2 異世界転生はしないようです。上

 目の前に広がるのは暗闇。でもまばたきは……している⁉ まだ実体はあるということか。


 死後初めて体感したのは『無』だった。……なんだか矛盾しているような気もするけど。


 音がないってだけでこんなに不安になるのは何故だろう。まぁ、死に直面したことがないので全てが初体験、というのもあるだろうが。


 とりあえず四肢がまだあるのは感覚でわかった。幽霊みたいに下半身がない、なんてことにはなっていない。……これからなるのかもしれないが。


 そしてそんな異空間の中で俺はとある違和感を抱いている。なんだろう、全く重力を感じないというか宙に浮いているというか。行ったことはないけど宇宙にいる感覚。


 これがきっと巷で言われる『魂の重さ』というやつなのだろう。


 何かに吸い寄せられているようなので、とりあえず流れに身を任せてみることにした。ベルトコンベアー無重力バージョンとでもいうべきか。何処へ行くのかは全くの不明だが、どうやらどこかにいざなわれているらしい。


 しかし人類の解明されていない謎のひとつであるこの行為を今体感している、と考えるとどこか好奇心で心が躍る。まぁ解明したところで世に出せないから意味がないんだけどね。


 さぁ三途の川か、天国か地獄か。はたまた最近ライトノベルで読んだ異世界転生か異世界召喚か。チートでハーレムか。魔王討伐で国の英雄か。……じゃなかった。


 そしてそんな浮かれている場合でもない。


 脳裏に楓の姿がよみがえる。あの最後の泣き声は特に鮮明に脳内ハードディスクに焼き付けていた。


 楓は今何しているのだろう。まだ泣いてくれているのかな。そしてこれからどんな生活を送るのだろう。俺のこと、忘れないでくれるかな。


 若干ストーカーじみてはいるが、それくらい心配なのだ。今更だが俺の死は無責任だったのかもしれない。親も心配するだろうし。


 でもそうしなければ……。


 考えれば考えるほど、疑問が増えていった。何が正解で何が不正解なのかわからない。


 そして多分もう会うことのない楓のことを考えると、どこか歯がゆい。楓さえいなければ迷いなく死ねるというのに。


 と、ふとそんな失礼なことを考えてしまった性格の悪い俺を、良心の俺が心の中でぶん殴る。


 後戻りなんてできない。……でも、楓が心残りなのは確かだ。


 色々と考えを脳に張り巡らせていく。でもやっぱり答えは出ない。


 そのうち、だんだんと見えてくる眩しい光。


 そこが出口ですよ感満載のその光に、俺はぎこちない平泳ぎで向かっていく。


 そしてそれはやはり正解なようで、物凄く強い力でそこへ吸い込まれた。トイレの流され方にそっくりだったので少々気には障ったのだが。ここまで来て疑似便所体験とか……なんだろうこの感覚。



 眩しい光の向こうは……ってなんだここは。


 いつの間にか無空間から放り投げられ、俺は自分の身長よりも高いであろう、美しい彫刻がなされた格式ばった扉の前にちょこんと正座していた。それも妙に律儀に手を添えながら。


 そしてさっきまで感じていなかった重力もここでは感じている。まさかまだ生きているのか? 人類の叡知の適応外なのだから、そこまで不思議と言うわけじゃないんだけど。


 俺はもう一つ違和感に気づく。服だ。あんなに血だらけだったコートがまるで事故にあう前の状態とまったく同じ。おかしいな……。


 そのせいもあって、なんというか、死んだ感じが湧いてこない。全て初体験だからわからないのだけれど、死とは違う何かをこの生身で感じている。


 とりあえず他にやることもないので死者の導きに沿うように、まあ導きかどうかは知らないが、目の前の扉に手をかける。


 もしエンマ大王だったら天国か地獄かの選択が待っている。女神様だったら異世界転生か異世界召喚。どうか女神様、女神様、女神様でお願いします。


 現実世界に戻れないなら戻れないなりの、心の底からの懇願である。


 いざ開くと扉はとにかく重い音を奏でる。昔宿泊したことのあるおんぼろ旅館のトイレのドアを開くときの音にそっくりだ。非常にどうでもいいけど。


 とにかく、さぁ、女神様来てくれ! ……ってあれ?


 俺が扉の奥に目にしたのは死者の世界、いや、絶対にそんなものではないと確信できるような光景が広がっていた。異世界転生とかではいとしてもてっきり、天国という名のニューワールドがあるのかと思っていた。


 だがまるっきりその予想は外れた。


 まず世界ではなく大きい部屋なのである。中世ヨーロッパにありそうな宮殿と形式がそっくりで彩色が豊かな造りの。


 ただその中でも一番驚いたのは俺の視線の先にいる。


 あきらかに人っぽいなにかがいる。ど真ん中のいかにも王様が座っていそうな椅子に座っている者が一人。多分どんな方向から見てもエンマとやらではない。


 残念ながら、女神様という可能性がゼロであることは即理解できた。うん、男。ただそれ以外の推測が付かない。


 うーんと、なんだあれは。俺にはどうしてもサングラス姿でアロハシャツのおっちゃんにしか見えないんだが。まさか俺と同時期に死んだ人かな。じゃあなんで王みたいな座り方してるのよ。


「おーっと、きたきた。待ってたよ柊城聡馬君」


 どうやら俺のことを待っていたらしい。何故か名前も憶えられている。


「あのー、あなたは?」

「わしか? そんなの見てわかるじゃろ」


 といわれても全く分からない。だがこんな格好の人を見たことはある。


「宝くじで一発当てて、海外旅行中のおっちゃんですよね」


 我ながらなかなかいい言葉のチョイスだったと思う。最低でも座布団二枚くらいは欲しい。


「え、うっそ、そう見えるの? どっから見ても神様なんじゃが」


 それしか考えが浮かばないんだけど。神様だけには見えないなぁ。格好もだけど、そのちょっとチャラい言葉遣いも。


 うん、神様には。


「うん?」

「うん」

「うん?」

「うん」

「う――」

「しつこいぞ」


 おっちゃんもさすがにうざったく感じたのか、俺のクソ問答は三回目で打ち切られてしまった。


「すいませ……じゃないんですよ!」


 そうだよ! 神様? か、み、さ、ま?? 今、神様って言ったよね⁉ ゴッドの方だよな、まさかここで『ペーパー様』とかいう、高度な天国ギャグじゃないよな?


「神様だったんですか!?」

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