6.元気になるおまじない
雲の少ない秋晴れの空から降り注ぐ直射日光は、当たると少し熱い。
帽子を持ってくればよかったかな。上着も。日焼け止めとか塗ってないのにな。
病院の屋上、入院患者が外出せずとも外気に触れられる庭園空間。細い木々と、手入れが行き届いているとはいえないのびのびした草花、植木鉢が並ぶ屋上のベンチの一つに陣取り、手元の携帯端末をいじる。
わたしに連絡するような相手はいない。携帯はただの暇潰し道具だ。
屋上までやって来たのは、今日はいい天気だったから、ちょっと日光に当たろうかって気になっただけ。
画面に指を滑らせて、ダウンロードした日記アプリを開く。
『
セヴィリーのことや、月が三つ浮かぶ空のことや、薄い紫の川のことや、その底にあった光り輝く水晶のような小石のことや…憶えている限りのことを記した日記。わたしは暇なときに復唱するように何度も日記に目を通している。
それでも、夢は夢。
見ている間はあんなに鮮明で、感情が動いた、心が動いた、ということを憶えているのに、こうして反復しなければ夢の世界での記憶は薄れてしまう。
どうしてなんだ、と思ってネットで『夢』について調べてみたけど、現代科学でもハッキリとした答えは出ていないらしい…というのがいくつもページを繰ってわかったことだ。
起きたらすぐメモする、忘れないよう心がけることでしか、わたしはあちらの世界のことをこちらに留めておけない。
(…セヴィリーは、今は眠っているのかな)
額に宝石を埋め込んだきれいな顔をぼんやりと思い出す。…本当にぼんやりしている。彼、または彼女はいつもやわらかく笑っている、そんなイメージしかできない。着ている服のデザインとか、ぼやけた笑顔の細部とか、細かいところは思い出せない。
毎日、夢の中で会っているのにな。頭の中から夢の記憶を取り出してプリントアウトできたらいいのに。
何度も日記に目を通して、確かに体験したことを手探りで思い出していると、一つ、書き忘れていたことを思い出した。忘れないうちに急いで入力する。
『次の夢であの世界を冒険する』
今日はあの街の外を歩く約束をしていたんだ。確か。
ええと、何か希望があったら考えておくよ、みたいなことを言われたから、冒険がしたい、って言ったんだっけ…。話の内容はあまり思い出せないけど、地球じゃできないことをすれば、わたしは自然と元気になるから。みたいなことを伝えた、ような。だからセヴィリーは今日の夢でわたしを冒険に連れ出してくれる…かもしれない。
冒険。あの世界での冒険ってなんだろう。街の外に出て…何があるかな。なんでもありそうだ。不思議な生き物、不思議な自然。予想がつかない。だからこそ、ワクワクする。
わたしは日記を読み返しながら、今夜するだろう冒険について心を巡らせた。
そして、夢を見る時間がやってきた。
§ ✜ ≠ ✠ ❀
パチ、と目を開けて覚醒するなり立ち上がったわたしに、向かい側で翡翠色のベンチに腰かけてわたしが目を覚ますのを待っていたセヴィリーが驚いたように目を瞬かせた。「おはようコトリ」「おはよう!」元気よく返事をしてからはっとして口をつぐむ。今のはなんかわたしらしくなかった。気がする。紛れもなくわたしが返事をしたんだけど。
今日のセヴィリーは、長い髪をお団子にしてまとめていて、服装もいつものゾロリと長い衣装ではなく、動くのに邪魔でなさそうなピッタリとしたものを着ていた。
ということは。ということは、だ。
「今日、冒険、行ける…?」
訊ねたわたしに、セヴィリーは緩く頷いた。「
(やった。やった! 冒険! 異世界での冒険! 子供は誰でも一度は夢見ることが、叶えられる…!)
感極まってフルフルしているわたしにセヴィリーは小首を傾げた。「ええと、コトリ。冒険といっても、危険なことはできないから、妖精を探すとか、そういうものになるけれど。いいかな?」ぶんぶん頭を縦に振って肯定。妖精を探す。とっても異世界っぽくて素敵だ。文句なんてない。
すっかりその気のわたしにセヴィリーはいつものように笑うと、長い手を差し伸べた。いつもならちょっと遠慮気味なのに、わたしは勢いよくその手を掴んで握りしめる。やっぱり冷たい温度の手。
今は一分一秒が惜しい。
その場で足踏みして「行こう、すぐ行こう。ね」そう言うわたしはきっと子供みたいに顔を輝かせていたんだろう。セヴィリーは満足そうに一つ頷くと、わたしを先導して歩き出す。
この世界の空は薄い緑色をしていて、相変わらず月は三つ浮かんでいるし、川は薄い紫色で、小石は水晶。円形で無駄のない建物は翡翠でできた樹木に支えられるようにして空中にあって、いつも空にはうっすらと星々が見える。
ここは、いつ来ても神秘的な、夢の世界だ。
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