第2話 木々に潜む猛き牙、君に名を与えよう


唸り声。

唾液に濁る白い牙。

鋭く輝く爪に、それを容易く外敵に届かせる強靭な筋肉。

草木に紛れる縞模様は、強靭さとは裏腹のしなやかさだった。

果たしてお前は、なんだったか――



――――


 火を人々が思い出して、2か月。

 かの事件の事は皆が忘れているのか、覚えているのか、あるいはそもそも事件になっていたのかどうか。いまひとつわからないが、とりあえず変わったことが一つ。

「先生!今日は変な壺を見つけてきましたよ!」

「それはカキシマの家で見た磁器だ、詳しくは知らんが持ってくるな」

 変な奴が我が事務所に入り浸るようになった。

 ヒゴ・エンネ。

 先だっての事件を持ち込んだ張本人、今はよくある押しかけ弟子。あの件のあと静かに帰ったと思ったら、次の土曜日に「僕を弟子にしてください!」の一言とともに出現。どうやら部活が休みの日を待っていたようで、それ以来おおよそ三日に一度はこうして何かを持ってくる。

 今日で通算22回目のチャレンジだが、またしても私の知っているものだった。というか、あの磁器はカキシマ……この町から出ている政治家だ……の家の玄関にあったはずだ。あの小僧、どうやって盗んできた……

「うーん、今日もダメですか。ほんとに先生の知らないものなんてこの世にあるんですか?」

「町にあるものしか持ってきていないのにこの世を語るな。そもそも君が持ってくるものの5回に1回は壺だろう。私は壺の鑑定人ではない」

 22回目の今日と合わせて既に5回、壺を持ち込まれている。持ってくる度に違う壺なのはそれはそれで驚嘆すべきことだ。この町の住人がどうやら壺が好きらしいという事実はたしかに知らなかった。だが、どうでもよい。

「いい加減弟子入りは諦めてくれるか。私は弟子はとっていないし、この国に必要とも思っていない」

「奇遇ですね!僕は弟子になりたいし、この国に必要だと思っています!」

 笑顔で返すヒゴ少年に、溜息が漏れる。弟子というのは、反骨精神でなるものだっただろうか……?弟子になりたいという割に、ヒゴ君は全くもって反抗的だ。その態度で私から何を得られるつもりなのか。

「まったく。待っていろ、茶を淹れてやる」

 キッチンに湯を沸かしにいく。気の利かないことに、応接間に茶を淹れるコントロールパネルは玄関にしかない。


「そういえば先生、あの噂はご存じですか?」

 応接間で茶を飲みながらいつものように世間話が始まる。いつものように、というのが既にしゃくに障るが、黙って男二人で茶を飲むのも悪い絵面だ。

「もう少し具体的に指定してくれ。流行りの噂など、一つや二つではない」

 私の収集している噂は少なくない。出所の7割は隣に住むクチタビという婆さんであることも判明しているが、数だけはある。南の工業地帯に住む恐怖の大魔王やら、山の地下に5千年前の遺跡があるやらという誇大妄想から、花屋の息子が結婚するだの政治家が不倫をしただのといったせせこましいネタまで、彼女の興味は幅広い。

