恋する成長期の味方は天丼
01 恋するホモサピエンス
どんなものでも調理する。
ここは【
肉に魚に野菜に果物。食べられるものは当たり前。
猛毒、無機物、同種族、夢や記憶や思い出などなど。
安易に食べられない危険なものや、形の存在しないものまで、なんでもかんでも。なにもかも。
頼めば必ず調理してくれる、まさに幻想的な料理店。
しかも、御代は不要だと。
でもね。
けれども。
その代わり。
大切な大切な食材は、必ず持参でお願いします。
* * *
あたしは肺の中の空気を一気に吐き出した。
「今日も元気なホモサピエンス!
重そうな両開きの扉は綿菓子よりもふんわりと開く。
そして――――
「いらっしゃいませ」
嗅覚を甘やかしてくれる穏やかな声が微かな甘い香りとともに流れてくる。
「お邪魔します!」
あたしは胸に抱くそれを一際強く握り締め、手招きされるように店内へと大股で足を踏み入れた。
一瞬も止まらず、花嫁を連想させる美しさで凛と佇む純白のテーブルクロスをまとった一本足テーブル達の間を進んで行く。
目指すは最奥。
そこにあるのはお姫様が降りてきそうな大階段。静謐な燭台と懐古的なラッパの付いた蓄音機が交互に並び、踊場からは左右に大きく分かれている。
「お弁当のテイクアウトでごじゃいますか?」
この料理店のオーナー兼料理長は、定位置である大階段の中腹辺りに直立したまま声だけで笑った。
花冠を乗せた猫の被り物に表情はない。
けれど、それこそ春風とともに花を吐き出すような柔和な声はいつも優しく微笑んでくれている。
「今日は違うんです」
あたしは首を横に振った。
オーナーは興味深そうに右手に持つ
あの純銀の指揮棒は十三柱いる王様の中でも上位存在である【猫王】から直々に承ったものらしい。
オーナー本人……いや、本猫の口から聞いたわけではなくて、噂話だから真相は不明だけれど。
それでも、あの指揮棒がオーナーの大切な物であるのは事実。
オーナーの大切なものを見ながら、あたしはあたしの大切なものをきつく握り締めた。
深く息を吐き、大切なそれをオーナーに差し出す。
「今日は! 今日はこれを調理してもらいたいんです!」
「銀紙……で、ごじゃいますか?」
「はい! ――ぉわっとお!」
あたしは丁寧に四つ折にしてある銀紙を掲げたまま頷いた。強く頷きすぎて首が取れそうになって、使えない両手の代わりに慌てて春夏秋冬二十四時間三百六十五日、誕生日でも、なんでもない日でも着用の愛用マフラーを操作して首元を締める。
マフラーは的確にあたしの首を締めて、ちょっと強すぎて逆に少し頭がズレた。
「あの御方の大鋏の切れ味は強烈にごじゃいますからね」
指揮棒を小脇に持ち、オーナーがあたしの取れかけた頭の位置をきれいに直してくれた。
「ありがとうございます」
「どういたしまして」
「そう言えば、オーナーはあの【黄金の薔薇の女王】と親しいんですよね?」
「ええ! 大変可愛がっていただいております!」
オーナーはシャボン玉が弾ける明るい声音で笑った。
こんなに優しいオーナーがあの悪の根元たる女王と仲が良いなんて、猫がタマネギにチョコレートをかけて食べるくらいに信じられない。
あの首狂いが首を刎ねること以外ができるともまず思えないし……ああっ!
だから! だからオーナーの頭は猫頭なのね!
オーナーもあたしと同じで恐るべき黄金の薔薇の暴君が使役する【
あたしは
頭部を人質に【黄金の薔薇の女王】から苛められているのかも!
「オーナー!」
「はい?」
「動物愛護団体に訴えましょう」
「何のお話にごじゃいますか?」
「もしくは首刈り被害者の会へ!」
「アタクシは件の『首無し事件』には関わってごじゃいませんよ?」
「あれは実に悲劇的な事件でした! あのソバカス迷探偵のせいであたしはああ」ああああっ!
いま思い出しても腹立たしい!
あたしは両手の代わりにマフラーの裾で頭を押さえながら活火山よりも激しい憤怒の過去に地団駄を踏む。
制服のスカートがひらひらと捲れるけど、オーナーにパンツを見られても恥ずかしくはない。
だってオーナーは魚住さんと同じ紳士さんだから。
「美味しいものを食べて気分転換いたしましょう」
「はい! ……あれ? そう言えば何の話をしてたんでしたっけ?」
「本日の食材はこの銀紙が良い、と」
「あっ! そうでした!」
「テイクアウトもなしでごじゃいますか?」
「今日は食べて行きまーす!」
あたしはオーナーに敬礼する。
「ではお好きなお席へ」
促されて、あたしは銀紙を御守り以上に大事に大事に胸元で握り締めながら店内を進んだ。
座る席は決まってる。
たくさんあるアイロン型の窓。全部が全部まったく別々の風景を映し出しているそこの――海底に面している窓際の席。
「本当にその席がお気に入りでごじゃいますね」
「大好きです!」
だって、海は彼の故郷だから。
薔薇の頭を持つ給仕さんが椅子を引いてくれて、あたしはお金持ちになった気分で腰掛ける。
ふわふわのお洒落な椅子は座り心地抜群で、お尻が溶けちゃいそう。
窓から反射した水面の透明な影がゆらゆらと真っ白なテーブルクロスを撫でる。
そこにお冷を置いて、薔薇頭の給仕さんは一礼をして去って行った。
「ご要望はごじゃいますか?」
オーナーの子守歌に匹敵する心地良い声音の問い掛けに「ガッツリ食べたいです!」と、あたしはガッツポーズで答えた。
花も団子もあたしは重要視する乙女。
大切な人を追いかけるためにも、恋に体力は必要なのよ!
べ、別になにも企んでなんかいないから!
「では」
オーナーの左手に、いつの間にやら出現していた銀のトレー。あたしはそこに銀紙を乗せる。
右手に持つ指揮棒の先を銀紙の上で一度回し、それからオーナーは指揮棒を真上に振り上げた。
銀紙が立ち上がり、四つ折になっていた身体を広げる。
銀紙に、亀裂が走った。
味も最高だけど、オーナーが調理をする様子もあたしは大好き。
「秋空の下に広がる大好きな方との思い出は、忘れぬように大事に包み込んでカラッと香ばしく揚げておきましょう。秘密の恋心を纏う輝かしい銀紙は、表面の黒焦げすら愛おしい。甘辛いタレにして、花嫁になりたい純白の気持ちに絡めます」
砕けた銀紙は輝きながら虚空へと落ちていく。
銀色の美しい雪景色。天使が受胎告知をしにきたかのような神々しさすら感じる瞬く光景。
窓から差し込む海底の光と混ざり合い、まさに【幻想料理店】の名に相応しい幻想的な情景で、あたしの心はほうっと感銘を受けた。
「実りの秋は、乙女の想いも一層大きく育む季節ですね」
テーブルに舞い落ちてくる一際大きな銀の光。流れ星のようなそれが弾けると、あたしの眼前には黒い丼が置かれていた。
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