第5話 声

 おばあちゃんは鉄が食べさせているのが毒ではないことを知り、安心した。確かにりんご味である。

 わざわざりんごを買ってきて食べさせてくれたのかしら……。

 

 泥棒……よね?


 おばあちゃんの体はよほど飢えていたのか小皿一つ分のすりおろしりんごをペロリと食べた。

 食べ終わるとようやく人心地ついた。


「これでよしっと。じゃあ、部屋の掃除でもするかい。チェッ、ばあさん、ちょいとバタバタするがよ、気にするこたぁねぇぜ。あらよっと!」


 鉄は落ち着く間もなく、てきぱきと部屋を片付け始めた。

 衣類を整理し、埃をたたいた。カーテンを開け、台所と風呂場を洗った。

 なんとも手馴れた手際の良さであった。


「つ、つめてぇなぁ。ひぃぃ、チェッ、チェッ、チェッ」


 真冬なのに風呂場掃除までやっている。

 あの泥棒……。

 親切なのか、別な魂胆があるのか……。


 おばあちゃんは鉄の行動が不気味だった。

 そんなおばあちゃんを知ってか知らずか、鉄はテキパキと動いた。

 一通り片付けが終わると、鉄はまた外に飛び出していった。


「いってきます!」


 いってきます、だって。ふふふ。


 おばあちゃんはだんだんと可笑しくなった。

 言葉遣いは荒いが、どうにもこうにも好感がもてる人柄だと思った。

 要領良く動き、労働を厭わない姿がなんとも好ましい好青年だと思い始めてきた。


 泥棒なのに、ね。


 おばあちゃんは可笑しくなって笑ってしまった。


 気づけばもうすぐ日が暮れる。

 電気もつかないので部屋は真っ暗になる。

 さすがに真っ暗の中で泥棒と二人きりは怖い。


「ただいまぁ。チェッ、チェッ、チェッと」


 鉄はまた窓ガラスから帰ってきた。

 出て行くときは玄関から出たのに、入ってくるときはまた窓ガラスなんて。

 大きなビニール袋を二つ部屋において、窓から身をのりだして靴を拾っていた。

 そんなに苦労するなら玄関から入れば良いのに。

 なんとも奇妙な人物だった。


 鉄は大きなビニールを両手で高々と上げながら、満面の笑みで言った。


「あのな、ばあさん。電気もガスも水道も全部払ってきたからよ。明日には全部元通りだ。食料もてんこ盛り買ってきたし。チェッ、チェッ、チェッと。問題なしだぜ。へへへ」


 おばあさんは驚いた。

 泥棒に電気代やガス代を払ってもらうなんて話は聞いたことがない。

 おばあちゃんは感謝すると同時に申し訳ない気持ちになった。

 赤の他人にそこまでされると恐縮であった。

 しかも相手は泥棒である。


「まぁ、親切の押し売りで申し訳ねぇけどさ。気にしないでくれよ。班長がさ、困ったときはお互い様だぞ鉄、って良く言うんだよ。チェッ。だから気にすんなよ、ばあさん。気にしちゃ負けよ、負けたらダメよ、アラヨット、なんつってな、へへへ」


 奇妙な歌で誤魔化してはいるが、泥棒は泥棒なりにおばあちゃんに心配をかけないように気を配っているのだ。

 おばあちゃんはその微笑ましい好意に今は甘えようと思った。


 鉄は暗闇の中であぁだこうだ言いながら、またリンゴの皮をむいていた。


「電気ってのはなくなってはじめて偉大さがわかるって寸法なんだな、チェッ。俺っちが今用意してるのはまたすりりんごなんだけど、大丈夫かい? 食えるかい? まぁ今食えなくても後で食えばいいよ。チェッ、チェッってな」


 台所からスリ、スリ、スリとリンゴをする音が聞こえる。

 テンポよくリンゴがすられている。もうすでに台所は真っ暗だ。

 しばらくすると鉄が小さい皿に白い液状の『すりおろしりんご』とペットボトルに入ったお茶を持ってきた。


 おばあちゃんは体を起こしてもらって、両手で皿を受け取った。そして自らすりおろしりんごを食べた。

 鉄はペットボトルの蓋を開け、飲みやすいようにストローを入れてくれた。

 その時、


「ありがとう……」


 とおばあちゃんが声を発した。

 おばあちゃんは鉄の看護に対し、力を込めてお礼を言ったのだ。

 今はこれが精一杯の感謝の気持ちだった。


 鉄は驚いた。

 驚きがみるみる喜びの表情に変った。


「こ、こ、声がでた! こ、声がでたじゃねぇか、ウヒヒ! チェッ、チェッ、チェッってなもんだぜ! いやぁ~よかったな、ばあさんよ! なんでぇ、なんでぇ、俺っち、嬉しくなっちまったぜ! イヤッホーい! よかったなぁ、よかったな、ばあさん!」


 鉄は浮かれおばあちゃんの周りをグルグルまわった。

 その鉄に向かって、おばあちゃんは両手をあわせて何度も何度も拝むのであった。

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