第6話 立派な人

 真っ暗な中、台所で洗い物をし終わった鉄はおばあちゃんの飲み物やタオル、ティッシュを用意した後、帰る用意をした。


 「じゃあな、ばあさん。またくるぜ! 間違っても死ぬんじゃねぇぜ。死んだら、チェッ、チェッ、チェッてなもんだぜ。へへへ。じゃあな、あばよっ!」


 帰りはなぜか玄関から帰った。

 鍵を閉めて、郵便受けに鍵が落ちる音がした。

 そして鉄の帰る足音が遠くなった。


 おばあさんは少し涙が出てきた。


 あの泥棒は私に色々尽くしてくれた。

 もしかしたら顔を見られたので口止めのつもりで親切にしているのかもしれない。

 だけどそうじゃないのかもしれない。

 それはまだわからないけれど、悪い人間ではないと思う。

 もし口止めのつもりなら、動けないんだしあのまま見殺しにしてしまえば良かったはず。

 あんなに一生懸命に助けてくれたのはやっぱり泥棒の親切心の表れだと思う。

 こんなヒョロヒョロのばあさんなんて、ほっといたって死んでたじゃない。

 生かしておくメリットなんて何もないのに。

 きっとおじいさんがあの泥棒を呼んでくれたんだね……。

 私を守ってくれたんだね、ありがとうね、おじいさん、ありがとう。


 おばあさんは天に向かって両手を合わせた。


 その頃、鉄はなんだか良い気分になっていた。

 昼に空き巣に入った時はあんなに顔色も悪かったばあさんが、ついにしゃべれるまでになった。

 こいつは嬉しい。

 鉄はこんな気持ちの良い夜は久々だった。


 翌朝、朝早くにおばあちゃんのアパートの窓ガラスがカラカラと開いた。

 そこから鉄が顔を覗かせた。


「ばあさん、おい、ばあさん、生きてるか、ばあさんってよ、チェッ、チェッ、チェッ」


 おばあちゃんは目が覚めた。

 昨日の泥棒の声がするのだ。

 その声がするほうに目をむけると鉄が窓ガラスから顔と手をだしておばあちゃんを呼んでいた。


「おう、昨日よかずいぶんいいや。へへっへ。じゃあな、ばあさん、俺っち仕事してくらあ!チェッ、チェッ、チェッとよ、また来るぜ!」


 そういうと泥棒は窓ガラスを閉めて去っていった。

 鉄は泥棒だけど、真面目に仕事もしていた。

 泥棒だけやっていればよさそうなものだが、鉄はそこまで考えない。

 おばあちゃんは可笑しくなってクスッと笑った。

 なんだか久々に笑った気がする。

 鉄が部屋を掃除したせいか、昨日までのジメジメした生活が一変して、すがすがしい気分だ。

 電気もつく。

 ガスもつく。

 部屋も明るくなった。

 それだけでおばあちゃんは生き返ったような気がした。


 その日の夕方、また鉄はやってきて夕食を作りながら部屋を掃除して洗濯までしてくれた。

 鉄は鉄なりにおばあちゃんのことが心配だったのだろう。

 そして朝と夜の鉄の訪問はいつしか習慣になっていった。

 いつしか自然と一緒に晩御飯を囲むようになった。

 おばあちゃんはその晩御飯の時間が何より楽しみになった。

 

 ある晩、鉄は言った。

「ばあちゃん。俺っちな、今日工場でお、班長にチェッ、チェッ、チェッっと誉められたんだぜ! へへへ。班長が言うにゃあよ、『鉄、おめぇは仕事は早くはねぇが、ずいぶん間違いが少ねぇ。みんなも見習わなくっちゃあならねぇよ』って言うんだぜ。チェッ、チェッ、チェッってな。へへへ」

 

 鉄はご飯を口いっぱいに頬張りながら話した。

 おばあちゃんはニコニコ笑って鉄の話をきいていた。


「まぁ、手前味噌な話だがよ、確かに俺っちは仕事は早くはねぇんだが間違いってのが嫌いなんだよ。チェッ、チェッ、チェッだからよ、何度も確認するってぇ寸法よ。えへへ」


 おばあちゃんはおおきくうなずいて鉄の話をきいていた。

 そして言った。


「鉄さんは立派です。間違いありません」


「まぁ、立派なんかじゃねぇけどよ、班長さんがあぁ言ってくれるんだ、俺っちもうひと踏ん張りグーーンと働いてやろうって思ってよ、御馳走様ぁーっと!」


 そういうと鉄は寝そべってしてテレビをつけた。おばあちゃんが食べ終わるのを待っているのだ。

 鉄は食べるペースがゆっくりなおばあちゃんを煽らないように気を配っていた。

 そしておばあちゃんが食べ終わると鉄はお茶を入れてくれる。

 それを二人で飲む。

 他愛もない会話をする。

 おばあちゃんにとっては夢のような楽しい時間だった。


「今日なんか、あの朝太郎の野郎、『こんな大きなカブト虫を捕まえた事がある、鉄、おめぇはどうだ?』って自慢しやがるんだ。チェッ、俺っち、デパートでカブト虫が欲しいなぁっては思ったが捕まえた事はねぇっていうと『なんだカブトのひとつもトッ捕まえたことがねぇのか』っていうんだ。チェッ。『それじゃ、おめぇ男って言えねぇな。今度の夏にでもどこか採りに行くこった』って言うんだぜ。なんだか口惜しかったけど、事実だから仕方ねぇ。俺っち黙って仕事を続けたってわけさ。チェッ、チェッ。あ~ぁ、カブト虫を捕りに行きたいもんだなぁ」


「鉄さんは本当に立派なんですねぇ」


「冗談いっちゃあいけねぇぜ、ばあちゃん。俺っちが立派だって? そりゃあ仕事は真面目にやるのが取り得だけんども、チェッ、立派ってぇのは班長みてぇな人を言うんだぜ。俺っちは班長の部下の三十人のうちの一人ってわけ。チェッ、チェッ、立派でもなんでもねぇわな」


「ホホホ、、ほら、立派」


「ばあちゃんにかかると誰もかしこも立派ってんだからめでてぇや。さぁてとチェッ、チェッ、チェッっと洗い物して帰るか!」


 鉄はそういうとサッと食器を片付けて洗い物をした。

 おばあちゃんのお茶を入れ直し、残りの食器をさっと運んだ。その鉄の姿を見ておばあちゃんはやっぱり立派な子だ、と思った。

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