02 幻想料理店

 「ヤ、ヤクトミのお仕事は水溜まりでお皿を釣ることですた。これじゃあ……これじゃあ……お皿は釣れません!」


 ヤクトミが嘆いた瞬間、如雨露じょうろがお皿を釣りました。


「チュ?」


 釣れた真っ白な平皿はまだ騒いでいるティーセット達の上に落下しそうになりましたが、ケーキスタンドがうまく平皿をキャッチします。流石はケーキスタンドですね。

 白い平皿の上にはクリーマーが目を回していました。シュガーポットが飛び付きます。他のティーセット達もケーキスタンドの周りをクルクルと浮かび回って嬉しそうです。


「白いお皿ー!」


 しかし一等嬉しそうなのはヤクトミでした。


「釣れました! 釣れましたー!」


 ヤクトミはピョンピョンと飛び跳ねます。その姿は鼠ではなく兎のよう。

 月に届きそうなほど飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて飛び跳ねて「あ」と、飛び跳ねてるのをやめました。


「おやつ……」


 ヤクトミは思い出したのです。仕事中に食べるように言われていたおやつは、こうして仕事が終わってしまっては食べられません。

 ヤクトミはおやつがまだ食べたいのです。嘘をついてしまおうかと考えて、すぐに頭を横に振りました。「ヂュ……」振りすぎて眩暈を感じ、金平糖がクルクルと目の前を舞います。


「だ、駄目です!」


 ヤクトミは自分のほっぺたを叩きました。パチン! と景気の良い音にティーセット達が驚きます。


「オーナーが待ってます! お仕事が終わったらお店に戻るんです!」


 ヤクトミは如雨露を拾い上げました。

 如雨露がヤクトミのマシュマロのようなほっぺたを心配します。けれどもヤクトミのほっぺたは少し赤くなっているだけで、もちもちと美味しそうなままでした。ひび割れても腐ってもいません。

 如雨露は安心して如雨露から銀の薔薇ばらへと変わりました。


「右見て左見て、安全第一で帰るんですよ!」


 ヤクトミは銀の薔薇をエプロンの右胸につけるとケーキスタンドから白いお皿を掴み上げました。

 それを合図にしてティーセット達は跡形もなく消え失せます。『じャ自分モ退場』とガラクタラジオも爆発してガラクタ以上に粉々になりました。


「お店に帰るまでがっお仕事です!」


 皿を大事に抱え、ヤクトミは走り出しました。

 鼠であるヤクトミはどんな隙間もくぐり抜けられるので、立ち塞がる木々をするりと通り抜けられるのです。炎の髪とたっぷりのフリルを揺らしてヤクトミは走ります。

 ヤクトミの足は風の乗れるくらいとても速いので、あっという間にお店へと戻ってこられました。


「今日は扉だけなんですね」


 ヤクトミは呟きます。

 お店がある場所に建っていたのはお店ではなくお店の扉だけでした。

 いばらが絡まった巨大な扉はヤクトミが仔鼠だから大きく感じられるのではありません。元よりとっても大きいのです。それは豆の木の上に住む七人の巨人は勿論、ヤクトミが想像もできない化け物さえくぐることが可能なほどの大扉でした。

 そんな巨大な扉をヤクトミは微塵も開かず、通り抜けました。


「ただいまでーす!」


 ヤクトミの声は広い店内に響き渡ります。

 お城の舞踏会会場と紛う広々とした円形の店内には純白のドレスで着飾る貴婦人の佇まいで一本足テーブル達が並んでいました。皆、髪飾りの代わりに薔薇が一輪挿された花瓶を乗せています。

