第120話 2時間半(1)

夏希は真尋が本当にピアノ以外に何もできないことを知る。


「・・なんだよなァ。 これ、また斯波に返しておいてくれる?」


志藤は書類を夏希に手渡そうと、手だけ彼女に伸ばしたが。


なかなかそれを受け取られず、


「おい!」


顔を上げると、夏希は窓の外を見てボーっとしていた。


「聞いてんのか、おい!」


その声でハッとして。


「す、すみません、すみません、」


慌てて両手で卒業証書授与のようにファイルを受け取った。



志藤はニヤっと笑って、


「なに考えてんねん、」


と言うと、



「は? あ…ヤキイモのことを・・」




彼のことを考えてしまいました・・・・


そんな答えをちょっとは期待しちゃったのに。


ヤキイモ??



「ゆ、ゆうべ。 帰り道で遭遇したんです。 今季初のヤキイモ屋さんに。」



「はあ・・」


「あっ! と思って追いかけたんですが。 ヤキイモ屋なのに信号変わったらすんごい勢いで行っちゃって! 全力疾走したのに追いつきませんでした。 悔しくて、」



本気で悔しがる彼女に


志藤は力が抜けた。


「ヤキイモか。」


彼女の背後の


がらんとした高宮のデスクに目をやった。


「連絡とか取ってるの?」


「はい??」


黙って後ろの席を指差した。


夏希はその意味がわかって、


「えっ・・あ~。 まあ、メールとか電話とか・・」


急にモジモジしはじめた。



「ふーん。 ただの友達になっちゃったナ~、」


志藤はからかった。



「友達・・ですよ。」


夏希はうつむいて小さな声で言った。


「あいつ、どないしてんのやろ。」


「けっこう大変みたいです。 まだ片付かない仕事もあるらしいですから。 お休みもなく出勤をしているみたいで。 いつも帰るのが11時過ぎくらいって・・」



「ふーん。 そういや、支社長秘書の子って確かまだ入社二年目で。 前に出張行った時会ったけど、ちっさくてめっちゃかわいい子やったなあ。」


志藤がわざと思わせぶりなことを言うと、夏希はギクっという文字が頭の上に浮かぶくらい動揺し、


「そ、そうですか・・」


声まで裏返ってしまった。


志藤は笑いを堪え、


「会いに行かないの、」


と言ってみた。



「は?」


「新幹線でも2時間半もありゃ楽に行かれるやん、」



「なっ、そっ、そんなんじゃないですから…」


夏希はそこにあった観葉植物の葉っぱをちぎりそうなくらいこねくり回していた。



「あ、そうなの?」


おもしろいのでさらに聞くと、


「2時間半かけて会いに行く関係でもないので。」


気の毒なほど真っ赤になっている彼女を見て


そうとう


意識してんなァ。


高宮がここにいた時よりも、逆に彼女の気持ちがどんどん駆け上っていっていることが手に取るようにわかった。


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