2 幸福ゲージに頼るしかねえ。上

 微塵の知能を持ち合わせた騒音源が出て行ったと共に、この家はもぬけの殻のように閑としてしまった。バックグラウンドには『シーン』という描写がお似合いなんじゃないかと思うほどに。


 朝食で使用した食器などを片付け終わると、俺はただやることもなくソファーに腰を下ろした。


「ふぅぅ」


 この空気感はいつぶりだろう。なんとも懐かしい。……ってあぁ、あいつが来て以来か。


 ん、いや待て。いつの間にかこの空気感を当たり前のように感じている俺が心のどこかにいるじゃないか。あれは非日常でこれが日常。今の状態が普通なんだぞ、オールライト俺? 堕天使さんの感情操作あさましあさまし。


 ただ、「退屈だろう?」と言われてしまえば何も言い返せない。


 いつもだったらアンジェが、「ソーマさん、この期間限定のスイーツが美味しいらしくてですねぇ」とか「後で私の部屋も掃除お願いです」とか「今日はステーキが食べたいです!」みたいな話をしてくれるんだけど。……ってダメじゃん。労働基準法の概念を飛び越えてみせた、俺との雇用形態真っ黒なひきこもり女王様が完成しちゃったじゃん。


 それは置いといて、急につかの間の休日が訪れたわけだから、何をしていいのかが全く分からない。昨日のアニメは――そうだ、昨日のもとってないんだった。ネットなどを見る限りでは今期はあまり当たりがないらしい。


 他には……ないよなぁ。ゲーセンとか娯楽施設に行くにしても朝早すぎるし。


 とりあえずやることもないので、ポケットからスマホを取り出す。そして電源をつけるとホーム画面の通知を見た。


「え?」


 驚きのあまり、スマホにしゃべりかけたわけではないのだが、いかにもそんな感じになってしまった。


 俺が目にしたのは『メール未読56件』、『着信20件』の二つ。そこらのリア充君からすれば「それがどうした」で済みそうなことなのだろうが、俺からすれば今世紀最大の事件ばりにおかしいことなのだ。数人くらいしか友達がいない俺からすれば「柊城聡馬の捜査ファイル」と名付けてほしいくらいに。


 恐る恐るそれにタッチ。


 開かれた画面の差出人枠には、たった二文字が大量に書かれてあった。


「えーと、神様神様神様神様神様神様神様神様神様……」


 まさにゲシュタルト崩壊を起こしそうなレベル。さらに言えばストーカーの所業のようだった。しかもメールを一字も書かないで送ってくるくらいに悪質。ちなみに電話の差出人も全て神様だったことは言うまでもない。神様にヤンデレ属性は……なんとも需要がない。


 俺は「はぁ?」と、落胆と疑心を入り交ぜた溜息をするとすぐに神様の電話番号へ掛ける。


「あのーもしもし。柊城聡馬ですけどー?」

『…………おぉやっと連絡がとれたわい。一体この一週間どうしたんじゃ?』

「ええ。神様の遣いに使われてましてね!」


 そんな皮肉1000パーセント越えの文句を神様にぶつける。ちなみにこれは『遣』と『使』が掛け合わさっていてですね……、すいません。


『アンジェのことか?』

「そうですよ! 返却希望のポンコツ天使のことですよ!」


『優秀な天使のはずなんじゃが……。まぁ良い。そのことなんじゃが……」

「そのこと……とは?」


『そう、天使――アンジェを返却してもいい。ということじゃ』

「え?」


 期待もしていなかった言葉が神様の口からこぼれた。


 そのせいで俺は、魔術師に時間停止の魔法をかけられたんじゃないかと勘違いさせられる程に硬直する。


「ま、まじですかーーーーー!」


 脳がしっかりと神様の言葉を認識、そして解読。するとソファーに腰かけていた背筋を勢いよくすっと伸ばした。そして天に向かって「しゃー!」と言わんばかりのガッツポーズ。採用面接に合格通知が来た時のように前のめりになる。……体験したことはないけれど、なんとなくそんな感じだ。


『ああ、まじのおおまじじゃ、前に電話した時に言おうとしたんじゃが、お主が切ってしまったからな』


 ということはあの電話をもう少し聞いていれば、この『堕天使と過ごす地獄のサバイバル。一週間スペシャル』を経験しなくてよかったということか……。実にもったいない。寿命を四年くらい擦り切らした気分だったというのに。


「それじゃあすぐに返却します!」

『……あーと、それは無理な話なんじゃ』


 神様はスムーズに進行していた会話のテンポを崩した。神様のやや困惑した声色から察するに、どうやら問題を抱えているらしい。


 やはり人生にかかわる大問題は、そう簡単には解決できないようで。


『わしたち天界にもルールというのが存在していてじゃな、すまないがわしが直接介入することはできないんじゃ』

「は……ぁ」


 じゃあどうするんですか? あーあれですか、人に一筋の希望を見せておいて、最終的にはそれをひねりつぶすって言う神様の新感覚娯楽ゲームのあれですか?


