第8話

『橘先生、御待たせしま――ッっッ!?!!!?』


 くぐもった声がした方へ振り返ると、そこには何だか蜂蜜を採集する人みたいな格好にガスマスク装備の、お医者さん達が言ってた病原体設定に忠実な誰かが、医療ドラマとかで見るような銀色のイロイロを乗せた台車を押していた。


 一応補足すると、その誰かは足音や呼吸音――マスク越しだけど――を聞いたり、体格や物腰を観察したり、防護服から微かに漏れ出る体臭を嗅ぎ取ったりした限りだと、何とかさんと同系統の学者インテリ系なオッサンっぽい。

 やっぱり簡単にこr――って、そんな事より、


「おお、ナイスタイミング」


 そう、この誰かが入室したおかげで御誂え向きに出入口が口を開けていたんだ。

 しかも、何故かその誰かは振り返った僕の顔をガン見しながら出入口の敷居を跨いで突っ立っているので、遠隔操作で動かしているらしい扉を閉じられる事も無さそう。シメシメ。


 と言うワケで、ガスマスクのゴーグル部分に歯を剥き出して楽しそうに笑う自分の虚像を見ながら、僕はインテリな誰かさんと自分の位置を入れ替えるようにして華麗に退室。

 そうして、僕の目に飛び込んできたのは――


「――白ッ!? どんだけ徹底してんの!?」


 閉じ込められていた部屋の中と同じ、潔癖が過ぎてシミどころか陰翳すら駆逐された純白の空間だった。


 嗅覚や聴覚だけじゃなくて視覚もよろしくなってる所為で、その色だけで目が眩みそう……

 ココをデザインしたヤツはきっと年中手のヒビ、あかぎれに悩まされている病的な潔癖症に違いない。ってか、もういい加減目が痛い。


 でもまあ、今はいいや。

 取り敢えず、入れ替わりで部屋に押し込んだ誰かが台車ごとブッ倒れて情けない悲鳴を上げながら悶絶している隙に、明滅し掛ける視界を封じて聴覚に集中すべく瞼を閉じる。


 すると、ついさっき口に出しちゃったマヌケ声が全方向から僅かな時差を伴って反響し、僕の脳内で視覚情報さながらの3Dマップを形成した。

 ソレによると――まあ、部屋に居た時の反響音からもある程度の予想はしていたけれど、僕が立っているこの場所は単なる通路みたいだ。

 ただ、この一本道の通路には扉はあっても窓があるようには


 もしかして地中なのかな……? 或いは水中……?

 いや、水音皆無だから多分前者だね。


 で、その真っ白地下通路だけど、だと左右共々何百メートルも伸びている上に扉らしい長方形の窪みが無数にあるバカみたいなトコだ。

 一応、地下の閉鎖空間ってコトで音が全体に反響し易いから、少なくとも今居る階層の全体像は何となく把握できてるけど、どうもこの階層に居る人間は僕とさっきの二人だけみたい……上の方は何人かなんて数えたくなくなるくらいに居るみたいだけど。


 まあ、元々手元の情報が少な過ぎるんだから、取り敢えず捜索開始♪

 まずは、嗅覚頼りの警察犬ごっこからかな。

 スンスンと周囲へ視線を巡らせながら鼻で空気を吸い込むと、通路の左側から何とかさんやガスマスクが纏っているのと同じ薬品と人間の臭いが混ざった残り香を複数発見――いや、発嗅? したから、それらの中で一番強いヤツを辿って行く事に。


 ん? 部屋の方から僕以外の血の臭いがする……

 あ~あ、そう言えば台車にはハサミとかガラス瓶とかの床に落ちたら刺さりそうな物が満載だったっけ。ご愁傷さま~。

 ま、それぐらいどうって事も無いから、多分大丈夫だよネ☆

 そもそも、刃渡り五センチも無い刃物がただ刺さったくらいで死ぬほど人間は軟じゃないし。

 それに、すぐ傍にお医者さんもいるワケだし。


「辰巳君!! お風呂なら此方で用意しますからすぐ部屋に戻って下さい!! 不用意に出歩いてはいけません!!」


 なんか、そのお医者さんがキンキンと響く不快な高い声で喚いてるけど、魔法どころか魔力の運用ですらも頭痛の引き鉄になりかねない現状、安易にのは難しいし、だからって折角の機会を棒に振るのも馬鹿馬鹿しい。

 ならば、僕に選べる道は一つ、脱兎の如く走り去るのみ!


