蓮見琴里の場合
1.救いよ、在れ
わたしの名前は
ことりって名前は小鳥を連想してちょっとかわいいと思うかもしれないけど、わたしは平均的な身長、体重、顔をした、どこにでもいるだろう女子だ。
むしろ、平均よりもお腹や太腿はちょっとぽっちゃりしていて、そんな自分が嫌だったけど、最近はお腹も太腿もスッとしていい感じ。と、鏡を見る度に思っていたり。
それもそのはず。食べるものを食べなければ太るはずもないのだ。
(……味がしない…)
朝とも昼とも言えない10時過ぎに起き出したわたし。
とりあえず、ご飯を食べなければ。そう思ってパンにバターを塗ってトーストにしてみたけど、半分も口に入らなかった。
食べかけのトーストを置いて、じっと見つめて、その味を思い出そうとしてみる。
…香ばしいにおいはする。だからトースターを開けたときはおいしそうと思えた。だけど口に入れたら味がしない。そのことが気持ち悪い。食べていることが気持ち悪い。だから食べられない。その繰り返しで、最近また少し痩せた。
諦めて食べかけのトーストをトースターにしまい、部屋に戻ってパソコンをするかゲームをするか…と考えて、気紛れにリビングのテレビをつけた。ポチポチとボタンを押してチャンネルを変えていくも、面白そうな番組はやっていない。ドラマの再放送、バラエティ番組の再放送、国会中継…。
ソファにあぐらをかいて、音を垂れ流していくテレビをぼんやりと眺め続ける。
テレビの内容は少しも頭に入ってこない。音も、何を言ってるのかよくわからない。
はぁ、と息を吐いてテレビを消し、ソファで横になった。
(いっそやめてしまえたらいいのに…息をするように死ねたらいいのに……)
そんなことを思いながらウトウトしていると、車のエンジン音が聞こえてきた。どこかへ出かけていた親が帰ってきたんだろう。
わたしは何を言われても石のように動かず言葉を返さないつもりでソファに陣取り続けた。
親にわたしの現状を理解してもらおう、なんて希望を持つことはもうやめた。
家族といっても所詮は他人。血は繋がっているけど心は繋がっていないのだから、家族といえど、正確にわたしのことがわかるわけがない。
わかってもらおうと思ったら、わたしは事細かに、他人に伝わるよう詳細に、わたしの傷を曝け出さなくてはならない。…そんなのはもうごめんだ。傷を負っている心を無防備に晒してさらに傷つくなんて、そんな馬鹿みたいな真似、もうしない。わたしは誰も信じない。信じるもんか。
唇を引き結んで頑なになっていると、慌ただしく玄関を出入りする音。スリッパをパタパタ鳴らしてリビングダイニングに入ってくる足音が続く。「ことりー、いるんでしょ? ことり?」母親の声に片目だけ開ける。母はわたしが二階の自室にいると思っているようだった。
「…ここだけど」
喋ることも億劫で、ぼそっとした声で返事をすると、聞きつけたらしい母がソファまでやってきた。「ことり、病院に行くわよ」母の一声にわたしは素で「はっ?」と返していた。眉間に皺も寄る。
この人はまたわたしを泣かせたいのか?
前に有名だとかいう個人経営のカウンセラーのジジイのところにわたしを無理矢理連れて行って、無理矢理わたしの心の中を吐き出させて、傷を深くしておいて、まだ懲りないの?
怒りさえ感じたとき、母が慌てたように顔の前に手を振った。「ことり、聞いて、今度は大丈夫よ。お父さんときちんと話を聞いてきたからね」「………」そんな言葉で信用できるはずがない。父も母もわたしの中で信頼するに足る人間ではなくなっている。他人よりは心を許せる、せいぜいその程度の人達に格下げされた。わたしはもう誰も信じない。
わたしの視線を受けて母は鞄からパンフレットを取り出した。「ほら、話題のコレ。ことり、こういうの興味あるでしょ?」差し出されたパンフレットを指でつまんで持ち上げる。
(『
仕方なくパンフレットをめくって目を通してみる。
それで思い出した。夢の栞って、ネットをしているとよく見かける単語だ。
今はまだ『治療』としてしか許されていない『異星人との交流ができる』とかいう、ウワサの。
わたしはパンフレットから母へと視線を上げた。母はこちらを窺うような目線だ。
「どう? ことり、こういうのなら試してもいいかなって思う?」
「………」
その目は、わたしを泣かせることになった、あのカウンセラーとの失敗を考えてのことだろうか。
あのときはわたしの同意もなく無理矢理だった。黙りこくるわたしからなんとか話を聞き出そうとして、わたしの心を力でこじ開けて、余計に傷つけた。謝られても許す気はないけど、その失敗を繰り返さない気はあるわけだ。
わたしはもう一度パンフレットを眺めた。『カウンセラー』として写真つきで紹介されている異星人は、まるでエルフみたいにきれいな人ばかり。これが本当に異星人なのかはたまた最新のAIなのか、ネットでは議論が白熱している。
久しく動いていなかった心に『興味』という単語がぽっかりと浮かんだ。
興味。うん、興味がある。
誰でも体験できるわけではない夢の栞。夢のように美しい世界で夢の住人と対話ができる。AIでも異星人でも、人間以外と話ができる。そのことにはすごく興味がある。
息が詰まるこの世界以外に行けるなら、なんだっていい。
「興味、ある」
ぼそっとこぼしたわたしに母が両手を合わせた。「じゃあね、入院の準備をしましょ。着替えがあればいいって先生言ってたから。治療はね、専用のカプセルで眠っている間って決まってるんだって」「へぇ」億劫ながらもソファから起き上がり、歯ブラシやタオル、日用品その他を勝手に準備を始めた母を置いて二階の自室へ。
着替え。いつも着たきり雀だったから、そんなに数はないけど。
適当な鞄に着替えを詰めながら、パンフレットを掲げる。
美しいカウンセラーが並び、ゲームのような幻想的な風景の中で心を癒せると謳っているパンフレットをそっと抱きしめて、思う。
救いになれ、と。救いよ、在れ、と。
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