 ごく稀に真実をついた噂が出てくるのが面白いところだが、噂を信じて突っ走る人間はほぼ間違いなく、何かを失う。時には命だ。

「今回は誰が主人公だ。海辺の少女か?学園の才女か?それとも先日見た車椅子の少年か?」

「誰でもないですよ、今回は隣のおばあさんが見たっていう情報です」

 噂の中でも信憑性の低いものが飛んできた。

「クチタビ婆さんか……ヒゴ君、私は彼女の話は7割事実無根だと思っている。それでもその噂を私に伝えるのか?」

「うーん、でも今回は彼女が実際に見たと言っているわけですし。それに、噂は噂ですから。聞いたうえで真偽を判断するのは聞いた人の仕事です」

 たしかにそうだが、虚偽であろう情報を流す側にも問題があるという認識はできないものか。真偽の判断にかかる労力、という観点が欠如している。

「それじゃ、今回の噂をまとめますね」


 曰く、クチタビ婆さんは山へ柴刈りに行ったという。いつの時代の話だと言いたい気持ちをぐっとこらえて先を促す。

「そこで、妙なものを見たんだそうです。宝石みたいにキラキラ光る丸い何か」

「地上でか?たしかにあの山はかつて火山だったという話だが、宝石が落ちているということもないだろう」

「えぇ、僕もそう思います。でも、そもそも問題はそこではないんです」

「ふむ。続けてくれ」

「宝石みたいに、というのは、次の瞬間にはどこかへしまったからなんです。紅葉の中を抜ける風のようだった、と言っていました」

 宝石が、走り去る。それは当然のことながらありえない。婆さんの見間違いと思うのも自由だが、引っかかるところもある。

「動物と考えるのが自然だが、大きさについては何か言っていなかったか?調べたことはないが、あの山にもシカやタヌキくらいはいるだろう」

「そうですね。おばあさんはかなり大きかったと……枝が揺れるほどだと言っていました。タヌキだと少し小さすぎるかもしれません」

 あの辺りの枝は低いが、確かにタヌキでは枝に引っかかるほどの体高も枝を揺らすほどの体重もないだろう。シカならば可能性はあるか。

「それに、これは僕の個人的な感想ですけど。シカだったらおばあさんもシカでしたって言うんじゃないでしょうか」

 それについては噂好きのご婦人というものの生態を理解していないと言いたい。彼女たちは基本的に、より広く話が流布することを目的に話を加工する。シカを見たと言うよりも謎の何かを見たと言う方が世間に伝わるから……ん?待てよ。

「まさか、君はこう言いたいのか」

 ふん、なるほど。いつもとは少し違うパターンだが、ようやく彼の意図が見えた。

「クチタビ婆さんは、を見つけた、と?」

「……はい。ほんとはそれを捕まえて持ってくるのが筋なのでしょうけれど。僕は今回の件、ただの見間違いやデマではなく、おばあさんには名前を付けられないものだったのだと考えています」

 婆さんは本当は宝石のような何かの全体を見ていた。けれど、言葉にしようとするとその全体を示す名前が、仕方なく最も特徴的なパーツについて噂にしている。噂を流す手段としてはいつも通りだが、もしそれで本当に伝えなければならないことが伝えられないならば。

「命名学者の出番、というわけか」

 溜息一つ、ソファにかけていたコートをとって立ち上がる。数か月ぶりのちゃんとした仕事になってくれるか、多少は期待するとしよう。ただ、そこのキラキラとした目で見つめてくる少年は一旦制しておかねばなるまい。

「今回は先に調査をする。君が持ち込んだ“火”の件のときは、調査不足のまま命名と対処をしてしまったからな」

「はい!お供します!」

 ……許可したくないが。まぁ、持ち込み情報ということで仕方あるまい。

「あともう一つお伝えしてなかった情報があるんですけど、正の字がいくつも書かれた呪いの木を見つけたとも言ってました」

「それについては君の方で解決してくれ……」

 そうか。あの辺りの地主はクチタビ婆さんだったか……


「ああ、ああ!トワ先生じゃないか、ご無沙汰だねぇ!元気してたかい!」

「えぇ、息災ですよクチタビさん。尤も、一昨日の朝にはゴミ出しでお会いしていますが」

 クチタビ婆さんは家の前で落ち葉を掃き集めていた。相変わらず陽気な婆さんだ。嫌いではないが、会うと疲れるので避けていたのは間違いない。寒空にふさわしいもこもことした服装にそもそもふくよかな体型で横幅は私の倍はあろう。深く気にしたことはなかったが、そういえばこの婆さんはいつも暇そうに家の前の掃除をしている。旦那さんは何をされているのだろうか。

