幻想料理店

彁はるこ

幻想料理店 〜黄昏主食曲〜

01 水溜りのお皿釣り

 今日のヤクトミのお仕事は水溜まりから皿を釣ることでした。

 今日、と言っても時間の存在しないこの森には昨日も今日も明日もなく、朝も昼も夜もなく、ずっとずっと夕方です。

 だけれど今日のヤクトミのお仕事は皿釣りでした。


「チュッチュッチュー。チュッチュッチュー。チューリップーはあー、ネズミのチュー!」


 自作の曲を歌うヤクトミは水溜まりの前で皿が釣れるのを待ちます。

 和をモチーフにしたフリルのあしらわれたワンピースにエプロン。耳のように見える大きな銀の薔薇ばらがふたつついたホワイトブリム。

 その格好は給仕ですが、実用性よりもデザイン性を重視した愛らしいものでした。そんな派手な衣服よりも目立つのは、スカートの下からひょろりと顔を覗かせている長い尻尾です。

 小さな身体に見合わない長い長い尻尾の先端では紅蓮の炎が春の太陽よりも眩く灯っています。火鼠にとって己の炎は自慢の逸品です。


「おやつはチューリップー! チューリップーのおーっ宝石蜜漬け! ですっ!」


 自慢の炎を揺らしながらヤクトミは上機嫌に歌います。後半はもはやリズムが失われていましたが、上機嫌なのは変わりません。


やつがれが食べてる間もサボったらダメですよ」


 水溜まりの前に置いた銀の如雨露じょうろをヤクトミは叩きました。

 繊細な薔薇の細工が施された飾るための骨董品と言った方が納得ができる作りの美しい如雨露の腹を二度叩くと、如雨露は紐の巻き付けられた長い首の先から水を零して返事をします。

 ヤクトミの如雨露はしっかりとお返事をする良い子なのです。


「いいですか! 真っ白なお皿ですよ? 赤も青も黄色も駄目です。模様付きなんてもっとだめ! 真っ白なお皿を釣るんです」


 ヤクトミは自分の空想の中で働く厳しい教師の真似をして、人差し指を立てながら胸を張って威張りました。学校に通ったことのないヤクトミの中では教師とは厳しくて常に威張っているイメージなのです。


