5

 俺が善明や美映とであったのは、真理と屋上でサボるようになってから最初の冬だった。ちょうど一年くらい前だろうか。思い返してみるとそんなに長い付き合いではないのかもしれない。

 きっかけは前述の通りの“ミルクいちごパン”だ。この高校には購買しかないのだが、なぜかその購買にミルクいちごパンが売られてる。うちの学校には奇しくも入荷量以上の愛食者がいるらしく、それなりに競争率が高い。

 その日も俺は昼食としてミルクいちごパンを手に入れるべく購買に来ていた。すでにその頃はいろんな蔑称をつけられるレベルでサボり魔として認知されていた。流石に全校レベルではなかったが、同じ学年の奴らにはすっかり底辺扱いをされていたはずだ。そんな俺に神様だけは優しかったらしく一つだけ売れ残っていた。

「わーい、おばちゃんミルクいちごパンちょうだ――」

「あ!」

「うわあ」

 言いきる前に誰かの高い声に驚いてしまった。ちゃりん、と用意した小銭がおちた。

「うああ、ごめん。美映、突然大きい声だしたらだめだろ」

「だって私のミルクいちごパン!」

 俺の落とした小銭を拾いながら傍らの女子を叱る。それが善明だった。叱られた女子が、美映である。それにしても美映の図々しい発言には驚かされたものである。自分も大人げない人種であることは否めないが、この時はさすがにこいつガキくせえなと思ったものだ。その認識は長いこと覆されることは無かったのだが。

「いや、こっちこそなんかごめん」

 ここで謝っちゃうのが俺。いまだに謝った意味がわからない。

「あ、小銭全部ありますか?」

「え? あ、ああ。あるある平気」

 掌に落とされた小銭を確認する。キチンとミルクいちごパン分乗っかっていた。

「で?」

 ごく自然な流れの発言だったから、俺もしくは善明か美映の発言のようだが違った。購買のおばちゃんがショーケース越しに俺達の方をにこにことみていた。発言主は彼女である。

「あ」

 思わず小さく声を洩らした。すっかり声をかけたことを失念していた。

「で? 結局どっちが買うんだい」

 俺はここでなぜか人差し指で美映と善明をさしていて、結果として二人に譲るというちょっとかっこいいことをしてしまっていた。ここは多少恥ずかしくても俺って言っておくべきだった。それくらいには食べたかった。

「はい、じゃあ百五十円ね」

 美映が食べたがっていたはずだが支払いをしたのは善明だった。手下か何かなのかと一瞬考えたが、こういう愛の形もあるよな、と勝手に納得することにした。

「ごめん、ありがとうね」

「いや、いっつも食べてるし。譲り合いの精神は大切だよね」

 お前もだよ、とちらりと美映の方を見たがちっとも気にする様子もなくすでにパンを食べていた。幸せそうでなによりですよお嬢様。

「あ、そうだ。今度二つ買えたときにはきみに持って行くよ。三組の人だよね」

 善明は人のよさそうな笑顔で言った。この時は、自分のクラスが把握されていたことに驚いたものだ。思い返すと二人との出会いは驚かされてばかりである。

「あ、でもきみ教室にいないんだっけ」

「そんなんも知られてるの俺」

コロッケパンを買いつつ、なんとなく会話を続ける。

「きみがサボり魔なのはもう有名じゃない」

「高校生にもなってガキ臭いわよね」

 お前に言われたくない。善明も笑顔がまぶしすぎる。

「普段どこにいるの?」

「あー屋上かな。うん、あとは販売機前のベンチとか。いやでもいいよそんな気ぃ遣わなくて」

 律儀な善明の言葉を遠回りはしたがしっかりお断りする。下手に気を遣わせるのもあまり好きじゃない。

「ついでだよ。わざわざ買ったりしない。それならまだいいだろ?」

「お、おう」

 にっこりと言われてしまうとなぜかひけなくてあっという間に俺は陥落してしまったのだ。意志が弱いのも困りものである。

 と、これが最初。なかなか劇的な出遭いのようだが、俺の中で真理との出会いが衝撃的すぎてあまり強い印象は残らなかった。

 次に会った時に美映はいなかった。屋上ではなく販売機前のベンチでぼうっとしてたときである。俺は数日前の出来事を半ば忘却していて、善明のこともなかなかぴんとこなかった。

「先週ぶり、元気?」

「まあぼちぼち」

「そっか」

 善明はやはり律儀だった。俺を訪ねた両手には一つずつミルクいちごパンを持っていて、人のよさそうな笑顔を俺に向けていた。俺は善意を踏みにじるのも難なのでありがたく受け取った。

「でも本当にサボり魔なんだね君」

 がこん――とオレンジジュースの缶を販売機が吐き出す。買ったのは俺ではなく善明だ。俺の隣に座って、真剣に今の台詞を言ったものだから少しだけ面白かった。

「ほら、噂ってあてにならないじゃないか。でも見る限り今回は本当みたいだね」

「嬉しそうに言うなよな」

「ごめんね。そうだ、すっかり忘れてたけどきみの名前ってスエヒコって読むんだって?」

 これまた嬉しそうに俺を見るものだから、どういう反応を返していいかわからずに曖昧に笑い返した。

「すごい変わった名前の読み方だよね。いいな、おれは基本的に間違われる名前じゃないからさ」

 そうやって笑った善明の名前を俺はこの時点では知らなかった。むしろ向こうが知っている方がおかしいのであって俺が知らないことはひどいことではない。興味が無かったとかそういうのでもない。断じて。