 テーブルのお相手は、同じく上品な仕立ての椅子。細かな薔薇と茨の模様が彫られた肘置きまでついた座り心地の良さそうな椅子です。

 天井にはいくつものシャンデリアが吊るされています。周りを硝子金魚が優雅に泳ぎ回り、光を反射させて店内を隅々まで明るく照らします。

 壁にはアイロン型の窓が規則正しく整列し、見える景色はそれぞれが異なっていました。

 青空。夕暮れ。夜の闇。砂漠に深海。古代の香る森の中――ひとつひとつがまったく別の空間と繋がっているのです。

 それは、このお店が様々な世界線に干渉していることを現している証拠でもありました。

 どんなものも調理するここは【幻想げんそう料理店りょうりてん】と呼ばれています。


「お帰りなさい」


 店内の奥にはそれこそお姫様が現れそうな大階段があって広い踊場から左右に分かれて二階へと続いています。二階と言っても不思議なことに階段は途中で切れていて、その先には重いカーテンがかかっていますが。


「お疲れ様にごじゃいます」


 ヤクトミへと穏やかな声をかけたのはここ幻想料理店のオーナーでした。

 斜めに薔薇の花冠をつけた猫の被り物に黒の礼装。手袋と靴だけは真っ白で、背筋はぴしりと美しく伸ばされています。

 右手には純銀の指揮棒タクトが握られ、その立ち振る舞いは料理店のオーナーよりは指揮者のようでしたが、確かに彼は指揮者でもあるのでその佇まいは間違いではありません。


「ただいまです!」

「はい。五体満足でなにより」


 燭台しょくだいとラッパの付いた蓄音機ちくおんきが交互に整列している正面の大階段の中腹にいる彼は声だけでヤクトミに微笑みました。

 ヤクトミはチョロチョロと鼠のすばしっこさを駆使して一本足テーブルの間を縫います。すぐにオーナーのいる階段の前までヤクトミは辿り着きました。


「お皿! 釣れますた! 真っ白です!」


 ヤクトミはがお皿を両手で掲げます。

 次の瞬間、ワアッ! と店内が震えました。先輩であるメイド服やチョッキを着た薔薇頭の給仕達が一斉に拍手をし、テーブルや椅子も飛び跳ねます。

 燭台に灯る炎もその身を大きく激しくし、色合いを赤青黄色と様々な輝きに変色させて喜びます。蓄音機達はラッパから濁流のように歓喜の音色を奏でました。


「流石はヤクトミ。素晴らしいですね!」


 オーナーの被り物の顔はピクリとも変わりませんが、ヤクトミはオーナーが嬉しそうに笑っていると知っています。

 その証拠にオーナーの声は店の誰よりも弾んでいて、右手に持つ指揮棒も犬の尻尾を真似て上機嫌に振られていました。

 ヤクトミはエッヘン! と誇らしげに胸を張りました。一流の画家に肖像画を描かせている英雄よりも堂々たる態度です。


「これでお客様も満足してくださいますでしょう」


 オーナーは声だけで微笑みます。

 まったくもってその通りです。ヤクトミはとても頑張りましたから、満足しないわけがありませんね。

 メイド服を着た薔薇頭の女性的な給仕が清楚な動きでヤクトミの側までくると両手で丁寧にスカートを整えながら膝を折りました。


「はいです!」


 ヤクトミは元気良く薔薇給仕に皿を手渡します。

 真っ白な手袋に包まれた両手で薔薇給仕はそれを静かに受け取りました。口のない薔薇はお喋りはできませんが、柔和な雰囲気で褒めてくれていると分かります。なにより薔薇給仕は右手でお皿を胸に抱き、ヤクトミの頭を撫でてくれました。

 ヤクトミはほっぺたが落ちそうなほど笑顔です。マシュマロほっぺが焼きマシュマロほっぺになりそうですね。

 薔薇給仕は立ち上がると左手でチョイとスカートを摘み上げ、綺麗な一礼を披露してから下がりました。


「ところで……」

「はい?」

「おやつは如何でした?」

「おいしかったです!」

「それは良かった」


 コツリコッツリ。靴底を歌わせながらオーナーは階段を降ります。が、不意に立ち止まり「しっ」と口元に指揮棒を当てながら足音に一言。それからまたオーナーは階段を降ります。

 もう足音は一切聞こえません。

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