 ってなわけで、目印代わりの残り香を辿るように全速ダッシュを敢行。

 それによって、高音の叫び声を置き去りにできましたとさ。


「さ~てさて、ココかな~? っと」


 真っ直ぐ臭いを辿った僕が足を止めたのは、通路の端、一本道の行き止まりに刻まれた長方形の溝の前だった。

 スンスン……うん、間違いない。恐らくココが何とかさん達の出てきた場所だ。

 自分でもふざけてると思うトンデモ嗅覚で得た確信に一人で頷いていると、その溝の奥から何かゴウンゴウンと重々しい重機の駆動音みたいなものが聞こえてきた。

 う~ん、建物内にあってデカい音がする大きな機械と言えば……


「……あぁあ! エレベーターか! そりゃそうだ、ココ地下っぽいし」


 遅まきながら気付けた所で、ふと考える――むむ、もしかして、このエレベーターに乗れば外に出られるのではなかろーか? と。


 そもそも、ココに居続けなきゃならない義務があるワケじゃないし、残ったとしてもココに居る人達から知りたい情報が聞き出せるとは限らない……

 なら、外の空気を吸いに行くのも悪くないハズだ。


 いや――だったらいっその事、僕が最も寛げる場所に――家族みんなと暮らしたマンションに帰っちゃえば良いじゃんか。


 ……そうだよ! 何で思い付かなかったんだ!

 折角、苦労して魔界|(笑)なんてバカげた場所から戻ったんだから、さっさと我が家に帰って――



『もう誰も居ないのに?』



 ゾッと、雷に打たれたような衝撃に襲われた。


「――ッ、ハァ……ック……う、ウァ――、か……ま、た――ハッ……な、何が……」


 そう、もう『毎度お馴染みの~』ってのが枕詞になりそうな頻度の、例のあの頭痛が再発したんだよ。

 ってか、ホント何なのコレ?

 いや、さっきも思ったけどさ、な~んか魔法や魔力だけがトリガーってワケでもなさそうだけど、具体的に何が原因なのかまったく見当つかな――



『もう、父さんも母さんも、兄さんだって居ないのに……ドコにオマエの居場所がある?』



「――――ギッ!! ッグ……あ? ――ッつ、は……ァ、ッ、ク、フ……う、うるさ、い……」


 なんか、《友情・努力・勝利》なマンガでオナジミの禅問答的自問自答タイムが始まり掛けてるけど、実際に自分の身で体験すると悪ふざけにしか思えないね。

 しかも、他人からはどう見えてんのかな~とか余計な事考えると、どうにも萎えてきちゃうよ、まったく……


 とまあ、もう幾分の慣れが生まれつつあるワタクシこと黒宮辰巳ですが、実の所その余裕は脳内だけでありまして、身体の方は頭を押さえながら無様にブッ倒れてるワケですな。

 あ~、もう、なしてこうもピンポイントで見動きを封じてくるのか。責任者に問い詰めねばなるま――



『オマエは、もう……黒宮辰巳ではなくなっているクセに』



「……ゥ、ック……、カ――――ハ、ァ……うる、さい……黙――、れ……ぐッ、き――」


 ……何なんださっきから。グダグダと不愉快な文言ばっか並べおって。

 いい加減にしないと、幾ら温厚な辰巳君でも怒りますよ?


 大体、が黒宮辰巳じゃないって、一体何の冗談だ?

 オレは黒宮辰巳以外の何者でもねえだろうが。兄の景寅カゲトラに続いて黒宮ジュンと黒宮ミオの間に産まれた、ただ一人のだ。

 そんな事、今更確認するまでも――



『――あの地獄を生き抜く為と言い訳して、人が人として持つべき倫理や道徳を蔑ろにして、剰え人の姿である事にも背を向けたテメエのドコが人間だってんだ? この化物がッ!!!!!!』



「――――だ、ま…………れッ!!!!!!」


 思った以上に消耗していた体力を全燃焼する勢いで叫んだ途端、の視界はまたまたブラックアウトしてしまった。


――なんか、この後の展開が読めてきた気がする(もう、この話自体が過去編みたいなものなんだから、数字が欲しけりゃ下らない回想なんて挟まなければいいのに……)。

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