「間違ったら……えっと、塩を入れるんですよ!」


 と、ヤクトミは精一杯に如雨露を脅します。

 すると如雨露は震え始めました。

 ブルブル。ブルブル。如雨露は怯えているのです。

 塩なんて入れられたらしょっぱくてたまったものではありませんからね。悲しいと、如雨露はヤクトミの言葉に恐怖しました。


「チュ!」


 ヤクトミは葡萄ぶどうよりも瑞々しくて美味しそうな紫の瞳を丸くして「スープスプーン一杯!」と声を荒らげます。

 如雨露はまだ震えています。


「ティースプーン一杯!」


 如雨露はまだ震えています。


「ティースプーン半分!」


 如雨露はまだ震えています。


「一摘み!」


 如雨露はまだ震えています。


「入れたふり!」


 如雨露の震えがなくなりました。

 ヤクトミはほっと胸を撫で下ろします。それからこほんと咳払いをひとつ。


 「今日中にしっかり釣らないと塩を入れたふりするんですよ!」


 と、改めてヤクトミは如雨露を脅しました。

 如雨露は敬礼でもするようにその艶のある身体を夕陽に輝かせ、黙って釣りを再開します。

 実際には如雨露はとっくにその首に糸を括り付け、ずっとずっと釣りをしていたのですけどね。それは時間に換算するのならば二十六時間ほどでしょうか。

 一日は基本的には二十四時間と言われています。

 王様と兎がそう決めましたからね。

 大変。二時間も過ぎています。

 しかしヤクトミは気にしません。

 なぜなら時間を気にするのは兎の仕事であり、鼠であるヤクトミには時間はたくさんあります。

 なにより、この黄昏の森には冒頭でも述べた通り、常に今日しかないのです。

 どれだけ時間を無駄遣いしてもずっとずっといま。

 なら今日が終わらなければ今日中に今日の仕事が終わらないということはおきないのです。そもそも無駄遣いをする時間すらないでしょう。

 だから時間にすれば二十六時間経っていようが、時間のないここではそれは一分とも一秒とも大差ないのです。

 ただただヤクトミはのんびりとゆったりと水溜まりの側にある切り株に座り込み、持ってきたガラクタのラジオを聞きながらおやつを堪能するだけでした。


「チュッチューチューリップーのーキーラキラー!」


 歌いながら靴の踵を切り株の表面に三度当てます。

 踵のリズムに合わせてヤクトミの周りにティーポットとティーカップとソーサーが現れました。


「チューリップーのー宝石漬っけっはーあーああー……チュ?」


 ヤクトミは自分の周りをぷかぷかと浮遊するそれらを確認して首を傾げました。

 踵をもう一回切り株にぶつけます。今度はティースプーンが現れました。

 もう一回同じことをします。今度は銀のティーキャンディーが現れます。中には蒼い月光と子守歌がブレンドされた安眠を呼ぶ茶葉が保存されています。飲む時に内緒話が得意なレモンを一切れ入れるのがヤクトミのオススメです。

 さらにもう一回。お次はケーキスタンドが現れました。二段のケーキスタンドにはなにも乗っていません。


「な、なんでですか!」


 ヤクトミは頬を膨らませます。何度踵を鳴らしても、チューリップの砂糖漬けは出てきません。なぜでしょうか?

 ガラクタラジオが答えました。


『なーニ言ッてんの。さっキ食ベちャッたでしョー?』

「チュ?」


 ラジオから響くノイズ混じりの笑い声。ヤクトミは初めて深海にやってきた金魚のような顔をしました。


「そうでしたっけ?」

『そーそー。ここにきてスグにゼーンブ』

「うーん……ううーん……」


 ヤクトミは腕を組み、小さな頭を右に左に振りました。ガラクタだったら頭が取れてしまうほどに振ります。

 しばらく唸ってからなにやらお口をモゴモゴし、雷に打たれた時よりも激しく身体を飛び上げました。


「お、お口の中が甘い……!」


 ヤクトミは叫びます。どうやらお口の中に漂う甘さの余韻から推測するに、ガラクタラジオから聞こえる声が言うことは本当のようです。だってガラクタラジオが嘘をつく理由はありませんからね。

 ガラクタラジオから『ナハハハハッ!』と音割れした呵々大笑が黄昏の森に響き渡ります。


「こうなったら……オーナーにおかわりをもらってくるんです!」


 ヤクトミは右手を握り締めて決めました。


『オ仕事、終ワッてないのにいーのかな?』

「そうですよ。まだ仕事は終わってないです。オーナーはお仕事中に食べなさいと言ったんです。だからお仕事が終わってないなら、まだおやつは食べるべきですよ」


 ヤクトミは腰に手を当て、胸を張りながらラジオに言いました。

 まるで、そんなことも分からないの? と、年下の子に威張るお姉さんの立ち振る舞いです。ヤクトミはたくさんいる火鼠の中の末っ子でした。なので、密かにお姉さんに憧れているのです。


「次のおやつはブラックホールパイをお願いするんでーす!」


 ヤクトミは切り株の上に立つと赤い空へと拳を突き上げました。その拳は浮遊していたクリーマーにぶつかってしまいました。クリーマーと同じ薔薇のデザインがあしらわれたシュガーポットは飛んでいった相棒を慌てて追いますが、クリーマーは水溜まりに落ちてしまいました。

 シュガーポットが大慌てで水溜まりに飛び込もうとして、スプーンやフォークにバターナイフ、ティーキャンディーや砂時計に総出で止められます。砂糖が水に触れたら溶けてしまいますからね。


「チュウー!」


 白く染まった水溜まりを見てヤクトミは叫びます。


「水溜まりがミルク溜まりになってしまいますた! これじゃあ水溜まりじゃないです!」


 切り株から飛び降りヤクトミは水溜まり――いいえ、ミルク溜まりの前で膝をつくとミルク溜まりを覗き込みガクリと肩を落としました。

 真っ白なミルク溜まりには自分の姿すら映りません。

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