第178話 一歩(1)

まだ仕事始め前なので、斯波と萌香も夕方5時ごろ帰宅した。


二人とも黙っていつつも夏希のことが心配だったので、無言で自分たちの部屋に入る前に隣のインターホンを押してみた。


二度ほど押したとき、カギがガチャっと開く音がして、夏希がのそっと顔を出した。


「加瀬さん・・」


二人はホッとした。


「ご・・ご心配をおかけしまして。あの、斯波さんにも・・」


夏希は深々と頭を下げた。


「そんなのは、いいけど、」


斯波はそう言うが、夏希はなかなか頭が上げられない。


「加瀬さん?」


萌香が彼女の顔を覗き込もうとすると、彼女の肩が小刻みに震えていた。


「どうしたの・・?」


優しくそう声をかけると、


「う・・」


夏希はたまっていたものがバクハツしたように萌香に抱きついてわんわんと泣き始めた。


「どうしたのよ・・」


萌香は戸惑って、斯波のほうを見た。


斯波は彼女に目配せをして、二人で夏希の部屋に入るように促した。




萌香は夏希が話し始めるのを待っていた。


ひとしきり泣いたあと、夏希はティッシュで顔を拭いて、


「あ~~、もう・・どんだけ泣いたんだろ・・」


自分で呆れ始めた。


「ちゃんと高宮さんのこと見送れたの?」


ゆっくりと話を始めた。


「はい…今度は乗っちゃダメだよって・・」


その言葉を口にした時、また大きな目からボロボロっと涙が零れ落ちた。


萌香も


言いようのない切ない気持ちになる。


「そう・・言われたらもう涙が止まらなくて。 新幹線に乗ってもずうっと泣いちゃって。 隣に座ってるおじさんに変な顔されちゃって・・」


と、ちょっとだけ笑った。


「すっごい・・好きになっちゃったんや、」


萌香はポツリと夏希にそう言った。


夏希は黙って頷いた。


「斯波さんはね。高宮さんとつきあってもあなたが傷つくって、そればっかりやけど。 でも、私はそうは思わない。 いろいろ難しいことはあるだろうけど。 恋をすることはいいことやんか。 幸せなことやん。」


その言葉を聞いて、夏希はまた萌香に抱きついて泣いてしまった。


「す、好きになった人は・・今までにも・・いましたけど。 でもこんな気持ち、初めて。  高宮さんのこと・・思うといちいち・・切ないんです。」


「ウン・・」


大きな彼女がかわいい子供のように思える。


そう


恋なんてな。


いちいち


切ないねん・・。




少し落ち着いた夏希は


「高宮さん、何も、しなかったんです・・」


涙を拭きながら言った。


「え・・」



「い、一緒の・・ベッドで寝たり・・したんですけど。 でも、何も、なかったんです・・」



へえ・・


彼女の告白に萌香は意外な気がして驚いた。



「あ、あたしの反応があまりにコドモすぎたんだと思うけど。 なんっかどーしていいかわかんなくて・・」


髪をかき上げながら夏希は恥ずかしそうにうつむいた。


かわいいなあ。


萌香は夏希を愛しそうに見つめた。


私には


ありえなかった気持ち。


このコは


本当に真っ直ぐに素直に育ってきたんやなあ。



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