『まぁよく聞くんじゃ』

「……はい」


 神様は俺の考えを見抜いたかのような素振りを見せた。


 俺は一言も聞き漏らさないようにスマホを強く耳に押し当てる。


『間接的に、じゃよ』

「と言いますと?」

『君の脳内に、プログラムを植え付ける』

「と言いますと?」

『君の脳内に、プログラムを植え付ける』

「は?」


 全く意味の分からない神様の提案に、首をかしげるどころか同じ返答を二回してしまった。神様からのツッコミもなく、当然その返答も同じく二回。


 あれ、ゲームシナリオをスキップしすぎちゃったかな。と、そんな気持ちになってしまう。いや、スキップしまくってもこんな奇想天外な返答は来ないと思うが。


「ええと、それは一体どういう……?」

『脳内プログラム《幸福ゲージ》を植え付ける、と言っておるのじゃ』

「幸福ゲージ?」


 ただでさえ意味が分からない会話のオンパレードなのに、また意味不明な言葉が乱入してきた。今度は《幸福ゲージ》。しかもその得体のしれない近未来チックな何かを俺の脳内に埋めようとしているらしい。


「そのよくわからないプログラムを脳に埋め込めば、返却可能になるんですか?」

『まぁ、努力次第じゃがの……』


 努力、神様はそう言った。


 俺みたいな将来有望なニートが嫌いな言葉ランキング10位には必ず入ってくる悪魔の言葉である。


 そしてそんな『努力』を神様は俺にしろ、ということらしく……。


「まず『埋め込む』ってどういうことですか、外科的手術みたいなサムシングですか」


『ちがうちがう。儀式じゃよ。まぁ言う通りにするんじゃ』

「は、はぁ」


 儀式――若干不安な響きのする言葉なのだが……。きっと儀式とやらを遂行すると脳に直接入ってくる、とかそんなシステムだろう。


『ではまず手を広げて顔を隠して……』

「はい」


 スマホの電話をスピーカーモードに変えるとそれをダイニングテーブルの上に置き、言われた通り手で顔をを隠す。


『そしたら思いっきりこう叫ぶんじゃ。《天界の神々よ、我に刮目し、そして我に神の力を与えよ。幸福数値表示眼(幸福ゲージ:フクっち)、降臨!》とな』


 神様はかなり雑めに、そして棒読みで言った。

 その言葉を聞くと俺は咄嗟に手を顔から離した。


 俺はこの無駄に意識高い(ハイセンス)な文章(センテンス)を知っている。これは健全な男子諸君(メンズ)なら必ず通る道(ロード)、『チュウニビョウ』というやつだ。


 もちろん俺も中学校二年生の時にこれを発症した。よく「俺の右目が……疼くっ」だの言っていたし、『新世界創造記』などという『もう一人の俺』が書いた日記も製作していたし、ある日突然楓に「俺、世界政府から追われている身なんだ」などと妄言を吐いていたこともある。ちなみに当時の俺は『チュウニビョウ』は中二の時になる病気だと思っていたので、中三になる前にきっぱりと治った。


 甦ってくる思い出。いやぶり返してくる思い出。


 思い出せば思い出すほど、頭をアスファルトに叩きつけながら死にたい、オア、足の小指を机の角にぶつけて悶えたい、という気持ちが強くなる。


 その懐かしい黒歴史、『チュウニビョウ』なセリフを口に出すのは、それを卒業した俺にとって相当恥ずかしい。


「なんでこんなセリフ言わなきゃいけないんですか!?」


 ダイニングテーブルに置かれたスマホに向かって神様に、結構な声の大きさで直言した。


『……じゃあ』

「わかりましたわかりましたやりますから!」


 俺は神様の声を遮るように言い放つ。神様はたぶん「じゃあやめる?」とでも言おうとしたのだろう。しかし、ここで諦めてしまえばアンジェを返却する手立てが完全に無くなってしまうので仕方なく神様の言うとおりにする。


「天界の……よ、我に……し、そして我に………………よ。幸福数…………、…………」


 もう泣きそうである。高校一年生の柊城聡馬君が泣いてしまいそうである。それくらい、黒歴史というのは残酷で惨たらしい。


『すまんのぅ。全然聞こえなかったんじゃが……。困ったのう、これでは儀式が成立せん……』


 しかし神様は困惑した声色で俺に尋ねる。この人はサディストなのだろうか。


「わかりましたよっ! 言えばいいんですね言えば! 三度目は言わないんで耳を澄まして聞いといてください!」


 そう言うと一息入れた。そして喉の奥まで空気を溜め込むと、それに声を乗せて思いっきり吐き出した。


「天界の神々よ、我に刮目し、そして我に神の力を与えよ。幸福数値表示眼(幸福ゲージ:フクっち)、降臨!」


 立派に手を顔に添えて、自分にできる範囲の重低音で言い放って見せた。しかも少しだけ顎を上に向けるという独特のアレンジを加えながら。


 余韻が終わるとその刹那、沈黙がリビングを駆け抜ける。しばらくの間、何もできずその場で硬直。しかも頬や耳を淡紅色に染め上げられた気分だった。


『くっ……ぅ』


 スマホから笑うのを我慢するような音が何度か漏れた。


「はい言いましたよ。これで儀式は終わりなんですよね!」


 若干自暴自棄になりながら、神様に尋ねた。


『あ、あぁそうじゃ。後は待つだけ……くくく……』


 どうやら俺のチュウニビョウ完全再現(新たに増えた黒歴史)が神様の笑いのツボに入ったらしい。もう神様に気に入ってもらえたならそれでいいです。


 いや待てそこじゃない。今なんて言った? 待つ?


「『待つ』ってどういうことですか!?」

『あぁあと一時間後に届くよう設定しておいたんじゃ』

「…………あのー一つ質問いいですか?」

『なんじゃ?』

「あの儀式、やる意味ありました?」

『……当然じゃ! ……くくっ』


 俺はその言葉を最後に、神様からの電話を切った。

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