「こんにちは、おばあさん。その節はどうも」

「おや、昨日の坊や。なんだい、トワ先生と友達だったのかい?もっと活発な子と遊んだ方がいいよ?このおじさん、壺の臭いが染みついてるから」

「あ、あはは……」

 ヒゴ君が一言挨拶をすると、クチタビ婆さんは三言も誤情報を叩きこんでくる。愛想笑いで済ませずそこは悉く否定してほしい。何もかも間違っている。

「今日は二人そろってピクニックにでも行くのかい?山の上の方はそろそろ雪が近いと思うから、町の近くで済ませた方がいいよ?最近はなんだか変な感じだしねぇ」

「変な感じ、とは?」

「坊やには話したけど、最近妙なものを見ちゃってねぇ……」

 向こうの方から山の話題を振ってきてくれた。話したくて仕方ないという様子が透けて見える。ただ、この手合いは「もう聞きました」というと気分を害する。面倒でも、最初から話してもらうしかないか。

 走る宝石、木々を揺らす強い風、深く響く風音。新しい情報に至るまでに同じ単語が4,5回は出て来たが、なんとか情報が増えてきた。

「……その風で木が震えて葉が落ちるほどだったんだけど、そういえば、あの辺りには黒く枯れる植物なんてあったかねぇ」

「黒く……どういうことです?」

「いやね、今思い出すと黒い風だったような気もするのよね。あの辺は赤とか、黄色とかの木ばかりだったはずでしょう?なんで黒いと思ったのかしら」

 火の件から日が浅ければ焦げた枯れ葉の可能性もあったが、あれから2か月だ。やはり走る宝石よりは黒い毛並みの動物と考えた方がいいだろう。ただ、この山でクマが出たという話は、謎の宝石の噂と同レベルに聞いたことがない。情報は増えたが、結局は自分の目で見ないことには判断できない、か。

「暇つぶしに付き合っていただいてありがとうございます。では、そろそろ買い出しに行きますのでこの辺りで失礼」

「そうかい?先生もちゃんと栄養とりなよ、そんなもやしみたいな体して。もやしの方がよほど栄養あるんじゃない?」

 言ってくれるわ。はは、と笑って応対する。

「ご忠告痛み入ります。クチタビさんも、しばらく山登りは控えた方がいいですよ。呪われているらしいので」

 あら、なんで知ってるの?と怪訝な顔をする婆さんを置いて、その場を離れた。一旦町に向かおう。今回は以前より登り始めが遅い。せめて懐中電灯を用意していかなければ。


 町で懐中電灯を購入したあと、少し周辺でクマの噂について聞いて回ったものの、誰からも情報が得られなかった。あとはクチタビ婆さんから聞いたという話ばかりで、情報は増えない。

「そもそも、風音の情報は君から出てこなかったぞ」

「おかしいなぁ、僕に話してくれたときは「何の音も聴こえなかったからねぇ」と言っていたはずなんですが」

 それで仕方なく雑多に話をまとめながら山に入った。中途半端な声真似は笑い所なのか。私の前では比較的真面目だが、学校ではお調子者なのかもしれない。今は山腹、ちょうど前回の半分、町から標高差500mといったところか。この辺りはまだ紅葉真っ盛りといった様子で、実に見栄えがよい。

「本当にそう言っていたか?」

「えぇ、改めて思い出しても間違いなく」

「だとすれば両方なのだ。噂好きは、あったことを言わないことはあっても、なかったことをあえて創作することはない。嘘は露見すれば糾弾されるが、言わなかったことは「そのとき忘れていた」と言えば解決するからな」

 注意深く歩いていく。ここまでの情報から、少なくとも動物、それも肉食獣の類であることは想像がつく。問題は、いったい何の動物なのか、だ。今、私はクマを覚えていた。ならばクチタビ婆さんもクマだと思えばクマだと言えたはずだ。たとえ噂のために詳細を隠すにせよ、クマらしい情報を出していただろう。

「恐らく、もっと別の何かだ。そして、今私はそれを思い出すことができない」

 思い出せる限りの山の動物を思い出しても、該当しそうなものはいない。そもそも山に棲む動物はあまり大型化しないし、肉食でもない。クマとて雑食だが植物寄りだ。だとすると……

「それは、」

「先生!足跡です!」

 見ると、少し離れたところでヒゴ君が手を振っている。小走りで近寄ると確かに足跡があった。大きい。歩幅から見て体長は2mを超えるだろう。

「足跡の枯れ葉はまだ新しい。この分だと、かなり近いんじゃないのか」

 そう言って顔を上げると、点々とついた足跡の向こうに、ひときわ大きな草の凹みがあった。何かが倒れた跡か?いや……血の跡?

