雨の音、滝の音、彼女の声

 いわゆる、ゲリラ豪雨だった。

「ああ、ひどい雨だなあ」

 鼓膜を酷く揺らす雨の音に、げんなりとしたため息を吐き出す。真上にある屋根を突き破りそうなほどの勢いで雨が降り注ぐ。

「……あーあ」

 視線を落とす。シャツも、ズボンも、全部濡れてしまった。ポケットの中身も、鞄の中身も無事ではないだろう。そんなことを考えて、前を見る。周囲はまだ薄暗く、厚い雲が通り抜ける気配はない。

「雨、かあ」

 雨の音、小さなため息。それだけが、耳に残る。雨宿りに入った古いバス停の屋根も、雨に撃ち抜かれてしまいそうなほど頼りない。

 木々が揺れている。古いアスファルトが、灰色から黒に染まっている。靴も、ぐっしょりと濡れていた。

 バス停に入ったついでだ、と思い、時刻表を確認した。腕時計を見て、色褪せた紙に記されている時間を確認する。次のバスまで、一時間半。これだから田舎のバスは、と、思いながらバス停の中に設置されている古いベンチに座った。ぎし、と、これまた頼りない音が尻元から聞こえてきた。

 雨は、止みそうにない。

「……ちょうどよかったかな」

 ざあざあ、と、雨の音。

 ざあざあ、と、滝の音。

 つい先ほどまであんなに晴れていたのに。

 思考は、つい数十分前までいた森の中に行っていた。


「彼に、見せたかったの」

 微笑む少女の顔を、忘れられなかった。

 薄暗い森の中に白く光るワンピースは、まるで、花嫁姿のようで。白装束のようで。

「私は、彼が、好きだったから」

 ざあざあ、と、滝の音。

 それでもかき消されなかったのは、彼女の言葉だった。

「彼は、ここでいなくなったの?」

 彼女が振り向こうとした時、その小さな背中を押したのは、自分だった。

 ざあざあ、と、滝の音。

 落ちてゆく彼女の顔は、見えなかった。


 ざあざあ、と、雨の音。

 ベンチの背もたれに重心をかけると、ぎぃ、と不安定な音がした。

「……嫌な音だなあ」

 ざあざあ、と、雨の音。

 それだけが、古臭いバス停の中に響いていた。天井から、諦めた様に水滴がぽつり、ぽつり、と落ちてきた。顔を上げると、天井に空いていた小さな穴から、一滴、頬に水が落ちた。こんな所を修繕する人間もいないんだろうなあ、と、天井をぼんやりと見上げた。


「私は、彼が、好きだったから」

 振り向く白いワンピース。微笑む白い肌。薄暗い森に光る、彼女の姿が、目の前に広がる。

「彼が、好きだったから」

 滝の音も、雨の音も、彼女の声を掻き消すことはできなかった。


「……ああ」

 雨の音が遠のいてゆく。水滴がぽつ、ぽつ、と頬に落ちる。顔を真正面に向けると、外が明るくなっていた。ベンチから立ち上がり、外に出る。

 蒸し暑い、空気が流れる。雲の隙間から日の光が薄く差し込んでいる。道路の向こう側から、車も、人も来る気配はない。

「……帰ろうか」

 このままバスを待っても仕方ない。バス停を出て、黒く濡れたアスファルトの上を歩き始めた。


 ざあざあと、雨の音。

 向こう側の、空は、暗い。

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