクセント」
オーナーの言葉がもう呪文にしか聞こえない。
「ほろ苦いチョコレートにして軌跡のように描きます」
目の前で、文章達が調理されていく。
銀の指揮棒が踊るのに合わせ、文章が舞い、とろけ、圧縮し、輝き、煌めき、芳醇で、濃厚な姿に調理されていく。
「空想を味わう時だけは現実など忘れ、異世界に足を踏み入れても良いと思いますよ」
いつの間にかオーナーが持っていた左手の皿へ、それは静かに降り立った。
「異世界転移でも転生でもありませんが、そうですね」
ごくり、と喉が鳴る。
「異世界旅行のミルフィーユ、とでも名付けましょうか」
音もなく、優しく眼前に置かれた皿に鎮座するのは可愛いミルフィーユ。
「異世界のようなお味を御賞味ください」
段になったパイ生地は、長方形ではなくて円形だった。
おれの小説に出てきた魔王の娘が幽閉されていた塔みたいにどっしりとしている。
生地と生地の隙間にはクリームと薄切りにされた苺がふわっと挟まって、てっぺんには艶のある苺が薔薇に見立てて美しく切られてる。
アクセントか、ブルーベリーとミントと一緒に飾られている。
チョコレートソースは鉄格子のように細く丁寧にかけられていて「すっげえ……」
単純だが、本当にそれしか言葉がでなくなった。
「どうぞ」
「へいっ!」
見入っていたところに声をかけられ、本日一番の奇声というか板前のような返事をあげてしまった。
状況が状況とはいえ、今日は変な声を出してばかりだ。
「あ、ありがとうございます!」
逃げるようにおれはスマートフォンをテーブルに置いた。
いつの間にか皿の横に並んでいたフォークを掴もうとして────手が止まった。
「…………これは、その……」
おれは、格式高い食事のマナーなんて知らない。
オーナーは猫だし、給仕も薔薇だけど、雰囲気的にここはしっかりした方がいいんじゃないか?
背筋を嫌なものが流れていく。
「丸いミルフィーユは倒し辛いにごじゃいますね。でもアタクシ、可愛いデザインが好きにごじゃいます。まるっとかじりついてくださいませ」
「えっ? まるっと……齧る!?」
笑っているのだろう、オーナーは肩を揺らす。
「ここはしがない猫が経営する料理店。貴方さまのお言葉をお借りすれば、異世界料理店でごじゃいます」
指揮棒を猫じゃらしのように好き勝手に振り回す。
「数多の方々がやってくる当店に、決められたマナーはごじゃいません」
階段に並ぶ蓄音機から様々な音楽が流れてきた。
おれが理解できる言語の歌。
まったく分からない言葉。
歌かも怪しい奇妙な音。
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