「先生、何か変な臭いがしませんか」

 前回もそうだが、においに敏感な少年だ。だが、今回は言われる前に私にもわかった。生々しい……血の匂い。倒れた跡、血の匂い、引きずった跡。行き先の、茂みの陰に――


――そこに、大きながあった。

 宝石のように輝く眼がある。草食獣にはない、金の双眸。丸い瞳は強大な力を示す、特権だ。こちらを見据えて、動かない。

 牙がある。爪がある。それだけでその体が肉を喰うために作られているとわかる。先の血と引きずった跡は、そこで押さえつけているシカのものか。

 体を覆う毛皮には、黒い縞が入っている。クチタビ婆さんの言っていた黒い風とは、これが高速で動くことによる錯覚だった、と。

 ぴったりとこちらに視線を合わせて動かないかと思えば、音もたてずにこちらに体を向ける。なるほど、こちらが食事を邪魔した形になってしまったわけだ。

「GRRRRR……」

 唸り声。深い洞に響くような威嚇音。立ち並ぶ木の数から考えて、距離にして3、40mはある。姿を見せてしまったがゆえに、向こうもすぐには跳びかかってこられないのか。元々は奇襲を得意とする生き物のようだ。

「動くなよ、ヒゴ君。こいつの筋肉から察するに、真っ当な勝負で人はこいつに勝てない。スピードも、パワーもだ」

「はい……」

 逃げるか、戦うか。真っ当に動けば逃げるにせよ追いつかれ、戦うにせよ殺されるだろう。こちらの優位は二人いること、そしてまだ日が落ちていないこと。視認はできる。今はまだ、選択肢がある。

 だが、主導権はなかった。

「s……GRROOAR!!!」

 一呼吸ののち、奴はこちらに牙を剥いて大きく吠えた!最後の威嚇、というよりは宣戦布告!重心がこちらに傾き、脚に力が籠められる!

「ヒゴ君!右へ逃げろ!」

 自分は左へ逃げる。駆け込むそいつのスピードは私の予想を上回らない。そして、二手に分かれてわかった。しなやかに体を曲げて私の方へ向かってくる……狙いは私だ。不意に止まり、懐中電灯を点ける!

「先生!?」

「Gyaah!」

 目くらましが効いた。人と同じ目の構造ならば効くだろうと思ったが、試してみるものだ。

「今のうちに逃げなさい!一緒に逃げるよりは……」

「GRRROOOOAR!!!」

 復帰が早い!とっさに左へ倒れ込んだおかげで一撃は避けられたが、体勢は崩された。さっきから見られるしなやかさ、爪牙の鋭さ、目のつき方……恐らくこいつはの一種なのだろう!

「仕方ない、か……仕方ないな!」

 崩れた体勢のままに腕を上げる。近くにヒゴ君はいるか?できれば、いないでほしいものだ!


 襲い掛かる姿勢のそれを、今度は私がまっすぐに見据える。果たして私の声が聴こえているかは、運次第。

「貴様の名を!定めよう!」

 最後の手段、どうしようもない力。思い出せないがゆえに使える力。

 コトダマ師。

 実のところ、命名学者という政府からもらった名は、まるで的を射ていない。

「貴様は猫!その名は即ち寝る子ゆえに!」

 私の言葉が聴こえたか。“猫”の体が、ぐらついた。

 ――コトダマ師とは、“事騙し”である。

 目の前にあるものがなんであれ、その認識を対象そのものにすら気づかせないまま騙す力。意思なき物体であれば自身に与える暗示であり、対処できるものへと変化させる。相手が意思もつ生物であれば、対象自体も自分がそういうものだと認識し、そのように振る舞うようになる。

 他人の認識を無理やり挿げ替えるほど便利なものではない。誰も知らないものを定義し、そういうものとして世界に認識させる力。「あぁ、そうなんだ」と納得させる力。だからこそ、今回のような忘れた状況には効果的に働いている……

