第35話 転機(7)

引越しも無事に済んで、夏希はすっかり足も良くなりまた元気に仕事を始めた。


「加瀬さん、応接室にコーヒーふたつ、」

玉田に言われて、


「あ、はいっ!」

やりかけの仕事をそのままにして夏希は給湯室へ飛んで行った。



「あ~、なんか時間かかっちゃった…」

独り言をいいながら戻ってくると、


「あれっ?」


デスクの上の様子が微妙に変わっている。

ファイルも書きかけの書類も全部伏せられている。


「・・・??」


不思議に思っていると、隣でデスクワークをしていた八神が


「広げっぱなしで行くなよ…」


ボソっと言った。


「え?」


「お客さんとかも来るんだから。 席を外す時はちゃんとファイルとか書類を伏せて、」

と彼女を見る。


「あ。は、はい。 すみません、」

夏希は言われてみないと気づかないこともあるんだなあと感心してしまった。


「斯波さんに見つかったら、またすっげー怒られるぞ、」

と言う八神に、


「あたしが斯波さんに怒られないようにってしてくれたんですかぁ。」


夏希は感動してしまった。


「はあ?」


「八神さんって優しいんですね~。 ほんっと、」


ウンウンとうなずきながら仕事を再開する夏希に、


「別に! おれはおまえが怒られようが、ぜんっぜん問題ナシだから! 事業部のこと考えて言ってんだろ??」


ものすごい勢いで否定してしまった。


「あ!」

夏希はいきなり八神を見て叫んだ。


「は?」


「そう言えば。今朝から気になってたんですけど!」


「なんだよ、」


「八神さん。ここらへんに1本、白髪が…」


夏希は彼の頭を指差す。


「へ??」


慌ててそのあたりをおさえた。


「も、気になっちゃって気になっちゃって。 抜いてもいいですか?」

とんでもないことを言い出す彼女に、


「なんでおまえに白髪を抜かれなくちゃいけないんだっ!!」


何をいきなり…


突飛な彼女にタジタジだった。


しかし


夏希は全く話を聞いておらず、


「失礼します!」

いきなりガバっと立ち上がり、その白髪をひっぱって抜いてしまった。


「いっ!!」


「あ~~、きれいに真っ白。 気になってたんですよお。 これで、落ち着いた。」

と、また仕事にかかり始めた。


「なに? なんなの?? なんで人の白髪をいきなり抜く??」

八神のうろたえように周囲は大笑いだった。




「志藤さん、事業部の先月の業績。 出てませんよ。」

高宮はいつものように物怖じしないいい様で志藤の前に行く。


「あ・・そか。 アカン、忘れてた。 えっと。 栗栖~!」

ファイルを探しながら萌香を呼ぶ。


「栗栖さんは今いませんよ。 事業部じゃないですか? たまにはひとりでなんとかされたらどうですか?」


ほんまに

ようカッチーンとくることを平気で言うなあ。

このガキ。


志藤はそう思いながらも、

「ほんまにおまえみたいにストイックに仕事できたらええねんけどな、」

精一杯の皮肉で返す。


「それは、どうも。 ああ、あと、社長から明日の会議の議長は専務にしていただくそうなので、早いとこ議案書、ぼくに見せてもらうように伝えていただけますか?」


「なんでおれが。 しかも、なんでおまえに見せるの?」


「ぼく、これから出かけるので。 社長からぼくがまとめるように言われていますから。 じゃ、」


ヒラやろ!

おまえは!


ようわからんけど

なんでいちいちあんなにエラそうなん?


志藤は沸騰しそうな気持ちをぐっと堪えた。

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