8

 待ちに待った後期期末試験まであと一週間。待ちに待ったって言うのはほかに語呂がいい枕詞が見つからなかったからつけただけだ。まったく待ってない。

 無事カップル成立した二人の邪魔をするわけにもいかず、俺はとりあえず孤独な試験勉強に身を投じた。しかしカップル成立から三日目のことだ。驚くべきことだがあれだけ屋上以外には行きたくないと我儘を言っていた真理が図書室に姿を現した。あのどよめき、俺は忘れない。むかつくことに、真理はこの馬鹿こうこ――ああっと、平均学力の低めの当校では、屋上の偏屈やらという蔑称とは違う、究極の自由人というダサすぎる通称があるのだ。何も知らない生徒からしたら、自分突き通してるあいつカッケー、みたいな憧れでもあるわけだ。俺は所詮底辺だけどな。何が違う、顔か。

 話が大きくそれたが、そういうわけで真理が図書室に来たことは、大きなニュースとして放課後の学校を揺るがすには十分というわけだ。

「おま、ええ?」

「なんだよオバカメン」

「新しいなオバカメン……。ってそういう話じゃなくて! あ、とりあえず座れよ」

「ああ」

 数冊の本を持って、俺の向かいの席に座る。見覚えのある本だから、屋上から持ってきたものだろう。

「普段は閉まった後に司書経由で返してるんだけど、今日は司書が休みだっていうし、でもこれ返却期限が今日だからしかたなく」

 ばしばしと積んだ本を叩いて、小さな声で俺に抗議してくるが、別に来るなとも来いとも言ってないからそんなにむきにならなくてもいいのに。とは口が裂けても言わないが。

 放課後の図書室になぜか徐々に人が増えてるのだが、真理効果というやつだろうか。そこのお嬢さん、ソフトボール部のユニフォームは図書室には不釣り合いですよ。

「君が図書室で必死に勉強してるって善明と美映が言うから、ついでにね。馬鹿にし……冷やかしにね」

「最後ほとんど意味同じだろ」

 言っていることは失礼極まりない上から目線なのだが、声がいつもの十分の一も出てるかわからないくらい小さい。視線が落ち着かずに、俺と本と衆人を順に辿っているようだった。

「本、返さなくていいのか」

「ああ、いや」

 ちらりとカウンターを見る。俺も背を向けた形になっているカウンターの方を振り返る。うん、あれでは確かに返しに行けないな。

 物好きの図書委員達は、こちらを隠れることもなく好奇の目を向けている。友人と思われる女子が一緒に、小声出けれど騒いでいた。大体の生徒は事実を確認すると帰ってしまうので、今度は徐々に人が減っているのだが、もともと図書室に居座っていた人間は変わらず自分の指定席に座りこちらを盗み見ている。こういうのはあまり、羨ましいものではない。

 真理は溜息すら洩らさず、衆人環境に耐えている。こういうところで意地っ張りというか、すべて自分に押し込めるのが好きなのだろう。

「返却期限、今日だけどやっぱり明日にしようかな」

 どうにも耐えきれなくなってきたのか、腰を浮かせる。

 ここで帰したら、もう真理は二度と屋上以外にこないだろう。それは直感的にわかった。無理をさせたいわけじゃない。それでも親友として、それではいけない気がした。

「真理」

 トーンを落とすこともせず、図書室用のウィスパーボイスでもなく、俺は真理をはっきりと呼んだ。真理は腰を少しだけ浮かせた恰好で固まる。気のせいかもしれないが、気分の悪い囁き合いも止んだようだった。

「居ろよ」

 半ば命令口調になってしまった。何も考えずに発言するべきではない。最近そういう失敗が多いので今後の改善点にしなくてならない。しかしここで俺が萎れてしまっては意味がない。逆効果になりかねない。

「お前が帰らなきゃいけない理由はないだろ?」

「きみ、うるさ」

「そうだなあ、一人で勉強するのは少し飽きてんだよね。帰られたら少し困るかなー」

 腕を掴む代わりに押さえた本の山。少しの沈黙の後、真理はもう一度腰を落ち着けた。ひとまず成功といったところだろうか。俺がもう一度数人の残った生徒を振り返って見渡すと、慌てて自分たちの持っている本や参考書に視線を落とした。これだから真面目そうな顔した奴らは嫌いなんだ。普段抑圧されてる分、俺や真理のような外れ者にはひどく冷たい。

「あと、ここ教えてほしいんだよね」

 さっきからまったく意味のわからない英語の長文を指差して尋ねると、真理は呆けた顔で長文を確認する。それから、ものすごく憐れんでいる眼で見られた。

 やっぱり人間勉強より、やっぱり心が大切だよな。――どうせ馬鹿だよ。

 俺が駄目人間というのはさておいて、そうこうしているうちに俺は今、定期テストの本番を迎えている。全員がぴりぴりしている、かといえばそうでもなく、俺だけがいっぱいいっぱいだった。

 真理はあれからときどき図書室に顔を出すようになり、俺の他の友人達――まあ中学時代のダチなんだが――とも少し会話をする程度になった。今迄からしたらすごい進歩であろう。クラス替えのない学校なのだが、ちょうどそいつらは真理と同じクラスらしく、頻りにクラスに来るように迫っていた。ドン引きされているのに気付かないのがあいつららしい。良い奴らではあるので、これなら教室に戻るのも少し安心ではないだろうか。なんだか釈然とはしなかったが、良いことに変わりはない。

「類は友を呼ぶ……」

「何が言いたい」

「何にも」

 ぶつくさ言ってはいたが、満更でもないらしい。しかし、たまたま図書室に来た善明はものすごく驚いていた。それが普通の反応だろうな。たぶん俺も善明なら驚いている。

 なんていう少し前のことを詳細に回想してしまうくらいには差し迫った精神状況にある今。すでに最後の公民のテストなのだが、今までのテストの出来が良かったか否かと聞かれればまったく覚えてないというのが答えだろう。担任がテスト前に、

 ――意地でも百五十番以上をとれ、この際ぎりぎりでもいい、百六十番なら留年だと思え。

といういらないプレッシャーをかけてきたせいもあり、俺はすっかりプチパニックである。なぜかって言えば、元最後の良心が恐ろしいからである。

 美映も善明も、真理も全員違うクラスでテストももちろんバラバラにうけている。真理は今まで通り隣の棟の何処かの教室で受けているのだろう。

「頑張って」

そういって一発殴ってくれた美映のため――なんかすごく理不尽な気もするが――にも、几帳面な字で書かれた手作りの単語帳をくれた善明のためにも、参考書を五冊も提供してくれた真理のためにもなんとか俺は進級をしなくてはならないのだ。

「それではテスト開始」

 チャイムと重ねてかけられた監督教師の合図に、俺は小さく息を吐き出した。

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