「G,gr,grrr……」

 定義された“猫”は、眠り始める。定義に付加されたダブルミーニングは同時に効果を発揮する。拘束するダブルミーニングをとりやすい名前でよかった。名付けの妥当性が足りなければ、効果はひどく薄くなる。猫の一種だろうという予想は当たっていたようだ。

「……ふぅ」

 時間にして数分程度の攻防だったが、ようやく緊張から解き放たれた。近くの木にもたれかかり、溜息を吐く。

「さて、こいつをどうしたもんか……」


「先生!無事ですか!」

 後方からヒゴ君が駆け寄ってきた。“猫”の唸り声が聞こえなくなり、安全と判断したのだろう。日も落ちたので、懐中電灯をつけている。

「ヒゴ君。今私が対処したものが何か、わかるか?」

「え?いいえ、わかりません。先生が名前、つけてくださったんですよね?教えてください!」

 ……幸いなことに、祝詞は聞こえていなかったようだ。

「ああ……後で教える。それよりも、まず町に連絡してくれるか。知ってはいたが、この山、スマホが使えん」

「あっはい!僕、走って警察に伝えてきます!」

 ヒゴ君は持ち前の脚力で町に向かって駆け出して行った。本当に素直な子だ。彼が警察を連れて戻るまでは、この“猫”を監視しておく必要があるだろう。

 この“猫”には、恐らく本来ならば違う名前がある。“猫”という名をつけたことを私しか知らない間は、こいつはまだ世界にとっては名無しの存在だ。こいつについて書いた文献を私が読み、改めて定義し直せば、こいつは元の名に戻ることができる。文献に記された名前は、私の一言では動かない。

 だが、誰かが一度でも私の名付けを聞いてしまえば、こいつは“猫”だと世界に認識され、そう扱われるようになる。文献は書き換えられ、こいつ自体も“猫”として飼われるようになる。本来あった名前は抹消され、歴史が変わってしまう。本当にこれまで名前がなかったのなら歴史の始まりだが、名前の変更は歴史の変更なのだ。

「ヒゴ君が素直だったのはありがたかったな」

 彼が逃げていなければ、そうやって歴史は変わっていた。誰気づくともなく世界は変革してしまっただろう。

 ……だが、問題は何も解決していない。

「私は、こいつに名前があるだろうと思っている。その上で、名前が思い出せない。忘れている」

 “火”の時もそうだった。あの時はなによりも先に火と言う名を思い出したがゆえに問題なく思い出しができたが、今回は先に猫が出てきてしまった。そもそも、本来の名をつけていたら、私はきっと殺されていただろう。一方で、もしこれが誰かに聞かれていれば、事騙しになっていた。

 問題は二つ。

 なぜ、私たちはこいつの名前を忘れたのか?

 そしてなぜ、こんな“猫”がこの町の森にいるのか?

「前者は、それこそ何か、私の知らない異常な力が働いている……」

 これはもう、どうにもならない。私のコトダマ師としての能力とは逆に、忘れさせる能力があるとでも考えなければ説明がつかない。手がかりは、ない。

「だが後者は簡単だ。何者かが放した、と見るのが自然だろう」

 これほど巨大な生物だ。ここに運んでくるところを誰も見ていないはずはない。少なくとも、最近の船と車の動きを調べれば流通経路が見えるだろう。

 2か月。

 決して短くはない期間で、命名学者の仕事としては異様なものが、二つ。何か妙なことが起きている、という実感が湧いてきた。警察レベルか政治レベルで、きちんとした調査チームを組ませてもらうか。


 ふと、雷鳴のような音が聞こえた。

「雷か?雨の予報はなかったはずだが……」

さっきまで遠雷のような唸り声を耳にしていて今度は姿なき雷鳴とは、ひどく、

「な、に?」

 気付けば、己の胸から夥しい量の血が流れている。

 意識が揺らぐ。目の前に寝る“猫”の仕業では、当然、ない。

 たまらず膝をついた。周りの音が聞こえない。この寒気は、気温の所為ではない。

 意識が、途絶える――

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