「えーっと」

「善明」

「ヨシアキくんは善人の善に明るいの明かな」

「凄いね、知ってた?」

 まったくの当てずっぽうである。善明の両親に会ったらまず、逆名にならなくてよかったですねといいたい。まったく名前通りに育っているのもまた面白いものだ。

「善明くん、て学級委員ぽいよね」

「善明でいいよ。あれ、それも知ってた?」

 これもまったくの当てずっぽうである。こういう第一印象と現実の相違が少ない人物に会ったことがなかなかないので、なんだか楽しかった。そんな感じで、俺はこの時初めて善明を知人として認識した。それまではまあなんとなく存在は確認してるけど関係は無い同級生というくらいにしか思ってなかったので大出世である。

「おれ季彦くんてキヒコかと思ってたよ」

 この間違われ方はいささか気に食わなかったけれど。

 それからというもの、俺は真理と着々と親交を深めつつ善明と販売機前で語らうことが日課のようになっていた。我ながら乾いた青春である。このころはまだ若干の危機感があったため授業にも出席していた。だから二年生に上がることができたのだ。九割寝てたけどな。自慢にならないことは重々承知である。

 ――真理の話がでたのは善明のほうがきっかけだった。真理は自分のいないところで自分の話をされるのが好きじゃないらしいので、俺から話を出すことはその時まで一切なかったのだ。真面目そうな善明がそんな俗っぽい話を持ち出すとは思っていなかったので拍子抜けしてしまったのを覚えている。

「屋上にいる彼、ええっと」

「真理のこと?」

「そう。彼って一時期人間じゃないとか、コネで卒業できるから授業に出なくていいとか言われてたけどその辺どうなの?」

「意外な噂に興味津津だね善明くん」

 思わず苦笑い。善明はすこし気まずそうな顔をしたが、好奇心が上回るらしくちらりと言葉を促すような視線を送られる。最低限なら真理も怒らないかな、とおもって口を開く。

「はは、ちゃんと人間だよ。ご飯食べるし家帰ってるしコンビニとか行くらしいし。コネは無いんじゃないかな。彼もテストは受けてるみたいだし、勉強もしてるよ」

 当たり障りない情報を選んでみたが、なんだか俺自身もこの時点で真理のことはよくわかっていなかったかもしれない。今でこそ、なんとなく好きな物とか嫌いなものとかがわかるようになった気がするが、あくまで気がするだけである。何度も言うがなんとなく精神衛生上の利害がたまたま偶然一致したような組みわせなので、深淵とは程遠い。

 善明はありがとうと律儀に礼を述べると、午後の授業のために席をたった。俺は授業にでる気分ではなかったので手を振って見送った。ちゃんと出席しないとだめだよ、という別れの台詞は今より少しだけ柔らかいニュアンスで、あらためて思い出すと面白いものだ。すっかりとげとげしくなっちゃって、俺には。

 それから間もなく昼休み、善明と顔を合わせたのはまさかの屋上であった。この時ばかりは善明が本当は優等生ではなく人の良さそうな顔した悪戯小僧にみえた。おいおい昨日の今日で本人に会いに来ちゃうのかよ、みたいな驚愕。というより俺が真理に怒られそうで怖かっただけなのだが、どうも真理は怒ってはいないようだった。むしろなんか楽しそうだった。あれ、俺の立場とか無い感じかな、という複雑な笑顔を俺は浮かべていたに違いない。

「あは、季彦くんお邪魔してます」

「いえいえなんのお構いもできませんで……って! え!」

「ちょっと季彦君うるさいよ君」

 わざとらしく耳を塞いでこっちをみる真理。善明はベンチではなく、逆さまになったゴミ箱に座っていた。今後彼はそこが定位置となる。なぜベンチを選ばなかったのかは聞いたこともない。

「なんかね、ずっと気になってはいたんだけど噂とか怖いじゃない。季彦くんの話を聞く限り悪い人じゃないみたいだから」

「僕はこんなに善良で優等生ですみたいな顔した実はただの好奇心と探求心の塊なんですみたいな愉快な人間とは会ったことがなかったよ。季彦君、今回ばっかりはお手柄だよ」

「これはおれ誉められてるのかな季彦くん」

「たぶん結構なレベルで誉めてるよ。あと俺はすっかり馬鹿にされてる」

 苦笑いの生徒が二人と、嬉々とした男子が一人。真理はそういったところでずれているのだ。隣の開いてるベンチへとどかりと腰を下ろす。

「だって君、聞いてくれよ」

 珍しく積極的な真理に俺もだんだんと引っ張られて、少し楽しい気分になってきたがいまいち釈然とはしなかった。今でもそうだが、俺が馬鹿にされる大きな理由ってやっぱりサボり魔であるってところなのか。今度聞いてみよう。

「なんだよ」

「善明君の第一声なんだとおもう?」

「さあ」

 本に触れてさえいない。俺は肩をすくめるだけで応えた。

「屋上って楽しいの? だって。いやあ、驚いたよ」

「で、この偏屈はなんて応えたの?」

「特に、だって」

「う、ううん……」

 俺はもう何も言えなくて、曖昧に笑ってもう一度肩をすくめた。このボディランゲージはとても便利である。

 それから当分の毎日は、二人のふわっふわした意味のわからない会話を聞く羽目になったのだ。二人がすっかり打ち解け、真理が善明を“よしくん”と呼ぶようになるのはそう長くはかからなかった。

 やっぱり俺の立場はぐらぐらしているのである。


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